福岡

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九州三十三観音霊場

九州三十三観音霊場第七番札所 古処山 本覚寺

筑紫の小京都ともいわれる秋月の東にそびえる古処山(862m)は仏教大師最澄が唐より帰朝した折、この山の霊木をもって薬師如来七体を彫まれたと伝えられる霊山です。本覚寺は山田智祥上人により再興され、昭和50年より約10年を経て現状に至っています
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番番札所並びに第百八番札所 屏風山 鎮国寺並びに奥の院

大同元年(806年)に唐より帰朝した弘法大師は、先ず宗像大社に礼参されました。その時、屏風山に瑞雲棚引くのを見られ、奥の院岩窟にて修法され、「この地こそ鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げを受け、一宇を建立し屏風山鎮国寺と号しました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場百六番札所 二上山 眞光院

眞光院は大正年間、福岡県篠栗に開創後に福岡市簀子町に移り、さらに平成元年、糸島に移転しました。移築に際し「因縁転化の道場」として大随求菩薩を御本尊にお迎えし、鎮守として清瀧大権現をお祀りしています。また伝説のお綱大明神も奉安しています。
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九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第九十四番札所 金剛山 大日寺

大日寺は檜枝淳心尼が久留米の長門石の地で、昭和60年に開山されたお寺です。 本尊を大日如来とし、不動明王、文殊菩薩、弘法大師、地蔵菩薩が本堂にお祀りされています。諸天善神に守られながら、変貌していくこの地に法灯を伝え続けています。
九州八十八ヶ所百八霊場

タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場第九十三番札所 瑠璃山 正法寺

正法寺は薬師瑠璃光如来を本尊とし、その歴史は江戸時代にさかのぼり、地域の薬師信仰の霊場だったと伝えられていますが、明治以前の歴史は記録が残されていないために不詳です。以前は八坂寺として通称され正法寺の寺号を公称したのは昭和二十二年のことです。
九州三十六不動尊霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第九十二番札所 大原山 不動院

不動院は、古くは現在の大分県国東半島にあったお寺の寺号を開山の心玉阿闍梨が大正15年にこの地に移転再興し現在に至っています。境内には樹齢100年の銀木犀や、銀杏の木が聳え立ち、耳なし地蔵・アゴなし地蔵といった珍しい仏像もお祀りされています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第九十一番札所 貫山修善院 真光寺

延応元年(1239年)阿聖上人が全国を巡錫中、貫山に紫雲棚引くのを見て貫山が霊山であると感じ庵を結んだのが「貫山真光寺」の始まりです。現在は、幾多の戦火により焼失し残った小堂を仮本堂として本尊阿弥陀如来を始め焼け残った仏像をお祭りしています。
九州二十四地蔵尊霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第九十番札所 常住金剛山 浄心院

浄心院は開山の浄心法尼が、不動尊を感得しその霊験により創建されました。「神仏習合」つまり神・仏ともに祭祀する寺院です。内陣には身代わり不動・大日如来・釈迦如来などを安置しています。また稲荷大明神も浄心法尼が神託によって本堂内に勧請しました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第八十九番札所 太祖山 金剛頂院

金剛頂院は、大同元年(西暦806年)唐より帰朝した弘法大師が、博多の地に留まられていた時、当若杉山に登られ鎮護国家・救世利民の祈願を施された時に庵を結ばれた地に建つお寺です。戦乱がより焦土となってしまいましたが昭和17年に再建されたました。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第八十六番札所 津東山 海心寺

津東山海心寺は開祖海範和尚により旧津屋崎町東町に草堂が建立され、高野山本覚院より弘法大師像を勧請され本尊とされたのが始まりです。その後、二世、勉(べん)和尚にて信貴山より毘沙門天を勧請され、現在の地(宮司)に毘沙門天堂が建立されました。
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