九州八十八ヶ所百八霊場 第六十七番札所 三間山 東光寺

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九州八十八ヶ所百八霊場第六十七番番札所 三間山 東光寺 九州八十八ヶ所百八霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場第六十七番番札所 三間山 東光寺

東光寺の寺史には、弘法大師が巡錫の砌り黒髪山に西光密寺(大智院)を創建された時、末寺として建立されたと伝えられているが、阿忍僧正をもって中興開基としています。阿忍僧正は、東光寺を再建して本尊に薬師如来を安置しました。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

三間山 東光寺
(御朱印)

創建

大同年間(806年~10年) 弘法大師・空海
天文16年(1547年) 中興開基 阿忍僧正

宗派

真言宗大覚寺派

ご本尊

薬師如来座像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじる心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

日光菩薩・月光菩薩

この二尊はそれぞれ単独で信仰されることはありません。
常にペアで薬師如来様をお護りされています。
通常は向かって右側(左脇侍)に日光菩薩、左側(右脇侍)に月光菩薩が左右対称に配されています。
日光菩薩は日光遍照とも呼ばれ、千の光を放ち天下を照らし衆生を救済するお役目があります。一方、月光菩薩は月光遍照とも呼ばれ、薬師如来様の正しい教えを守るお役目を担っておられます。
両菩薩ともに衆生の不安や苦しみ、謂わば闇の部分に昼夜分かたずひかりを照らしておられます。
その象徴として、日光菩薩は太陽・日輪、月光菩薩は月・月輪を手にした蓮華にのせられています。(宝冠に太陽、月を表す場合もあります)

日光菩薩 ご真言

おん そりや はらばや そわか

月光菩薩 ご真言

おん せんだら はらばや そわか

十二神将

薬師如来様に付き従うガードマン的存在の一団です。
と同時に経典を読む人々を守るという役目も担われています。
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るといわれています。そのため中国や日本では十二支が充てられています。その割り当てには解釈の違いによって諸説ありますのでご注意ください。当ブログでは混乱を避ける意味から、敢えて割り当てられた十二支は省かせていただいております。
平安時代以降、頭上に標識として干支の動物を掲げている像が一般化され、十二支の彫刻がないものを古様、あるものを新様といいます。
さらに十二神将にはそれぞれ如来・菩薩・明王が化身されたものと言われています。

十二神将とご真言

宮毘羅大将(金毘羅童子、宮比羅)(くびらたいしょう)
   おん くびら そわか

伐折羅大将(金剛力士)(ばさらたいしょう)
   おん ばさら そわか

迷企羅大将(めきらたいしょう)
   おん めきら そわか

安底羅大将(あんてらたいしょう)
   おん あんて(ち)ら そわか

頞儞羅大将(あんにらたいしょう)
   おん あんにら そわか

珊底羅大将(さんていらたいしょう)
   おん さんて(ち)ら そわか

因達羅大将(帝釈天)(いんだらたいしょう)
   おん いんだら そわか

波夷羅大将 (はいらたいしょう)
   おん はいら そわか

摩虎羅大将(まこらたいしょう)
   おん まこら そわか

真達羅大将(緊那羅)(しんだらたいしょう)
   おん しんだら そわか

招杜羅大将 (しょうとらたいしょう)
   おん しょうとら そわか

毘羯羅大将(びからたいしょう)
   おん びから そわか

H3 住所・連絡先

佐賀県武雄市山内町大字三間坂甲14866 TEL 0954-45-4533
(地図)

アクセス

JR佐世保線三間坂駅から徒歩15分
武雄温泉から国道35号線を西へ、三間坂幼稚園の案内板を左折する
境内下に駐車場あり

ご詠歌

旭日さす 瑠璃の光りに 照らされて いのりささげむ けふのうれしさ

他の霊場札所

九州四十九院薬師霊場 第三十七番札所

霊場ご本尊・本堂

ご詠歌

旭日さす 瑠璃の光りに 照らされて いのりささげむ けふのうれしさ(九州八十八所百八霊場と同じ)

ご真言

ご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
(御朱印)

キリシタン観音のおわす寺(第六十七番 東光寺)

佐賀県西部に位置する三間坂は長崎県境を塞ぐ神六山の裾野に拓けた盆地で、信仰の中心は黒髪山に縁起しています。
東光寺の寺史には、唐から帰朝した弘法大師が巡錫のおり黒髪山に大路十九番札所となっている西光密寺(大智院)を創建されたとき、その末寺として建立されたと伝えられていますが、阿忍僧正をもって中興開基としています。

鎌倉時代には黒髪三所権現と称して修験の道場となり、本地仏に薬師如来・阿弥陀如来・千手観音を奉安して武雄領主の祈願所として栄えました。
その後、火災により焼失しましたが、天文16年(1547年)阿忍僧正が再興し中興開基としています。
阿忍僧正は天文16年(1547年)、東光寺を再建して本尊に薬師如来を安置しました。
脇持は阿弥陀如来と聖観音を合祀し、後の明暦二年(1656)城主茂和の命により黒髪大権現を勧請して鎮守神と崇め、神仏合体の信仰を宣揚しました。  

脇持の阿弥陀如来は安阿弥の作と伝え、厨子に願文が書されているそうです。
それによると『曰奉造厨子一字信心。大檀那後藤藤原純明公。権少僧都阿忍。天文十六年卯月八日 東光坊』とあります。

その後、領主(後藤家)の崇信は篤く、元亀3年(1573年)後藤貴明は仏殿を造営し、寛文7年(1667年)後藤茂紀は仏像の修復に寄与するなど、代々料米を下附して外護につとめられました。

しかし、明治三年の神仏分離令によって鎮守社は近くに独立移転し、東光寺も寺運の衰退気味になりましたが、法灯は継承され定額位(毎年正月八日から一週間、東寺で行われる「後七日御修法」に奉仕する僧侶)まで昇った名僧の先代隆堅和尚により現在のような伽藍が整備されました。

寺宝として現存する兼好法師撰、小倉山京極定家筆「真髪山紀事」の古文書は、弘法大師と黒髪山との関係を知る上での貴重な史料です。

入母屋造に向拝をつけた本堂内陣に阿忍僧正が安置したしたご本尊の薬師如来、脇侍に阿弥陀如来と聖観音の他、不動尊、愛染明王などの尊像が祀られています。

九州八十八ヶ所百八霊場第六十七番番札所 三間山 東光寺

その薬師如来様は九州四十九院薬師霊場の霊場ご本尊ともなっています。

南無大師遍照金剛

堂内にある尊像の中でひときわ異彩を放つ尊像がガラスケースに収めています。

ひとつは、有田焼(深川製磁)の聖観音立像ですが、牛の骨紛を混入する事により一層の白さを際立たせていて、不思議にも人を寄せつける力があり熱心な信仰を集めているそうです。

もうひとつは、像高20センチほどの金銅仏です。
鋳造年代は不詳ですが、一見したところ、白衣観音坐像のようで、弥陀定印のように手を組んでいますが、不思議なことに右手の中指を立てています。
これは交差する親指と中指で十字架を表現していて、隠れキリシタン観音と呼ばれていて、隠れキリシタンの人々が聖母マリアとして拝んだといわれています。

参拝後、境内に戻るとさすが有田焼の里だけあり有田焼の石灯籠や、精密な金属器などが散在していました。

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第六十八番番札所「阿遮山 無動院」をお伝えいます。

九州八十八ヶ所百八霊場第六十八番番札所 阿遮山 無動院

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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