九州二十四地蔵尊霊場 第十八番札所 岩戸山 宝積寺

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九州二十四地蔵尊霊場 第十八番札所 岩戸山 宝積寺

宝積寺は久安年間、松浦党・松浦源四郎大夫直が国家の隆昌、住民の安泰、仏道の興隆、一門の繁栄を祈念し祈願寺として開基したお寺です。また佐賀県無形文化財として「脇野の大念仏」が伝承されているお寺でもあります。

九州二十四地蔵尊霊場会~より

『概略』

岩戸山 宝積(しゃく)寺
(御朱印)

別称

延命地蔵尊

創建

久安年間(1145年~50年)松浦源四郎大夫直 開基・法印快辯 開山

宗派

高野山真言宗

ご本尊

不動明王(本堂内)

ご真言

のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん

霊場ご本尊

延命地蔵尊(地蔵堂内)

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

ご詠歌

岩戸より 籠華のときに いたるまで 救わせ賜う 慈悲の御佛

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

住所・連絡先

佐賀県伊万里市東山代町脇野4944 TEL 0955-23-7934
(地図)

アクセス

JR伊万里駅より車で10分
国道204号線:伊万里信用金庫東山代支店一つ目の信号を左折 約1km
門前に駐車場あり

幼子の声が聞こえてきそうな長閑な寺院(第十八番 宝積寺)

門前はのどかな水田地帯です。

石段を上り、鐘楼門をくぐり、境内に入ると本堂前には石仏群と不動明王像・子安大師像・延命地蔵尊像などがあり、脇野保育園も併設されています。
それゆえ本堂前は多数の遊具が設置されています。
参拝日は土曜日でしたので子供さん達に会うことはありませんでしたが、平日だと境内中に元気な声が飛び交え、元気に走り回る姿が見られたことでしょう。

そしてその園児たちを見守るようにどっしりとした本堂が迎えてくれます。

九州二十四地蔵尊霊場 第十八番札所 岩戸山 宝積寺

宝積寺は松浦党の祈願道場として不動明王を本尊として建立されました。

併せて郷社として勝軍地蔵菩薩を本尊として青幡大明神(青幡神社)を勧請創建しました。
その後明治の神仏分離令により本地仏である延命地蔵菩薩を奥の院(白蛇山、奥の院 薬師堂)に安置されました。

参拝後再び鐘楼門をくぐり駐車場に戻ると、隣の公民館の敷地には表情豊かなユーモラスな案山子が見送ってくれました。

南無大師遍照金剛

宝積寺では毎年8月21日夜、伝承芸能で佐賀県の重要無形民俗文化財にも指定されている「脇野の大念仏」という念仏踊りが披露されます。
白装束の踊り手が鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らし、平安時代が起源とされ、900年変わらないとされる所作で舞われます。

念仏踊りのもとになった「踊り念仏」は、平安時代に空也(くうや)上人が念仏を広めるために、宗教儀礼として踊ったのが始まりとされ、その後、鎌倉時代に一遍(いっぺん)上人が行ってから全国に広まったといいます。踊り念仏が人びとの娯楽のために行われたり、衣装が派手になったりしたものが念仏踊りで、昨今の念仏踊りの多くは、娯楽化が進み、衣装も華美になっていることが多いのですが、脇野の大念仏は衣装や手の舞、足の踏みなどに厳格な決まりが残っていて大変貴重なものだそうです。
また踊り手の笠白衣には地蔵菩薩の種字「カ」が書かれていて、この大念仏が地蔵菩薩に奉納する踊りであることがわかります。

九州二十四地蔵尊霊場 第十九番札所 風浪山 隆善寺

次回は第十九番札所「風浪山 隆善寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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