九州四十九院薬師霊場

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九州三十三観音霊場

九州三十三観音霊場第四番札所並びに九州四十九院薬師霊場第四十九番札所 小松山 大興善寺

大興善寺は養老元年(717年)行基菩薩がこの地で草庵を結び十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されています。現在は、花寺「つつじ寺」の愛称で親しまれ茅葺屋根の本堂は春夏は鮮やかに晩秋は艶やかに「もみじの葉」に彩られます
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第百番札所 護国山 金剛乗寺

金剛乗寺は天長2年(825年)弘法大師の開基にて「西の高野」と称され、当時は大伽藍を構えていました。文明5年(1473年)山鹿の温泉涸渇の折、中興宥明法印が、祈祷により温泉を復活させたのを祝って、山鹿の温泉祭が始められたそうです。 また、法印供養法要の際、山鹿庶民の献じた紙灯篭が灯篭祭の始まりとされています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第六十七番札所 三間山 東光寺

東光寺の寺史には、弘法大師が巡錫の砌り黒髪山に西光密寺(大智院)を創建された時、末寺として建立されたと伝えられているが、阿忍僧正をもって中興開基としています。阿忍僧正は、東光寺を再建して本尊に薬師如来を安置しました。
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九州四十九院薬師霊場

九州西国霊場 第十三番札所 阿蘇山 西巌殿寺

インドより来朝された最栄が、聖武天皇の勅願により自ら十一面観音を刻み、これを本尊として開基されたと伝えています。西巌殿寺はもともと単独の寺院の呼び名ではなく、最栄が最初に建立した寺院を本堂として、37の僧侶の坊舎がつくられ、これらの総称が西巌殿寺です。
九州四十九院薬師霊場

タイトル:九州四十九院薬師霊場 第十一番札所 桧原山 正平寺

寺記によれば、崇竣天皇御即位元年(587年)百済の国僧・正覚上人が来朝し、初め犬(院)ヶ岳に大窟山長福寺を開基し、その後に桧原山に移し一寺を建立したのが正平寺の開創だそうです。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第十番札所 石立山 岩戸寺

養老3年(719年)に仁聞菩薩にんもんぼさつの開創と伝えられる。 全盛時には、山6坊、里6坊の12坊を有し、六郷満山の中でも民衆教化・布教の地として重要な地位にあったといわれています。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第八番札所 金光明山 国分寺

豊前国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇が天下泰平と鎮護国家の祈願を込め建立を命じた寺院で、全国68箇所(66国と2島)に建立された「国分寺」の一つであり、境内地は、昭和51年(1976年)に国指定史跡に指定されています。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第七番札所 内尾山 相円寺

相円寺の御本尊の薬師如来は、行基作と伝えられている高さ272cmの木造坐像です。山の上の鍾乳洞の中の本堂に安置されています。本堂までは殿川ダム脇の参道を歩き、250余段の石段を登らなければならず、九州四十九院薬師霊場の中で最も難所だと言われています。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第六番札所 広寿山 福聚寺

第六番札所の広寿山福聚寺は北九州市小倉北区足立の自然豊かな場所にある黄檗宗(おうばくしゅう)という宗派の古刹です。秋には紅葉を見に観光客で溢れます。御本尊は「釈迦牟尼仏坐像」で、薬師霊場のご本尊が「薬師瑠璃光如来坐像」です。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第五番札所 右芳山 薬師院

薬師院は鞍手の町が一望できる荒五郎山の中腹にあります。創建は山口県の豊浦の里に願成院と称していたそうで、その後、安土桃山時代に当地に移転してきたと伝わっています。しかし、資料がないため、確かな縁起は定かではありません。
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