九州八十八ヶ所百八霊場 七十六番札所 弦掛山 西福寺

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九州三十三観音霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場第七十六番札所 弦掛山 西福寺

西福寺のある地は昔から、山伏がこの巨大な岩屋のなかに庵を結んで修行した行場だったと伝えられています。江戸時代に平戸藩主の命により5体の石仏を安置しました。明治に入り、この地に住む吉井クラの霊夢に出た観音菩薩のお告げの逸話が残っています。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

弦掛(つるかけ)山 西福(さいふく)寺
(御朱印)

別称

弦掛観音

創建

安永2年(1773年) 正法院隆盛法印

宗派

真言宗智山派

ご本尊

十一面観音立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

おん まか きゃろにきゃ そわか

十一面観音菩薩について

密教の世界で言われる「六観音(あるいは七観音)」のうちの変化のひとつの観音菩薩様です。
十一面観音菩薩さまは、苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔を持ち、全方向を見守ってくれています。
様々な災難、病気治癒、財福授与、勝利を得るなどの10種類の現世利益があり、延命、地獄に落ちない、極楽浄土に行けるなどの四種果報のご利益があるとされていて、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音様で、阿修羅(修羅)道に迷う人々を救ってくださいます
ちなみに頭上面のうち前3面を菩薩面、左3面を瞋怒面、右3面を狗牙上出面、後1面を大笑面が一般的には配されていて、それに頂上の仏面を合わせて11面です。
中には本体のお顔とあわせて11面となる場合もありますし、11面の配列が異なる場合もあります。
その面の中の「大笑面」ですが、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれています。

住所・連絡先

長崎県佐世保市世知原町矢櫃25-2 TEL 0956-76-2709
(地図)

アクセス

JR佐世保線佐世保駅から西肥バス菰田経由松浦行、弦掛観音入口下車5分
車の場合、吉井町から世知原町に向かい、さらに佐世保方面へ。寺標にしたがって右折する
境内に駐車場有

ご詠歌

幽谷に 清水したたる 石仏 大悲の恵み 落つる 瀧つ瀬

他の霊場札所

九州二十四地蔵尊霊場第十六番札所

霊場ご本尊・奥の院 恵泉(水)地蔵
(御朱印)

ご詠歌

忍辱(にんにく)の 慈悲にすがるる 諸人を 救わせ給う 南無地蔵尊

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

弦掛観音(第七十六番 西福寺)

広めにとってある駐車場より鐘楼の脇を石仏の配された緩やかな登りの参道を上っていき鐘楼の脇を抜けると入母屋造の弦掛山 西福寺の本堂があります。
堂内にはご本尊の十一面観音立像霊場ご本尊の恵泉地蔵尊などが安置されています。

山号「弦掛山」は天正9年(1581年)島原の有馬氏の軍勢が直谷城に押し寄せた際に直谷城主・志佐壱岐守の兵と平戸城主・松浦隆信が合流し、この地に陣を敷き、弓に弦を掛けて戦ったことにより「弦掛山」という地名が起きたことに由来しているようです。
江戸時代も中期になって、安永2年(1773年)この戦いで没した武士の霊魂を供養するため、平戸藩主の命により、平戸藩菩提寺の正法院隆盛法印が弟子とともに弦掛山に入りました。
そして、5体の石仏を造像して、大岩屋(奥の院)の中に奉安しました。以後、この戦いで亡くなった霊を供養せんと庵を結んで法灯をかかげましたが、歳月とともに人々の記憶から忘れさられてしまっていました。

しかし明治に入り、吉井クラの伝承とともに、観世音菩薩の霊験あらたかなることが、世に知れ渡り代々の先師はこの霊場に堂塔を建立し観世音菩薩を本尊とし、人々に信仰を集めています。
時は流れ、昭和24年(1949年)、松浦市調川(つきのかわ)にあった西福寺の寺号を移して現在の寺号となったと伝わります。

さて、本堂左手より奥の院へ向かうと、千年以上昔から山伏が岩屋の中に庵を結び修行してきた天然の聖地としての素晴らしさを改めて実感させられます。
西福寺の見どころとのなっている「奥の院大岩屋」は、奇岩怪石懸崖に清水の滝もあり、霊場感満載です。

巨大な岩が左右からそそり立ち、その岩が互いに支えあうように比較的広い三角形の空間を作り出しており、その中央には簡素ではあるものの入母屋造の小さなお堂もあります。
中には聖観音・十一面観音・馬頭観音・大日如来・地蔵菩薩などの石仏が安置されています。

また、岩屋内には清らかな水も滴り落ちていて「清水の滝」といわれ、それに因んだ地蔵尊は九州二十四地蔵尊霊場第十六番札所ともなっています。

南無大師遍照金剛

奥の院には以下のような伝承が今に伝わります。
「明治27年(1894年)世知原村に住む吉井クラは篤く観音を信仰しており、朝夕念じていた。ある日のこと、突然の病魔におそわれ、病名もわからないまま、明日をも知れない難病に苦しんだ。
そのような夜、クラの夢に観音が現れて、『我は弦掛の霊山に住む観世音菩薩である。大雨で土砂が崩れ、長い間土のなかにいる。早く人を遣わして、掘りあげてほしい。場所は滝壺より五尺のところである』と告げた。さっそく家族に夢の話をして、霊夢の場所を掘ったところ、観音など数体の石仏が現れ、滝の水で洗い清めて岩場の奥に安置した。家に帰ってみると、クラの病はすっかり治っていたという。」
この伝承にある諸仏の出現の地の霊水は難病に効くと言い伝えられています。

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第七十七番札所「高野山 最教寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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