九州二十四地蔵尊霊場 第十二番札所 成就山 本願院

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九州二十四地蔵尊霊場 第十二番札所 成就山 本願院 九州二十四地蔵尊霊場
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九州二十四地蔵尊霊場 第十二番札所 成就山 本願院

成就山本願院は、高野山金剛峯寺の塔頭寺院、鍋島本願院の別院として明治初期に建立された寺院です。本堂再興の際に描かれた弘法大師一代記の70枚を含む、数百枚ほどの天井絵で彩られた格天井は素晴らしく、参拝者を唸らせます。

九州二十四地蔵尊霊場会~より

『概略』

成就山 本願院
(御朱印)

別称

日限(ひぎり)地蔵尊

創建

明治初期

宗派

高野山 真言宗

ご本尊

無量寿如来


阿弥陀如来は、無量寿如来または無量光如来と漢訳されています。
『無量寿経』には「諸仏の中に於いて光明最尊第一にして、この光にあう者をして一切の苦から免れしめる」 と無量の光明の徳と無限の慈悲が説かれています。
日本では極楽浄土の思想が普及し、西方極楽浄土の教主「阿弥陀」として最も広く盛んに信仰された仏様です。

ご真言

ご真言 のうまく さんまんだ ぼだなん さんさく そわか

地蔵菩薩(霊場ご本尊・日限地蔵堂内)


日限をきってお願いをしますと、不思議と願いを成就させてくださる地蔵尊です。

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

H3 住所・連絡先

佐賀県佐賀市伊勢町5番18号 TEL 0952-23-0880
(地図)

アクセス

JR長崎本線『佐賀駅』より車で10分

ご詠歌

日をきりて 参れば嬉し もろ人の 苦しみ救う 地蔵本願

日限をきってのお願い(第十二番札所 成就山 本願院)

本願院は伊勢町の住宅街に伽藍を構えています。

本堂には、弘法大師の一代が70枚ほどの天井絵で描かれ、他の天井絵と合わせるとその数は数百枚ほどにもなる。参道両側には石燈籠、また八十八か所を象徴する多くの小石像も本堂右手などに並んでいる。日限地蔵堂内には、日限地蔵尊・弘法大師・不動明王に加え、霊験あらたかなる「おさすり大師」も祀られている。

成就山 本願院は、高野山金剛峯寺の塔頭寺院、鍋島本願院の別院として建立された寺院で、明治大正の頃までは、「高野山」の名称で通り、本山参りと称して県下一円の信徒が参詣していました。 

九州二十四地蔵尊霊場 第十二番札所 成就山 本願院

ご本尊は無量寿如来(阿弥陀如来)ですが、高野山と通称する如く、佐賀における弘法大師信仰の中心道場をなしていますので、昔から本堂正面に弘法大師の尊像が安置されています。

さて霊場ご本尊の日限地蔵尊ですが、本願院再興開山とも言うべき第一世義豊法師が、本堂建立に心魂をついやされていた頃、ある夜、地蔵菩薩のお姿を夢に見られ、そのご加護を念じ、遂に本堂建立の大願を成就されたそうです。
その報恩謝徳の為に建立されたのが日限地蔵尊であり、本堂手前の地蔵堂に安置されておられます。

その日限地蔵堂内には日限地蔵尊はもとより、不動明王や霊験あらたかなる「おさすり大師」もお祀りされていて、私も擦らせていただきました。

南無大師遍照金剛

現在、ご住職は佐賀大学医学部小児科の病院内学校に勤務の教員として、そして本願院の住職として、二足のわらじでお忙しい日々を送られておられます。

九州二十四地蔵尊霊場 第十三番札所 亀井山 東前寺

次回は第十三番札所「亀井山 東前寺」をお伝えしていきます。

九州二十四地蔵尊霊場第九番札所「新高野山 大師寺」・九州二十四地蔵尊霊場第十番札所「清影山 如意輪寺」・九州二十四地蔵尊霊場第十一番札所「大日山 不動寺」の記事及び御朱印等は九州八十八所百八霊場のカテゴリーにすでに公開してありますので、ご参照いただければ幸いです。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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