九州八十八ヶ所百八霊場 第六十一番札所 普明山 高野寺

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九州三十三観音霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場第六十一番札所 普明山 高野寺

大同元年(806年)弘法大師が密教を学ばれ、九州博多に帰朝され九州各地を行脚しておられた折、この土地が紀州の高野山に似ておることからこの地を肥前の高野山と定め、草の庵を結ばれたのがこの寺の始まりと伝えられています。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

普明山 高野寺
(御朱印)

別称

しゃくなげ寺
子宝観音

創建

大同元年(806年) 弘法大師・空海

宗派

真言宗大覚寺派

ご本尊

十一面千手観音立像
(お御影)

ご真言

おん ばざら たらま きりく

十一面千手観音について

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によってどんな願いも見落とさず、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
蓮華王とは泰三界曼荼羅で観音が配される場所である「蓮華部」の中で、最高位となっています。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

千手観音は、人々を救うための手が多い分、得られるご利益も多いと考えられています。そのため、災難除け、病気平癒などあらゆる現世利益を網羅しているのです。
そのご利益です。
厄災厄除・苦難除去・病魔退散・悪疫守護・諸願成就・平穏無事・頭痛平癒・病気(難病)平癒・奇病快癒

さらに、夫婦円満や恋愛成就、安産や子宝成就にも功徳があるとされていて、後生善処(ごしょうぜんしょと読みます。亡くなったあと来世でも幸せに過ごせることを言います。)などのご利益もあります。

また六観音(聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音または不空羂索観音・如意輪観音)の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
餓鬼道に生まれ変わる人は、生前に自己中心的な生活を送っていたり、欲望のままに生きていた人々で、ノドの渇きも潤せず、食べることが叶わないため渇きと餓えに苦しみ続けると言われています。

住所・連絡先

佐賀県武雄市北方町志久3245 TEL 0954-36-3616
(地図)

アクセス

JR佐世保線北方駅から徒歩15分
JR武雄温泉駅から祐徳バス佐賀行き、北方町役場前下車、徒歩5分
長崎自動車道武雄北方インターから国道34号線を北方方面へ、北方役場前の寺標を左折
門前に駐車場あり。

ご詠歌

ありがたや 大師が開く 高野寺 いにしえ語る しゃくなげの風

他の霊場札所

九州三十三観音霊場第二十六番札所

 霊場ご本尊・聖観音立像 本堂前
 ご詠歌 ありがたや 大師が開く 高野寺 いにしえ語る しゃくなげの風(九州八十八所百八霊場と同じ)
 ご真言 おん あろりきゃ そわか
(御朱印)

肥前の高野山(第六十一番 高野寺)子宝観音

長崎自動車道・武雄北方インターを下りて北方の役場方面へ国道34号線を進むと「シャクナゲ寺 高野寺」という大きな寺標を目印に進むと目指す「高野寺」があります。

弘法大師空海が唐より帰朝後、九州各地を行脚していた折、この地が紀州の高野山に似ていることから「肥前の高野山」と定め、ここに草庵を結んだことがこの寺の始まりと言われています。
その草庵に自ら刻んだ千手観音を本尊として安置しました。
こちらも廃仏毀釈などで衰退していたのですが、現在はその当時がうかがい知れぬほど復興して壮大な伽藍が展開されています。

大師は今でこそ穀倉地帯となった佐賀平野の開墾を教示し、そのためには人手を増やさなければとその観音様に祈りを奉げれば子が授かり、安産で元気に育つと言われされました。
そのため現在も子宝観音として篤く信仰され、子授け、安産、子育ての祈願がたえません。

そのご本尊の十一面千手観音は像高:3.25mで西日本で一番大きなものだそうです。
しかし現在の尊像は、実は文政11年(1828年)不慮の火災に遭い、台座を残して焼失してしまいましたが、近年新しく造立され、いにしえの弘法大師ゆかりの台座の上に奉安されています。

高野寺は九州八十八ヶ所百八霊場第六十一番札所の他、九州三十三観音霊場第二十六番札所肥前国西海七福神めぐり第四番(毘沙門天)となっています。

山門左前には七福神が並んで、参拝客を迎えてくれます。
また、山門脇には仁王像、山門向いにはえんま大王像が鎮座されています。
山門をくぐると、九州三十三観音霊場第二十六番札所となっている「ぼけ封じ観音堂」があり、堂内にはぼけ封じ観音(黒色の聖観世音菩薩)や数多くの小さな水子地蔵が祀られています。
そんなに広くはないこの山門域を出ると、大きな不動明王が脇に立っているもう一つの山門があります。
本堂脇入り口に着き、靴を脱いで本堂へ向かいます。
その途中に納経所、御朱印状受付けなどがあります。

堂宇は斜面に沿うように本堂、奥の院(大師堂)、三重の塔(多宝塔)の順に木造の回廊・階段で結ばれています。
回廊の一番先の行き止まりは不動堂で、36体の不動明王が祀られています。
不動堂の少し手前から、準備されているスリッパを履き回廊外部に出るとすぐに奥の院があります。

この本堂は平成18年(2006年)に高野寺開創1200年を記念して新しく建立したもので、以前の本堂も、山門を入って正面、観音堂に隣接して宝形造の茅葺の簡素な佇まいで残っています。

さてここ高野寺は佐賀多久藩の祈祷寺として代々帰依を受け、残されている古文書には
いかなる咎人も高野寺の境内に走りそうらえば、その罪許される
とあり、近世の駆け込み寺の役割もしていた罪障消滅の道場だったそうです。

南無大師遍照金剛

高野寺は別名「シャクナゲ寺」と呼ばれていて、境内には樹齢300年を超えるものを含み1000本以上のシャクナゲがあり、4月初旬には開花し、5月初旬までシャクナゲ祭りが催されます。その時期には見事なばかりに花々に溢れかえるそうです。
また秋には紅葉狩りを兼ねた参拝客でも賑わうそうです。

九州八十八ヶ所百八霊場第六十二番札所 密厳山 誕生院

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第六十二番札所「密厳山 誕生院」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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