タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場 七十四番札所 岩問山 東漸寺

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九州八十八ヶ所百八霊場 七十四番札所 岩問山 東漸寺 九州八十八ヶ所百八霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場 七十四番札所 岩問山 東漸寺

東漸寺は和銅年間(708年~15年)現在の奥の院にあたる岩問山に行基菩薩が草庵(岩問山薬師堂)を結び、薬師如来を自刻し安置したのが始まりと伝えられています。その薬師如来様はいつでも拝観できます。ご本尊の前には「魔鏡」と言われる一枚の鏡が置かれています。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

岩問(いわと)山 東漸寺
(御朱印)

創建

和銅年間(708年~715年)行基菩薩 開創
寛和2年(986年)観海和尚 現在地に開基

宗派

真言宗智山派

ご本尊

薬師如来立像 行基菩薩作(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじる心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

日光菩薩・月光菩薩

この二尊はそれぞれ単独で信仰されることはありません。
常にペアで薬師如来様をお護りされています。
通常は向かって右側(左脇侍)に日光菩薩、左側(右脇侍)に月光菩薩が左右対称に配されています。
日光菩薩は日光遍照とも呼ばれ、千の光を放ち天下を照らし衆生を救済するお役目があります。一方、月光菩薩は月光遍照とも呼ばれ、薬師如来様の正しい教えを守るお役目を担っておられます。
両菩薩ともに衆生の不安や苦しみ、謂わば闇の部分に昼夜分かたずひかりを照らしておられます。
その象徴として、日光菩薩は太陽・日輪、月光菩薩は月・月輪を手にした蓮華にのせられています。(宝冠に太陽、月を表す場合もあります)

日光菩薩 ご真言

おん そりや はらばや そわか

月光菩薩 ご真言

おん せんだら はらばや そわか

十二神将

薬師如来様に付き従うガードマン的存在の一団です。
と同時に経典を読む人々を守るという役目も担われています。
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るといわれています。そのため中国や日本では十二支が充てられています。その割り当てには解釈の違いによって諸説ありますのでご注意ください。当ブログでは混乱を避ける意味から、敢えて割り当てられた十二支は省かせていただいております。
平安時代以降、頭上に標識として干支の動物を掲げている像が一般化され、十二支の彫刻がないものを古様、あるものを新様といいます。
さらに十二神将にはそれぞれ如来・菩薩・明王が化身されたものと言われています。

十二神将とご真言

宮毘羅大将(金毘羅童子、宮比羅)(くびらたいしょう)
   おん くびら そわか

伐折羅大将(金剛力士)(ばさらたいしょう)
   おん ばさら そわか

迷企羅大将(めきらたいしょう)
   おん めきら そわか

安底羅大将(あんてらたいしょう)
   おん あんて(ち)ら そわか

頞儞羅大将(あんにらたいしょう)
   おん あんにら そわか

珊底羅大将(さんていらたいしょう)
   おん さんて(ち)ら そわか

因達羅大将(帝釈天)(いんだらたいしょう)
   おん いんだら そわか

波夷羅大将 (はいらたいしょう)
   おん はいら そわか

摩虎羅大将(まこらたいしょう)
   おん まこら そわか

真達羅大将(緊那羅)(しんだらたいしょう)
   おん しんだら そわか

招杜羅大将 (しょうとらたいしょう)
   おん しょうとら そわか

毘羯羅大将(びからたいしょう)
   おん びから そわか

住所・連絡先

長崎県佐世保市中里町250 TEL 0956-47-2544
(地図)

アクセス

松浦鉄道本山駅下車、徒歩15分。
車の場合、国道204号線の本山駅方面へ道標を左折、相浦川を渡って左に行き、突き当りを左折、さらに寺標を中里小学校に沿って右折する
境内奥に駐車場あり

ご詠歌

瑠璃光の 楠葉にもるる 岩問山 大悲の光 照りて 隈なし

平戸松浦藩の祈願寺(第七十四番 東漸寺)

平戸松浦藩主・松浦 熈の寄進といわれる山門の前には、ご詠歌にも詠われている、幹回り約7.2メートル、高さ約20メートルそして樹齢約500年といわれる大きな楠が迎えてくれます。
この楠、長崎県の天然記念物にも指定されていて、今もなお青々と葉を茂らせて思わず手を合わせたくなるような生命力をが伝わってきます。

和銅年間(708年~715年)に行基菩薩が現在の奥の院となっている岩問山(岩問山薬師堂)に草庵を結び薬師如来を祀ったのが東漸寺の始まりと伝えらています。
その後、寛和2年(986年)の観海和尚が、現在地に伽藍を建立しました。
さらに、衰微していたのを、寛永3年(1626年)に教意法印が再建しました。

境内は心地よく整備されて本堂手前の蘇鉄がとても印象的です。

九州八十八ヶ所百八霊場 七十四番札所 岩問山 東漸寺

本堂は入母屋造に唐破風の向拝をつけ、右側には千鳥破風も有する豪華ながら京風の美意識も感じさせてくれる建物です。

ご本尊の行基菩薩作の薬師如来様で、いつでも参拝でき、古色、歴史を感じさせるお姿をしておられました。
ご本尊へのお参りと魔鏡と言われる青銅鏡の拝観を済ませ、境内に戻り本堂左手の弘法大師を乗せた石門をくぐると四国八十八ヶ所の本尊石仏がすらりと居並ぶミニ霊場となっていました。

南無大師遍照金剛

ところで先程も書きましたが、東漸寺には寺宝として本殿の仏殿に、ご本尊の前に一枚の元禄頃の国産鏡が置かれています。
青銅製の柄鏡で、直径19㎝。鏡背には亀甲に囲まれて七陽が表されており、光を白布などに反射させると、背面の模様が映るいわゆる「魔鏡」です。

何とも不思議な鏡で、佐世保市の文化財にも指定されています。

大楠と摩鏡のパワーとエネルギーを吸収しに一度は参拝に行く価値はあります。

九州八十八ヶ所百八霊場第七十五番札所 石橋山 御橋観音寺

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第七十五番札所「石橋山 御橋観音寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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