九州八十八ヶ所百八霊場 第七十九番札所 松豊山 善福寺

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九州八十八ヶ所百八霊場
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善福寺の歴史は古く、創建は1335年(建武2年)に松浦氏の始祖を祀る今宮神社の別当寺(神職が祀りを兼ねる寺)及び今福松浦家の祈願所として寺上の地に創建。その後、幾度か移転・再建を繰り返した後、1909年(明治42年)現在地に建立されました。

『概略』

松豊(しょうほう)山 善福寺
(御朱印)

創建

建武2年(1335年)

宗派

真言宗智山派

ご本尊

阿弥陀如来立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)

ご真言

おん あみりた ていぜい から うん

阿弥陀如来について

阿弥陀如来は、無限の寿命を持つことから無量寿如来または無量光如来と漢訳されています。『無量寿経』には 「諸仏の中に於いて光明最尊第一にして、この光にあう者をして一切の苦から免れしめる」 と無量の光明の徳と無限の慈悲が説かれています。
限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。
四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。
ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。
仏像では、阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。
さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるともいわれ、その来迎の様子をあらわす場合もあります。

真言密教で表される阿弥陀如来は、衆生の宗教的素質がどのようなものかを妙(たえ)に観察し、 真理の教えを説いて疑惑を断じ、衆生にその本性が清らかで蓮華のようであることを知らしめる 大日如来の妙観察智の徳をつかさどる仏です。つまり大日如来の徳の一つを阿弥陀如来が受け持っているわけです。

H3 住所・連絡先

長崎県松浦市今福町仏坂免910 TEL 0956-74-0145
(地図)

アクセス

松浦鉄道鷹島口駅下車、徒歩5分
松浦鉄道今福駅下車、徒歩15分
今福バス停より徒歩4分
車の場合、国道204号線を伊万里方面へ向かい左手に今福港、今福バス停を過ぎ右折
境内に駐車場あり

ご詠歌

松豊の 峰に無量の 光満つ 功徳普(あまね)き 善福の寺

水軍の守り(第七十九番 善福寺)

松浦は、水軍で名を馳せた「松浦党」のゆかりの地で、善福寺も今福松浦家の庇護を受けていて、海上安全の祈願をしていたと思われます。
善福寺の歴史は古く、鎌倉時代末期に宗家松浦(今福松浦家)の祈願所として寺上の地に創建され、松浦氏の始祖を祀る今宮神社の別当寺(神職が祀りを兼ねる寺)となっておりました。
松豊山の号は、中興開山に功のあった幕府旗本今福松浦家、第二十三代当主豊公を敬い御名の「松浦源豊」をもって命名したものです。

参道を少し登ると、透かし彫りの美しい入母屋造二層の楼門になっている山門をくぐると境内です。

隣接の庫裏を訪ね、ご住職にご挨拶と納経朱印をお願いして本堂で参拝。
その本堂内に松浦直十三世が寄進した鰐口(わにぐち)があり、南北朝時代の在銘のある松浦党ゆかりの最古の金石文化として長崎県の文化財に指定されています。

本堂を出て、裏手の山間には、四国八十八か所の巡拝が出来るようになっており、霊験あらたかな空気に満ちています。

八十八の諸仏をひとつひとつお参りして、最後に大工や左官などの建築業の方々から篤い信仰を集めているという、十六孝養像のお姿の聖徳太子立像をお参りして、その日の巡拝を修めました。

南無大師遍照金剛

寺史によると、創建は建武2年(1335年)寺上村に建立され、正平10年(1355年)松浦直十三世が鰐口を寄進しました。
現在も寺宝として護持し、県の文化財に指定されています。
その後、天正2年(1574年)松浦親が薬師堂を建立し、阿尊和尚が本尊を勧請して開眼法要を営みました。
この頃、既に松浦党の庇護をうけて海上安全の祈願を厳修していました。善福寺は、
さらに天和元年(1681年)寺上村から仏坂免に寺領を移し、元禄8年(1695年)堂宇を再建して目芳法印が開山したと伝わります。
さらに時はくだり、明治42年(1909年)に妙康法印によって現在地に移し法灯を今に継承しています。

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第八十番札所「吉原山 鶴林寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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