九州三十三観音霊場第四番札所並びに九州四十九院薬師霊場第四十九番札所 小松山 大興善寺

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九州三十三観音霊場
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大興善寺は養老元年(717年)行基菩薩がこの地で草庵を結び、十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されております。現在は、花寺「つつじ寺」の愛称で親しまれ、茅葺屋根の本堂は、春・夏は鮮やかに、晩秋は艶やかに「もみじの葉」に彩られます。(HPより)

『概略』

小松山 大興善寺

創建

養老元年(717年)行基菩薩

宗派

天台宗

ご本尊

十一面観音菩薩(秘仏)

十一面観音菩薩について

密教の世界で言われる「六観音(あるいは七観音)」のうちの変化のひとつの観音菩薩様です。
十一面観音菩薩さまは、苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔を持ち、全方向を見守ってくれています。
様々な災難、病気治癒、財福授与、勝利を得るなどの10種類の現世利益があり、延命、地獄に落ちない、極楽浄土に行けるなどの四種果報のご利益があるとされていて、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音様で、阿修羅(修羅)道に迷う人々を救ってくださいます
ちなみに頭上面のうち前3面を菩薩面、左3面を瞋怒面、右3面を狗牙上出面、後1面を大笑面が一般的には配されていて、それに頂上の仏面を合わせて11面です。
中には本体のお顔とあわせて11面となる場合もありますし、11面の配列が異なる場合もあります。
その面の中の「大笑面」ですが、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれています。

ご真言

おん ろけい じんばら きりく そわか

住所・連絡先

佐賀県三養基郡基山町園部3628 TEL 0942-92-2627
(地図)

アクセス

九州自動車道・筑紫野インターから約15分
九州自動車道・鳥栖インターから約15分

JR鹿児島本線「基山駅」よりタクシー 7分
つつじ・もみじシーズンは臨時バス運行(JR鹿児島本線「基山駅」発着)あり

ご詠歌

うつし世の 浄土うれしや 小松山 花のたよりを 偲ぶふるさと

紅葉に囲まれ、恋人の聖地となった「契山」の麓に(小松山 大興善寺)

大興善寺には、ほぼ毎年といっていいほど紅葉の撮影にお邪魔させていただいておりますが、今回は紅葉撮影も兼ねて「九州四十九院薬師霊場」ならびに「九州三十三観音霊場」の巡礼のため訪れました。
バス停より参道を進むと目の前に急な石段が・・・
石段の下には無料の貸し出し用の杖と「体力に自信のない方は右手の坂道を登ってください」の看板が掲示してあります。
毎年この石段を登ることで私自身の体力の変化を確認する機会になっているかもしれません。

少し息を切らせながら登ると「仁王門」。
それをくぐると両側を紅葉した木々に出迎えられて境内に入ります。

正面が茅葺屋根の本堂です。
こちらにご本尊の十一面観世音菩薩(秘仏)が安置されています。

聖武天皇の勅願により行基菩薩が草庵を結び、無量寿院と号したのがこちらのお寺の始まりだそうです。
そしてご本尊の十一面観世音菩薩は、開創にあたり行基菩薩が一刀三礼にて刻まれたそうです。

834年に堂宇を焼失したのですが、847年に唐から帰朝していた慈覚大師・円仁が再興するにあたり長安の名刹大興善寺の号を冠したといわれています。

九州三十三観音霊場第四番札所

霊場ご本尊・本堂へ上がる階段のすぐ左手 聖観音立像
ご詠歌 うつし世の 浄土うれしや 小松山 花のたよりを 偲ぶふるさと
ご真言 おん あろりきゃ そわか

聖(しょう)観世音菩薩について

別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。
六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
それら変化観音と区別するために変化観音に対して、変化しない観音をいい、また一番もとの観音(本来の姿の観音)という意味で、聖観音と呼ばれるようになりました。
単独で祀られることも多いのですが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。
ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。

周りを紅葉に囲まれて浄土を感じさせてくれる雰囲気です。

九州四十九院薬師霊場第四十九番札所(結願寺)

ご本尊の薬師如来様は2002年4月に造られたご仏像なのですが、その脇仏の日光・月光菩薩して十二神将は江戸時代初期より伝わっているそうです。

霊場ご本尊・本堂の左手薬師堂内
ご詠歌 うつし世の 浄土うれしや 小松山 花のたよりを 偲ぶふるさと
ご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじる心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

日光菩薩・月光菩薩

この二尊はそれぞれ単独で信仰されることはありません。
常にペアで薬師如来様をお護りされています。
通常は向かって右側(左脇侍)に日光菩薩、左側(右脇侍)に月光菩薩が左右対称に配されています。
日光菩薩は日光遍照とも呼ばれ、千の光を放ち天下を照らし衆生を救済するお役目があります。一方、月光菩薩は月光遍照とも呼ばれ、薬師如来様の正しい教えを守るお役目を担っておられます。
両菩薩ともに衆生の不安や苦しみ、謂わば闇の部分に昼夜分かたずひかりを照らしておられます。
その象徴として、日光菩薩は太陽・日輪、月光菩薩は月・月輪を手にして蓮華にのせられています。(宝冠に太陽、月を表す場合もあります)

日光菩薩 ご真言

おん そりや はらばや そわか

月光菩薩 ご真言

おん せんだら はらばや そわか

十二神将

薬師如来様に付き従うガードマン的存在の一団です。
と同時に経典を読む人々を守るという役目も担われています。
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るといわれています。そのため中国や日本では十二支が充てられています。その割り当てには解釈の違いによって諸説ありますのでご注意ください。当ブログでは混乱を避ける意味から、敢えて割り当てられた十二支は省かせていただいております。
平安時代以降、頭上に標識として干支の動物を掲げている像が一般化され、十二支の彫刻がないものを古様、あるものを新様といいます。
さらに十二神将にはそれぞれ如来・菩薩・明王が化身されたものと言われています。

十二神将とご真言

宮毘羅大将(金毘羅童子、宮比羅)(くびらたいしょう)
   おん くびら そわか

伐折羅大将(金剛力士)(ばさらたいしょう)
   おん ばさら そわか

迷企羅大将(めきらたいしょう)
   おん めきら そわか

安底羅大将(あんてらたいしょう)
   おん あんて(ち)ら そわか

頞儞羅大将(あんにらたいしょう)
   おん あんにら そわか

珊底羅大将(さんていらたいしょう)
   おん さんて(ち)ら そわか

因達羅大将(帝釈天)(いんだらたいしょう)
   おん いんだら そわか

波夷羅大将 (はいらたいしょう)
   おん はいら そわか

摩虎羅大将(まこらたいしょう)
   おん まこら そわか

真達羅大将(緊那羅)(しんだらたいしょう)
   おん しんだら そわか

招杜羅大将 (しょうとらたいしょう)
   おん しょうとら そわか

毘羯羅大将(びからたいしょう)
   おん びから そわか

南無根本伝教大師福聚金剛

さて余談になりますが、境内には重要な石塔が二つあります。
一つは山門をくぐってすぐ右手にある平安時代末期の武将「平重盛」公の遺髪が埋められたと伝えられる供養塔の石造五重塔です。
平重盛公は、小松内府とも呼ばれており、この塔が山号「小松山」の由来として語られているそうです。

もうひとつは春はつつじ、秋は紅葉で賑わう契園(ちぎりえん)のシンボルとして親しまれている「八万四千塔最初の塔」です。


江戸時代後期の高僧「豪潮律師」によって、1802年に発願・建立された宝篋印塔で、当時、天明の大飢饉(1780年代)を過ぎてもなお、飢饉・百姓一揆が絶えない状況でその鎮魂と諸国安寧の誓願として「八万四千塔」建立の偉業を果たしていきました。
その始まりがここ大興善寺の塔だそうです。
この地に最初の八万四千塔が建立されて以降、大小併せて数千の宝篋印塔が全国各地に設けられることになったそうです。

ちなみに「八万四千」とは仏教用語で「数えられないほどいっぱい」を意味しているそうです。

次回は、九州三十三観音霊場 第七番札所「古処山 本覚寺」をお伝えしていきます。
なお、第五番札所「如意輪寺」第六番札所「不動寺」先行公開してありますので、ご参照ください。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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