九州三十三観音霊場 第二十三番札所 雲仙山 満明寺

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九州三十三観音霊場
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大宝元年(701年)に行基菩薩が開山したという歴史ある寺院。堂内には「雲仙大仏」とよばれ、高さ5mの金色に輝く純金箔のお釈迦様が温泉街を見守るように鎮座しています。境内にはぼけ封じ観音や不動尊があり、30分くらいでひとまわりできます。

『概略』

雲仙山 満明寺

創建

大宝元年(701年) 開基 行基菩薩

宗派

真言宗御室派

ご本尊

純金箔釈迦如来

釈迦如来について

釈迦如来は、古代インドの小国の釈迦族の王子として、本名はゴータマ=シッダールタです。妻や子供もいて実在しましたが、28歳で王位継承者の地位を捨て、四苦(生・老・病・死)から解放される道をもとめ、各地の先覚や修行者を訪れ、6年にわたる苦行を経てガヤー村の菩提樹の下で大悟を得て仏陀(覚者)となった仏教の始祖です。
釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています。
また釈迦如来は、唯一現世で悟りを開いた人物とされています。

釈迦は、母である摩耶夫人の右わきから生まれたといわれています。また、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名です。
この世で1番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持ってこの世に生まれてきたという意味です。
このときの姿をあらわしたものが、4月8日の花まつり仏生会灌仏会(ぶっしょうえ・かんぶっえ))に祀(まつ)られ、誕生釈迦仏と呼ばれています。

29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、仏陀(ぶっだ)・釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん、釈迦族の聖者という意味)・釈尊(しゃくそん)、如来などと呼ばれるようになりました。
この頃は人々に説法を説いていたそうです。

その後、45年間インドの諸国を説法して巡り教えを広めましたが、80歳に達した釈迦は死期を悟られ、クシナーラー域外の沙羅双樹下でかけつけたお弟子達に囲まれながら最後の説法を行い、自ら頭を北にし顔を西に向け横臥の姿で入寂され涅槃に入られたと伝えられています。

また釈迦如来を中心に文殊・普賢菩薩を脇侍とする釈迦三尊像も多くみられます。
密教尊としての釈迦如来は、人々を救済し、なすべきことを成就し、煩悩を消滅し涅槃を得る大日如来の智徳をつかさどる仏となっています。

悟りを開いた釈迦如来が残した様々な教えや言葉はお経として現在も使われています。

ご真言

のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

住所・連絡先

長崎県雲仙市小浜町雲仙321 TEL 0957-73-3422
(地図)

アクセス

島原駅・島原港より島鉄バス雲仙行き
諫早駅より小浜温泉経由雲仙行き
長崎駅より長崎県営バス特急雲仙行き(一日3往復)
いずれも雲仙停留所下車すぐ

駐車場有り

ご詠歌

世の人も 力をそえよ 山寺の 昔にまさる 色をみるまで

雲仙温泉の只中に佇む雲仙大仏(第二十三番札所 雲仙山 満明寺)

雲仙地獄 のある雲仙温泉街の一角で、島鉄バスのりばの横にあります。 山号は雲仙山(うんぜんさん)、本尊は釈迦如来です。

701年(大宝元年)に行基菩薩により「温泉山(うんぜんさん)満明寺」が開山されさたと云われており、 この時合わせて、現在の 温泉(うんぜん)神社 である四面宮を祀ったと云われています。
その後幾度も焼失と再建を繰り返し、 1640年(寛永16年)には「温泉山満明寺一乗院」として復興され、1680年(延宝8年)に「温泉山一乗院」として正式に認可されました。
1869年(明治2年)には神仏分離令を受け四面宮を国魂神社とし分離し、 一乗院は本坊を現在の雲仙市南串山町に移転し、雲仙の境内は飛地境内の「一乗院釈迦堂」となりました。
1976年(昭和51年)に一乗院釈迦堂境内が京都の御室仁和寺から「雲仙山大乗院満明寺」の寺号を受け、1980年(昭和55年)に雲仙山満明寺が南串山町の温泉山一乗院から正式に独立し、現在に至っているそうです。

島鉄バスの雲仙バス停に隣接して駐車場があり、そちらより緩やかな石段を上ると、不動明王立像が祀られていて、癌や病を切る不動尊として信仰を集めています。

そしてその背後には鐘楼があり、ありがたいことに参拝者は自由に鐘を撞くことができます。

さて、その先にどっしりとした本堂(釈迦堂」があります。
本堂前には開基の行基菩薩や仏足石が置かれています。

釈迦堂の中には、5mの純金箔の雲仙大仏が鎮座しています。
奈良の大仏の1/3の大きさで、明治43年から5年の歳月をかけ京都で彫刻された後、4分割され瀬戸内海を船にのせられ運ばれて来られたそうです。
昭和35年には修復を行い、硫黄による錆から守るため、5層にの金箔がはられています。
半開きの目に大きなお耳、表情は少し厳しさすら感じます。

本堂参拝後、釈迦堂の正面、鐘楼の前にある石段から、約20分で四国八十八ヶ所のミニチュア版の八十八ヶ所巡りができます。

また、境内には首つぎ地蔵(羅漢)があります。
羅漢とは書いてありますが、地蔵尊や羅漢の他に、地獄の裁判官である十王も祀られています。

こちらの尊像はキリシタン弾圧下、石仏の中に十字架が隠されていないか、首を切って確認して、そしてまたくっつけた尊像と伝わっているそうです。

最後に、本堂手前にある三十三観音霊場にお参りをしてこの日の巡礼を終えました。

霊場ご本尊 聖(しょう)観世音菩薩について

別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。
六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
それら変化観音と区別するために変化観音に対して、変化しない観音をいい、また一番もとの観音(本来の姿の観音)という意味で、聖観音と呼ばれるようになりました。
単独で祀られることも多いのですが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。
ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。

ご真言

おん あろりきゃ そわか

南無大師遍照金剛

明治時代になると全国に避暑地として知られるようになり、シーボルトやケンペルが雲仙のことをヨーロッパに紹介し、それによってぞくぞくと外国人が訪れるようになり、「はいからさんの町」と呼ばれるようになりました。昭和4年に日本八景に選ばれ雲仙は、昭和9年日本最初の国立公園に指定されました。

九州三十三観音霊場 第三十三番札所 源光山 光明密院 明石寺

次回は、九州三十三観音霊場 第三十三番札所「源光山 光明密院 明石寺」をお伝えしていきます。

なお、第二十四番延命寺第二十五番大定寺二十六番高野寺第二十七番宝光院二十八番西光寺第二十九番御橋観音寺第三十番最教寺奥之院第三十一番鶴林寺第三十二番法蔵院は九州八十八所百八霊場にてすでに公開してありますので、ご参照ください。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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