九州二十四地蔵尊霊場 第十三番札所 亀井山 東前寺

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九州二十四地蔵尊霊場 第十三番札所 亀井山 東前寺

東前寺は、長崎県東彼杵郡波佐見町にある高野山真言宗の寺院です。
ご本尊は薬師如来座像で、九州八十八所百八霊場第六十六番札所ともなっていますが、今回は先行して地蔵霊場にスポットを当てて書かせていただきます。
本堂裏の自然の石庭は心洗われる景観です。

『概略』

亀井山 東前寺
(御朱印)

別称

開運地蔵尊

創建

和銅4年(711年)行基菩薩

宗派

高野山 真言宗

ご本尊

薬師如来座像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)

ご真言

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

霊場ご本尊

地蔵菩薩(本堂内左手)
こちらの地蔵様は滅罪に殊に霊験のある仏さまで、運命を開拓したい方、幸運の生活を願う人が参拝合掌すれば御導きをくださる地蔵尊だそうです。
罪障がなくなれば福徳がひらけるのが開運地蔵尊のいわれです。

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

住所・連絡先

長崎県東彼杵郡波佐見町岳辺田郷1102 TEL 0956-85-3443
(地図)

アクセス

JR大村川棚線またはJR佐世保線有田駅から西肥バス平瀬下車、徒歩5分
長崎自動車道東そのぎインターから国道205号線、川棚駅前交差点を右折、波佐見神社のとなり
境内に駐車場あり

ご詠歌

大慈悲の 救いあまねき 地蔵尊 智慧と福寿を 祈れもろびと

念ずれば開く運命(第十三番 亀井山 東前寺)

和銅4年(711年)行基菩薩が波佐見村の金谷山に一寺を建立し、厄除薬師如来を安置したことが東前寺の始まりだそうです。

2016年、奈良の秋篠寺の外観を再現して本堂を新築再建された、天平様式の本堂が迎えてくれます。

九州二十四地蔵尊霊場 第十三番札所 亀井山 東前寺

左手の玄関から上がらせていただくと巡礼のご本尊、開運地蔵尊が居られます。

この開運地蔵尊は村木地区の鎮守として200年間住民の尊崇を受けてきましたが、神仏分離令により峰氏の預かるところとなりました。
その後峰氏が供養礼拝の足らざるを恐れ、東前寺に奉納されたそうです。

ある時、東前寺先師の龍昇法印にこのお地蔵様から夢告があり
「お前の宿命を動かすことは出来ないけれども、運命は変えることが出来る。身を浄め心を浄めて我を念ずれば必ず運命が開かれるであろう。」

私も参拝し、運命を開拓し幸せな生活を願いました。

続いて本堂に移り、もちろんご本尊の薬師如来坐像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)にも参拝させていただきました。

本堂の参拝を終えて、本堂裏手の奥の院にいたる庭園(遊亀庭)を拝見させていただきました。

数多くの石仏が点在し、小さな石橋を渡って宝形造の奥の院へと続いています。

奥の院には別名亀福大師と呼ばれる弘法大師が自然の岩座の上に安置されています。

その右手には大師加持水と書かれた井戸と亀に似た「亀石」と呼ばれ、東前寺のパワースポットとなっている岩があります。
この亀石が山号の由来とも言われています。

何度来ても清々しい霊気に満ちた素晴らしい場所です。

南無大師遍照金剛

そして今回は少し時間の余裕もあったのでお隣の「波佐美神社」にもお参りをしました。
御祭神は、天照大御神・建速須佐男神・伊邪那岐神・伊邪那美神です。

観応年中(今から650年前)彼杵郡の金谷山からお招きしてお祭りされた神で、天正の頃(400年前)に、キリスト教に破壊されたのを、寛永の頃(350年前)に、時の大村藩主の喜前公が再建されて波佐見の総鎮守として祭られた神社だそうですが、昨今では、恋愛運アップの御利益があるとして、パワースポットになっているようです。

九州二十四地蔵尊霊場 第十四番札所 展海山 六大寺

次回は第十四番札所「展海山 六大寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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