2023-10

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九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第八十番札所 吉原山 鶴林寺

鶴林寺のご本尊は薬師如来・子安弘法大師を安置し、安産、子育ての加持祈祷の寺として信者に知られ、境内は不動明王、十三仏を配置し、地元では「子安さん」として知られている寺です。山号は寄進した土地所有者の吉原氏の功徳を称しています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第七十九番札所 松豊山 善福寺

善福寺の歴史は古く、創建は1335年(建武2年)に松浦氏の始祖を祀る今宮神社の別当寺(神職が祀りを兼ねる寺)及び今福松浦家の祈願所として寺上の地に創建。その後、幾度か移転・再建を繰り返した後、1909年(明治42年)現在地に建立されました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第七十八番札所 入唐山 開元寺

ここは札所として「開元寺」となっていますが、寺院があるわけではなく『弘法大師入唐解纜之地』と刻された一基の石碑と拝所があるだけです。寺号の由来は弘法大師が12月の終わりに唐に上陸後、一ヵ月間とどまった福州の寺院が開元寺でその寺号を称したもの
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九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第七十七番札所 高野山 最教寺

最教寺は、大同元年(806年)弘法大師が唐から帰朝した時、初めて護摩を焚いたところといわれています。現在奥の院には大師の護摩石と坐禅石があり住時をしのぶことができます。慶長12年(1607年)1真言教学の学問所である談義所を合併し復興しました。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 七十六番札所 弦掛山 西福寺

西福寺のある地は昔から、山伏がこの巨大な岩屋のなかに庵を結んで修行した行場だったと伝えられています。江戸時代に平戸藩主の命により5体の石仏を安置しました。明治に入り、この地に住む吉井クラの霊夢に出た観音菩薩のお告げの逸話が残っています。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 七十五番札所 石橋山 御橋観音寺

1240年前に行基菩薩が海底で光を放つ大木から三体の観音像を敬刻し、開眼供養して東の海に流されたその内の1体が御橋観音寺となり現在まで信仰の霊地として栄えています。また二条の大石橋をはじめ春は桜、秋は紅葉と平戸八景の景勝地としても有名です。
九州八十八ヶ所百八霊場

タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場 七十四番札所 岩問山 東漸寺

東漸寺は和銅年間(708年~15年)現在の奥の院にあたる岩問山に行基菩薩が草庵を結び、薬師如来を自刻し安置したのが始まりと伝えられています。その薬師如来様はいつでも拝観できます。ご本尊の前には「魔鏡」と言われる一枚の鏡が置かれています。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第七十三番札所 東嶽山 西光寺

西光寺は1687年に松浦藩の祈祷寺として現在の地に建立されたお寺です。ご本尊・虚空蔵菩薩は、元は武雄市杉の岳にある行基菩薩が建立されたお寺にいらっしゃいましたが、約500年前に現西光寺の場所に虚空蔵菩薩が霊現されたことから移座されました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第七十二番札所 櫨山 光輪院

明治33年(1900年)、有森清隆和尚がこの地にお堂を創建。明治45年(1912年)高野山の山内塔頭の一寺院の寺号を移し、光輪院としました。建っている丘には昔、櫨(はぜ)の木が立っていたことから「櫨山(はじやま)大師」と呼ばれています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第七十一番札所 医王山 浄漸寺 鎮西薬師

奈良時代の養老2年(718年)行基菩薩は、東大寺勧進のため全国を巡錫し、速木(現在の早岐)を訪れた折、楠木の霊木で薬師如来を刻み、堂宇を建立したのが浄漸寺の起源とされています。以来、霊験あらたかな薬師如来として隆盛をきわめていました。
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