九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番番札所並びに第百八番札所 屏風山 鎮国寺並びに奥の院

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九州三十三観音霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番番札所 第百八番札所 屏風山 鎮国寺 奥の院

九州7県全域に及ぶ巡拝の旅も、ようやく結願の時を迎えました。

大同元年(806年)に唐より帰朝した弘法大師は、先ず宗像大社に礼参されました。その時、屏風山に瑞雲棚引くのを見られ、奥の院岩窟にて修法され、「この地こそ鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げを受け、一宇を建立し屏風山鎮国寺と号しました。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

屏風山 鎮国寺

創建

大同元年(806年)弘法大師

宗派

真言宗御室派

ご本尊

胎蔵大日如来座像(九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番札所ご本尊)

波切不動明王立像(九州八十八ヶ所百八霊場第百八番札所ご本尊)

ご真言

大日如来 おん あびらうんけん ばさら だとばん

不動明王 のうまく さんまんだ ばだらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん

大日如来について

大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊の根本仏として帰依し観想されている本尊です。

大日とは「大いなる日輪」という意味で、密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。
そしてすべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。
諸尊は大日如来の徳をそれぞれが分担し、衆生救済にあてられているその働きも大日如来の徳の顕現であると説かれています。

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの捉え方があります。
金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。
そして胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。
この智慧と慈悲が揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がっています。

さらには、未・申年生まれ守り本尊です。

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

不動十九観とは

不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。

1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。

住所・連絡先

福岡県宗像市吉田966 TEL 0940-62-0111
(地図)

アクセス

JR鹿児島本線東郷駅より西鉄バス神湊(こうのみなと)波止場行、宗像大社前下車、徒歩10分
車の場合、宗像観音寺より東郷交差点を経て、終末処理場がある突き当たりを左折、釣川に沿って宗像大社に至る。大社前を過ぎて右折、釣川を渡り寺標を右折する
門前に駐車場あり

ご詠歌

九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番札所

民安く 鎮まる国は み仏の 深き誓いの しるしなりけり

九州八十八ヶ所百八霊場第百八番札所

身代わりの 誓いをたのむ 鎮国寺 阿字の山坂 のぼるうれしさ

他の霊場札所

九州西国霊場第三十一番札所

霊場ご本尊・本(五仏堂)堂内 如意輪観音 伝教大師最澄 作
ご詠歌 まことある みちをおしえて もろびとの まゆいをすくう のりのすべらぎ
ご真言 おん はんどま(め) しんだ まに じんば ら うん

本堂(五仏堂)に、霊場本尊である如意輪観音が安置されています。

この如意輪観音は、伝教大師・最澄の作といわれ宗像大社の境外摂社の織幡明神として現れた本地仏とされ「本地垂迹(仏や菩薩が人々を救済するため日本の神となり現れたと説く)説」に基づき造られたとされています。

九州三十三観音霊場第一番札所

鎮国寺は、九州で指折りの名刹であるがゆえに、様々な霊場の札所となっています。
九州三十三観音霊場もその一つです。
とりわけ鎮国寺は、その打ち始めの第一番札所となっています。

霊場ご本尊・護摩堂の正面にあたる場所にある「文殊堂」と「地蔵堂」の間
別称 養老観音
ご詠歌 民安く 鎮まる国は み仏の 深き誓いの しるしなりけり(九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番番札所と同じ)
ご真言 おん あろりきゃ そわか

九州三十六不動尊霊場第三十四番札所

霊場ご本尊・護摩堂内 身代わり不動
ご詠歌 身代わりの 誓いをたのむ 鎮国寺 阿字の山坂 のぼるうれしさ
ご真言 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろ しやだ そわたや うんたらた かんまん
境内で本堂と見紛うばかりの大きなお堂の護摩堂には、大師作と伝わる像高93センチあまりの木造不動明王が祀られ、身代わり不動として崇敬を集めています。
国指定重文の秘仏で、柴灯護摩の厳修される四月二十八日だけ御開帳されますが、こちらが霊場本尊です。

九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番番札所 第百八番札所 屏風山 鎮国寺 奥の院

余談ですが、この柴灯護摩供では、境内で火渡りが行われ護摩木を燃やし住職をはじめ山伏や参拝者が燃え尽きた灰の上を素足で渡るそうです。
そして参拝者は誰でも参加できるそうですが、それほどの暑さではないようです。

また鎮国寺のお不動様には様々な霊験話があり、車で大事故に遭ったのに怪我一つなくお守りだけが割れていたとか、腹痛で乗り遅れた飛行機に重大なトラブルが発生したとか底知れないパワーをお持ちのようです。

九州八十八所百八霊場結願の寺(八十八番・百八番 鎮国寺)

九州7県全域に及ぶ巡拝の旅も、ようやく結願の時を迎えました。

ここ鎮国寺は以前より結願の寺ではありましたが、百八霊場になってからは、奥の院が結願の札所となりました。
かつて鎮国寺は、今年ユネスコの世界文化遺産に登録された「宗像大社」の別当寺として隆盛した寺院でその大伽藍からも往時を偲ぶことが出来、結願の寺としてこの上ない霊場です。

境内に進むと庫裡に続いて2棟のお堂が並んでいます。

まずは昭和33年(1958年)に建立された「護摩堂
入母屋造の壮大な建築で藤原時代の作といわれる像高93.3センチの不動明王立像が安置されています。

九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番番札所 第百八番札所 屏風山 鎮国寺 奥の院

この不動明王は弘法大師が入唐の途中で暴風雨に遭った時、波を鎮めたといわれ波切不動と呼ばれています。

隣のお堂は護摩堂より若干小ぶりながら、慶安3年(1650年)筑前福岡藩第二代藩主・黒田忠之の再建の入母屋造の本堂で「五仏堂」とも呼ばれています。

その名の所以ともなった内陣に並ぶ五体の尊像は向かって右から如意輪観音釈迦如来大日如来薬師如来阿弥陀如来
そのうち中央の三体は宗像大神の本地仏で、大日如来は沖津宮の田心姫神(タゴリヒメノカミ)で九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番札所のご本尊です。
そして釈迦如来は中津宮の湍津姫神(タギツヒメノカミ)、薬師如来は辺津宮も市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)があてられるそうで、弘法大師の作と伝えられています。

また如意輪観音は伝教大師の作といわれ宗像大社の境外摂社の織幡明神の本地仏、阿弥陀如来は宗像にある許斐(このみ)権現の本地仏となっていて神仏習合時代を彷彿とさせます。

さて鎮国寺には奥の院と呼ばれている「不動堂」があり、帰朝後弘法大師・空海が籠もって修行したと伝わる岩窟を背に立てられています。
本堂そばに建つ「大師堂」の右手から案内に従い奥の院への参道を上っていきます。
こちらのご本尊も不動明王で弘法大師が遣唐使として渡海のおり台風に遭遇し、その際神仏に祈ったところ不動明王が出現し波を鎮めたという逸話があり、ご朱印には「波切不動尊」と書かれていました。

参道の両脇には四国八十八ヶ所の苔むした石仏が立ち並び、途中、弘法大師が現在奥の院となっている不動堂で修行されていたときに彫り上げた梵字といわれる「梵字岩」などがあります。

さらに上っていくと山門を兼ねた木造の建物をくぐると山肌の石窟に突き刺さるように奥の院が建っています。

堂内には不動明王を本尊に、釈迦如来、八代龍王が祀られています。

辺り一体には霊場ならではの空気が流れ、百八霊場を巡り終えた感慨に浸るにはピッタリの場所です。

南無大師遍照金剛

四国遍路では結願の後、高野山の奥の院に参拝することになっているそうですが、九州八十八ヶ所百八霊場ではここ鎮国寺の奥の院に上り結願を報告することにしました。
帰路は途中から別の道を下り、再び本堂周辺まで戻り、大師堂にて結願の報告のために、この遍路最後の読経・・・境内に出ると不思議な達成感が湧いてきました。

次回は、他の霊場の参拝済みでありながら、未公開の札所のご報告を続けたいと思っております。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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