九州二十四地蔵尊霊場 第十七番札所 東嶽山 西光寺

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九州二十四地蔵尊霊場 第十七番札所 東嶽山 西光寺 九州三十三観音霊場
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九州二十四地蔵尊霊場 第十七番札所 東嶽山 西光寺

西光寺は1687年に松浦藩の祈祷寺として建立されたお寺です。ご本尊虚空蔵菩薩は、元は武雄市杉の岳にある行基菩薩が建立されたお寺に安置されていましたが、約500年前に現西光寺の場所に虚空蔵菩薩が霊現されたことから、この地に移つされました。

九州二十四地蔵尊霊場会~より

『概略』

東嶽(たけ)山 西光寺
(御朱印)

別称

子育地蔵尊

創建

貞享4年(1687年)平戸藩主 松浦棟 開基・盛行法印 開山

宗派

真言宗 智山派

宗派

虚空蔵菩薩半跏像(本堂内)

ご真言

のう ぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか

ご詠歌

はるばると 大師の み跡 たどり来て 今ここに聞く 錫杖の声

霊場ご本尊

子育地蔵尊(地蔵堂内)

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

ご詠歌

はえば立て 立てば歩めの 地蔵尊 仏の慈悲も 母の心も

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

住所・連絡先

長崎県佐世保市上柚木町3213 TEL 0956-46-0011
(地図)

アクセス

JR佐世保線佐世保より西肥バス「柚木小学校西光寺前」下車 徒歩5分
国道35号線より大野右折、国見有料道路経由にて10分
伊万里より国見有料道路経由にて国見トンネルより5分
境内に駐車場あり

魔性の女の霊魂を静めた地蔵尊(第十七番 西光寺)

西光寺は1687年に松浦藩の祈祷寺として建立されたお寺です。ご本尊虚空蔵菩薩は、元は武雄市杉の岳にある行基菩薩が建立されたお寺に安置されていましたが、約500年前に現西光寺の場所に虚空蔵菩薩が霊現されたことから、この地に移つされました。

こちらは、九州八十八所百八霊場第七十三番札所九州三十三観音霊場第二十八番札所ともなっていますが、今回は先行して九州二十四地蔵尊霊場第十七番札所にスポットを当ててお伝えしてまいります。他の霊場札所に関しては御朱印等、後日、別途記事にてお伝えいたしますので、お待ちください。

九州二十四地蔵尊霊場第十七番札所の霊場ご本尊の東嶽山西光寺の子育地蔵尊は寛政6年3月、西光寺七世恭音の代に、松浦肥前守の御寄進による御尊体です。
魔性の女の霊魂が道行く人々を悩まして困っていたところ、この地蔵尊がお取り鎮めになったので、その霊験ことにあらたかなりと古来より信仰を集めています。

西光寺に到着すると境内の向かい側の駐車場に鎮座する大きな不動明王様が目を引きます。
こちらのスペースは交通安全祈願の車のお払い所ともなっています。

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そのお不動様と道を挟んで反対側の白壁に囲まれた山門を入ると正面に入母屋造の本堂があります。

九州二十四地蔵尊霊場 第十七番札所 東嶽山 西光寺

本来の山門、参道は本堂の左手にあり、その手前には八重桜より花びらが多い樹齢250年以上の「オオムラザクラ」という、この種の桜としては日本最古の珍しい桜の古木があり、長崎県指定の天然記念物となっています。

そしてその山門の先の参道にはこれもまた佐世保市の天然記念物の五月の中ごろには1メートルにも及ぶ花房を下げるという「野田フジ」の藤棚が連なっています。

境内に話を戻すと境内にある石段を上ると九州三十三観音霊場第二十八番札所となっている観音堂や護摩祈願殿、弘法大師を祀った奥の院があります。

その石段下に地蔵堂があり、こちらが九州二十四地蔵尊霊場第十七番札所となっていて篤い信仰をあつめています。

南無大師遍照金剛

境内を彩る四季折々の珍しい花々を愛でながらの参拝の方々の絶えないお寺であることがうかがえます。

先ほども申し上げましたが、九州八十八所百八霊場第七十三番札所・九州三十三観音霊場第二十八番札所の御朱印等は、後日改めてそれぞれのカテゴリーにて公開させていただきます。

九州二十四地蔵尊霊場 第十八番札所 岩戸山 宝積寺

次回は第十八番札所「岩戸山 宝積寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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