九州八十八ヶ所百八霊場第百三番札所 姑射山 大定寺

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九州三十三観音霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場第百三番札所 姑射山 大定寺

嬉野温泉郷に近く、肥前吉田焼の窯元が連なる吉田の町に甍を並べる大定寺は慶長年間に藩主鍋島直純が開山、権大僧都阿金和尚を迎え創建されたと伝えられ、鍋島藩の祈願寺として栄えました。境内には大きな楠の古木がそびえ、新旧さまざまな石仏が並んでいます。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

姑射(こや)山 大定寺

創建

慶長年間(1596年~1614年)肥前蓮池藩初代藩主 鍋島直澄 開基・権大僧都 阿金和尚 開山

宗派

真言宗大覚寺派

ご本尊

弘法大師坐像

ご宝号

南無大師遍照金剛

弘法大師空海について

弘法大師空海は、832年3月21日「56億7千万年後、弥勒菩薩がこの世に出られるまで、生きとし生きるものすべてを見守る」という誓願のもと、ご入定(にゅうじょう)しました。
真言密教を中国から伝えられただけではなく人々のために尽くされたそうです。
たとえば、「干ばつにあえぐ人々に対する雨乞いの修法」や「仏様のお導きによる井戸の発見」「国中に疫病が流行した際の修法や医療対策」「満濃池の修築(建築、土木)」さらには「日本初の庶民の学校『綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)』の開設」などど多岐にわたり、特に、民衆の視点に立った社会活動を行ったそうです。
このため、民衆を救う弘法大師伝説が全国各地に生まれ、四国遍路に見られる根強い大師信仰が育まれました。
そして今も高野山奥の院(和歌山県)におられ、世の中の平和と人々の幸福を願っておられるそうです。

住所・連絡先

佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田丁4129 TEL 0954-43-9645
(地図)

アクセス

長崎自動車道 嬉野インターから車で約10分
門前に駐車場あり

ご詠歌

わけのぼる はなのうてなの のりのやま だいしのめぐみ うけてうれしき

他の霊場札所

九州三十三観音霊場第二十五番札所

美肌の湯に程近く自ら刻む弘法大師像(第百三番 大定寺)

日本三大美肌の湯で有名な嬉野温泉の程近く、そして有田焼と並び四百数十年の歴史を持つ肥前吉田焼の窯元が軒を連ねる地に大定寺があります。

九州八十八ヶ所百八霊場第百三番札所 姑射山 大定寺

苔むした風情のある石垣を割って登る石段の上に山門があります。
その山門に掲げられている扁額は、東郷ターンで有名な東郷平八郎直筆だそうです。

山門を潜り、境内に入ると大きな楠の古木が迎えてくれます。
そして正面には本堂、右手に庫裡、そして左手に八角形の十三仏永代供養塔や六地蔵、そしてボケ封じの聖観音像など新旧様々な石仏が点在している境内です。
大定寺は分家である蓮池藩初代藩主の鍋島直澄公が権大僧都阿金和尚を嬉野に招き創建され、宗家鍋島藩の祈願寺として栄えていましたが、明治に入り廃藩置県で寺領を没収されたため衰退し明治12年に現在地の吉田に移されたそうです。

本堂にお祀りされているのは永代秘仏となっている弘法大師像。
この尊像は、大師自身が嬉野を守護するために自らの姿を刻んだと伝わっています。

境内のぼけ封じの聖観音立像は九州三十三観音霊場第二十五番札所ともなっています。

南無大師遍照金剛

江戸時代に入って鍋島直茂が佐賀藩の藩主に就くと、焼物の生産をさらに活性化させるために朝鮮から職人を招き、吉田の地に窯元を構えたことから吉田焼が誕生しました。肥前吉田焼の特徴は古くから生活向けの食器類を焼いてきていて、確立されたスタイルは存在しませんが、湯呑み、茶碗、酒器からコーヒーカップ、花瓶まで幅広く生産されています。

九州八十八ヶ所百八霊場第百四番札所 黒髪山 大智院

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第百四番札所「黒髪山 大智院」をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを 合掌

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