行基菩薩

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九州三十三観音霊場

九州三十三観音霊場 第二十三番札所 雲仙山 満明寺

大宝元年(701年)に行基菩薩が開山したという歴史ある寺院。堂内には「雲仙大仏」とよばれ、高さ5mの金色に輝く純金箔のお釈迦様が温泉街を見守るように鎮座しています。境内にはぼけ封じ観音や不動尊があり、30分くらいでひとまわりできます。
九州三十三観音霊場

九州三十三観音霊場第四番札所並びに九州四十九院薬師霊場第四十九番札所 小松山 大興善寺

大興善寺は養老元年(717年)行基菩薩がこの地で草庵を結び十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されています。現在は、花寺「つつじ寺」の愛称で親しまれ茅葺屋根の本堂は春夏は鮮やかに晩秋は艶やかに「もみじの葉」に彩られます
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 七十五番札所 石橋山 御橋観音寺

1240年前に行基菩薩が海底で光を放つ大木から三体の観音像を敬刻し、開眼供養して東の海に流されたその内の1体が御橋観音寺となり現在まで信仰の霊地として栄えています。また二条の大石橋をはじめ春は桜、秋は紅葉と平戸八景の景勝地としても有名です。
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九州八十八ヶ所百八霊場

タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場 七十四番札所 岩問山 東漸寺

東漸寺は和銅年間(708年~15年)現在の奥の院にあたる岩問山に行基菩薩が草庵を結び、薬師如来を自刻し安置したのが始まりと伝えられています。その薬師如来様はいつでも拝観できます。ご本尊の前には「魔鏡」と言われる一枚の鏡が置かれています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第七十一番札所 医王山 浄漸寺 鎮西薬師

奈良時代の養老2年(718年)行基菩薩は、東大寺勧進のため全国を巡錫し、速木(現在の早岐)を訪れた折、楠木の霊木で薬師如来を刻み、堂宇を建立したのが浄漸寺の起源とされています。以来、霊験あらたかな薬師如来として隆盛をきわめていました。
九州二十四地蔵尊霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第六十六番札所 亀井山 東前寺

東前寺は和銅4年(711年)に行基菩薩を開祖として建立された寺院です。本尊薬師如来は、厄除薬師といわれ、戦国時代寺が焼かれた際には自ら飛んで火中を出でたと伝えられます。本堂の裏手には、亀井山」の名前の由来となった亀石と呼ばれる岩があります。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第五十九番札所 叡興山 光明寺

光明寺は天平年間(729~749)に開山です。入母屋造の本堂には、行基菩薩作のご本尊「十一面千手観音立像」を安置していますが、秘仏のため三十三年に一度開扉となっています。また参道脇に大師堂があり、その周りには八十八ヶ所の石像があります。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十三番札所 千福山 観蓮寺

観蓮寺は元は観琳寺といい、治承年間、平重盛菩提のため、矢瀬主馬佑が建立したと伝えられています。当時は禅宗の一派でしたが、大永6年(1526年)の瑞堅の乱に依り堂宇も焼失してしまい、慶長年間に再興した時から千福山観蓮寺と改称し真言宗に改められました
九州二十四地蔵尊霊場

九州二十四地蔵尊霊場 第十三番札所 亀井山 東前寺

東前寺は、長崎県東彼杵郡波佐見町にある高野山真言宗の寺院です。ご本尊は薬師如来座像で、九州八十八所百八霊場第六十六番札所ともなっていますが、今回は先行して地蔵霊場にスポットを当てて書かせていただきます。本堂裏の自然の石庭は心洗われる景観です。
九州西国霊場

九州西国霊場 第三十二番札所 冷泉山 龍宮寺

龍宮寺の開創年代は詳らかではありませんが、本尊の聖観音は慈覚大師・円仁の作と伝わり、太閤秀吉が博多の町割りをした頃より「博多七観音」の一つとして、広く人々の信仰を集めていたといわれています。寺名の通り「人魚」にまつわる伝説があるお寺です。
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