九州三十三観音霊場 第二十一番札所 大悲山 向陽寺

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九州三十三観音霊場
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九州三十三観音霊場 第二十一番札所 大悲山 向陽寺

向陽寺は享保年間に大矢野偏照院の別庵として開かれた寺院でかつては向陽軒と称していたそうです。霊場ご本尊の観音様は「松島慈光観音」と呼ばれていて、その他にも境内には33体の観音様を祀り、寺宝として「雨乞いの鐘」とよばれる梵鐘が保管されています。

『概略』

大悲山 向陽寺

創建

享保8年( 1723年) 天光丹瑞 和尚

宗派

曹洞宗

ご本尊

釈迦牟尼仏

釈迦如来について

釈迦如来は、古代インドの小国の釈迦族の王子として、本名はゴータマ=シッダールタです。妻や子供もいて実在しましたが、28歳で王位継承者の地位を捨て、四苦(生・老・病・死)から解放される道をもとめ、各地の先覚や修行者を訪れ、6年にわたる苦行を経てガヤー村の菩提樹の下で大悟を得て仏陀(覚者)となった仏教の始祖です。
釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています。
また釈迦如来は、唯一現世で悟りを開いた人物とされています。

釈迦は、母である摩耶夫人の右わきから生まれたといわれています。また、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名です。
この世で1番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持ってこの世に生まれてきたという意味です。
このときの姿をあらわしたものが、4月8日の花まつり(仏生会・灌仏会(ぶっしょうえ・かんぶっえ))に祀(まつ)られ、誕生釈迦仏と呼ばれています。

29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、仏陀(ぶっだ)・釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん、釈迦族の聖者という意味)・釈尊(しゃくそん)、如来などと呼ばれるようになりました。
この頃は人々に説法を説いていたそうです。

その後、45年間インドの諸国を説法して巡り教えを広めましたが、80歳に達した釈迦は死期を悟られ、クシナーラー域外の沙羅双樹下でかけつけたお弟子達に囲まれながら最後の説法を行い、自ら頭を北にし顔を西に向け横臥の姿で入寂され涅槃に入られたと伝えられています。

また釈迦如来を中心に文殊・普賢菩薩を脇侍とする釈迦三尊像も多くみられます。
密教尊としての釈迦如来は、人々を救済し、なすべきことを成就し、煩悩を消滅し涅槃を得る大日如来の智徳をつかさどる仏となっています。

悟りを開いた釈迦如来が残した様々な教えや言葉はお経として現在も使われています。

ご真言

のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

住所・連絡先

熊本県上天草市松島町合津2856 TEL 0969-56-0200
(地図)

アクセス

JRあまくさみすみ線 三角駅よりバス 合津中央下車 徒歩3分
境内脇に駐車場有り

ご詠歌

ひと旅の えにし結びて 有難し 合わす掌に 満つ慈悲と光と

雨乞いの鐘とともに(第二十一番札所 大悲山 向陽寺)

向陽寺は風光明媚な雲仙天草国立公園上天草市松島の一角にあり、悟室宗舜上座により享保8年(1723年)に観音堂が建てられたとされています。
開基は遍照院天光丹瑞和尚とされています。

その後大矢野遍照院の庵寺となり向陽軒と称しましたが、明治に入り正式に向陽寺として独立したそうです。

天草5号橋より、国道324号線と進むと役場を過ぎたあたりの一方裏手の道に向陽寺はあります。
駐車場は、山門左手の納骨堂である大悲殿の前に広々ととってありました。

道に面した山門をくぐると左手に鐘楼があり、右手が本堂です。

本堂内にはご本尊の釈迦牟尼仏をはじめ、魚介類のご供養のため、魚濫(ぎょらん)観音など木像の諸尊がお祀りされています。
その他にも、「雨乞いの鐘」とよばれる梵鐘が保管されています。

天草は地域がら保水力のある山が少なく、昔から水不足になることが多々ありました。この鐘は、日照り続きで水不足のとき、松島の海に浮かぶ池島において雨乞いをしていたときに使用していたものだそうです。
その池島には、2本の木が絡み合った松があり、この松は「鐘掛け松」と呼ばれていました。そして鐘を打ち鳴らして龍神をよぶ雨乞いをしていました。

ある年、雨乞いをしていたところ、たちまち黒雲が立ちのぼり、そして暴風雨が起こりました。
集まっていた人びとは、鐘を小船に乗せて逃げ帰ります。
帰る途中、不運なことに鐘をのせた一隻が転覆し、乗っていた人たちは、やっとのことで岸に泳ぎ着いたそうです。
しかし、鐘は敢え無く海中へと落下していってしまいました。

その後、鐘は、昭和53年(1978年)に天草五橋(5号橋)近辺の海中で発見されました。
1年ほどは発見者の自宅で保管されていましたが、鐘には向陽軒の文字が刻まれていることが分かり、急いで向陽寺に届けられたそうです。

最後に御朱印をお願いして、霊場ご本尊の場所をお尋ねすると、少し上った所にあるとのことで境内左裏手の小高い場所にお祀りされていました。
この観音様は、昭和63年に篠栗霊場からの申し出により認知症封じの観音様「松島慈光観音」を旧松島町の観光協会の手によって町民の皆さまの浄財により建立され、九州三十三観音霊場21番札所となりました。

その他にも境内や裏山には33体の様々な観音様がお祀りされています。

霊場ご本尊 聖(しょう)観世音菩薩について

別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。
六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
それら変化観音と区別するために変化観音に対して、変化しない観音をいい、また一番もとの観音(本来の姿の観音)という意味で、聖観音と呼ばれるようになりました。
単独で祀られることも多いのですが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。
ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。

ご真言

おん あろりきゃ そわか

南無高祖承陽大師

九州三十三観音霊場 第二十二番札所 月圭山 芳證寺

次回は、九州三十三観音霊場 第二十二番札所「月圭山 芳證寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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