九州八十八ヶ所百八霊場 第六番札所 医王山 南淋寺

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九州八十八ヶ所百八霊場
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南淋寺は、日本仏教二大巨頭のひとり、伝教大師最澄の創建のお寺です。
開創1200年余りという歴史のあるお寺ゆえ、幾多の変遷もあり、多くの逸話もたくさん残っているお寺で、ご本尊、薬師如来坐像は最澄が自ら一刀三礼して彫ったと言われる尊像で国の重要文化財にも指定されています。

『概略』

医王山 南淋寺
(御朱印)

創建

 806年(大同元年)伝教大師 最澄
1346年(貞和2年)中興開山立翁宗本より曹洞宗に改宗
1648年(慶安元年)福岡藩第二代藩主・黒田忠之の命により真言宗に改宗 (曹洞宗 南林寺は福岡県前原市に現存)
 

宗派

大覚寺派

ご本尊

薬師如来坐像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

薬師如来について

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
 世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
 困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

日光菩薩・月光菩薩

この二尊はそれぞれ単独で信仰されることはありません。
常にペアで薬師如来様をお護りされています。
通常は向かって右側(左脇侍)に日光菩薩、左側(右脇侍)に月光菩薩が左右対称に配されています。
日光菩薩は日光遍照とも呼ばれ、千の光を放ち天下を照らし衆生を救済するお役目があります。一方、月光菩薩は月光遍照とも呼ばれ、薬師如来様の正しい教えを守るお役目を担っておられます。
両菩薩ともに衆生の不安や苦しみ、謂わば闇の部分に昼夜分かたずひかりを照らしておられます。
その象徴として、日光菩薩は太陽・日輪、月光菩薩は月・月輪を手にした蓮華にのせられています。(宝冠に太陽、月を表す場合もあります)

日光菩薩 ご真言

おん そりや はらばや そわか

月光菩薩 ご真言

 おん せんだら はらばや そわか

十二神将

薬師如来様に付き従うガードマン的存在の一団です。
と同時に経典を読む人々を守るという役目も担われています。
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るといわれています。そのため中国や日本では十二支が充てられています。その割り当てには解釈の違いによって諸説ありますのでご注意ください。当ブログでは混乱を避ける意味から、敢えて割り当てられた十二支は省かせていただいております。
平安時代以降、頭上に標識として干支の動物を掲げている像が一般化され、十二支の彫刻がないものを古様、あるものを新様といいます。
さらに十二神将にはそれぞれ如来・菩薩・明王が化身されたものと言われています。

十二神将とご真言

宮毘羅大将(金毘羅童子、宮比羅)(くびらたいしょう)
   おん くびら そわか

伐折羅大将(金剛力士)(ばさらたいしょう)
   おん ばさら そわか

迷企羅大将(めきらたいしょう)
   おん めきら そわか

安底羅大将(あんてらたいしょう)
   おん あんて(ち)ら そわか

頞儞羅大将(あんにらたいしょう)
   おん あんにら そわか

珊底羅大将(さんていらたいしょう)
   おん さんて(ち)ら そわか

因達羅大将(帝釈天)(いんだらたいしょう)
   おん いんだら そわか

波夷羅大将 (はいらたいしょう)
   おん はいら そわか

摩虎羅大将(まこらたいしょう)
   おん まこら そわか

真達羅大将(緊那羅)(しんだらたいしょう)
   おん しんだら そわか

招杜羅大将 (しょうとらたいしょう)
   おん しょうとら そわか

毘羯羅大将(びからたいしょう)
   おん びから そわか

住所・連絡先

福岡県朝倉市宮野86 TEL 0946-52-0332
(地図)

アクセス

西鉄大牟田線朝倉街道駅下車
朝倉街道 (山家道方向)バス停より西鉄バス行き先番号40・41(杷木・原鶴方面行)乗り換え
比良松下車 徒歩15分
大分自動車道朝倉インターを下りて国道386号/国道210号/朝倉/吉井 方面
朝倉I.C入口(交差点)を右折して 県道80号
比良松(交差点)を直進して、そのまま宮野橋/国道386号へ進む (福岡/筑紫野 の表示)
1kmほど走り、寺標に従い右折
2kmほど走り、左折
境内手前に駐車場あり

ご詠歌

瑠璃光の 薬師如来の おん恵み 罪も病も 救わるるかな

他の霊場札所

九州四十九院薬師霊場

霊場ご本尊・九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊と同じ
 ご詠歌 薬師如来の おん恵み 罪も病も 救わるるかな
 ご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
(御朱印)

幾多の水害を乗り越えて

九州北部豪雨で甚大な被害を被った朝倉市。
そのはずれの日本の原風景ともいえる田園風景が広がる山懐に南淋寺は佇んでいます。

国道から寺標を目印に右折し、桃畑の間を山手の方へ登っていき、辺りが山懐に抱かれるようになると「南淋寺」の駐車場に着きます。

第57代桓武天皇の延暦23年7月、比叡山の僧最澄(後の伝歓大師)と空海(後の弘法大師)は遣唐使の一行として唐に向かいました。
その途中暴風雨に見舞われ、入唐を諦めなければならない状態でした。
この時最澄は「無事に唐の国に渡ることが出来たら、お礼に仏像を刻み寺を建てて衆生を救うため一生を捧げます。」と、仏に祈られ無事に唐の国に到着したそうです。
そして帰国後、誓願を果たすため良材を求めて筑前の山々を尋ね、ようやく現在の朝倉市古処山の麓で霊木を見出し、七体の仏像を一刀三礼して彫刻し開眼法要され、「それぞれの御安座の地に向かわれよ」と祈ると一夜にしてその七体の仏像は無くなったのでした。
最初の一体を朝倉市秋月の地でまつる予定だった最澄は仏様の第一番の尊像は南方の林にあり、瑞雲たなびくところ」というお告げにより、現在の朝倉市長渕で見つけ、そこに寺を建立し、仏を奉り「医王山南林寺」と名付けました。

ちなみに他の六尊

第2番 比叡山根本中堂(本尊) 京都府比叡山
第3番 宝満山宇智山中堂 廃寺
第4番 東光院 福岡市堅粕…廃寺(福岡市美術館所蔵)
第5番 種因寺 嘉穂郡桂川町…仏像
第6番 因幡堂 京都市四条
第7番 広降寺 京都市太秦

その内、第三番以外は現存しています。

その後、長渕は筑後川の氾濫たびたび洪水に遭ったため、貞和2年、曹洞宗に改宗した折に、八坂(現在の朝倉市宮野)の地に移転しました。
最近では2012年(平成24年)の『九州北部豪雨』により奥の院がある裏山が損壊するなどの被害に見舞われました。(ちなみに余談ですがその年のNHK「ゆく年くる年」の中継が入りました)
しかし、今度はたびたびの戦火や火災のために災難が続きました。 
その時、本尊が「火事を防ぐために林に水を注げ」とのお告げをがあり、境内裏手に三つの井戸(現在の裏庭の池)を掘り、「林」に「サンズイ」をつけて「淋」とし「南淋寺」と改めた。以後数百年火災に遭うことはありませんでした。

駐車場に車を停め、山門から石段を登りつめると、入母屋造の薬師堂、客殿が並んでいます。

ご本尊は脇侍の日光菩薩・月光菩薩、眷属である十二神将とともに薬師堂背後の宝蔵に安置されていますが、ご本尊の薬師如来坐像は国の重要文化財となっています。
十二神将は通常12体で構成されていますが、こちらの十二神将は子神像が2体あって13体の構成となっています。それには次のような逸話が伝わっています。

『ある日十二神将の1体がなくなっていたので新しい1体を造りました。
当時、寺では潮が不足していて困っていたのですが、思いもかけず姪浜から20駄の塩が届きました。
当寺の僧の一人が勧進した塩であるというので、仏殿を開いてみると、無くなっていた子神像が戻っていて、その足には泥が付いていました。』

それ以来、南淋寺では13体の十二神将がお祀りされています

また南淋寺は二度の改宗で現在の真言宗のお寺となっていますが、曹洞宗から真言宗に改宗した時にも逸話が残っています。

『当時の福岡藩の第二代藩主である黒田忠之が福岡の東光院に参詣した折に寺の飼い猫が膳にのった鰹節を食べようとしないのを見て、和尚が日頃精進しているので、猫まで鰹節に馴染まないと讃え、南淋寺も菩提寺である東光院と同じ真言宗にしようとしましたが、曹洞宗から異議が出て、それならばと、糸島に新たに南林寺を建てて替え寺にして(現存)朝倉の南淋寺を真言宗に改宗させました。』

ちなみに東光院も806年(大同元年)伝教大師 最澄開山の天台宗のお寺で、その後曹洞宗に改宗し、さらに黒田忠之より再建され、福岡城近くの密寺東光院と合併し、薬王密寺東光院となり真言宗に改宗した縁起があります。現在は廃寺となっておりその歴史的価値から福岡市の史跡に指定され、歴史公園として保存・管理されています。
また本尊薬師如来立像ほかの文化財は福岡市に寄贈され、福岡市美術館に所蔵されています。

南無大師遍照金剛

お寺ごとに様々な縁起があり、その内容は「昔話」でも聞くようで、それぞれの紐解くのも巡拝の楽しみかもしれません。

次回は第七番札所「普賢山 興徳院」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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