薬師如来坐像

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九州三十三観音霊場

九州三十三観音霊場第四番札所並びに九州四十九院薬師霊場第四十九番札所 小松山 大興善寺

大興善寺は養老元年(717年)行基菩薩がこの地で草庵を結び十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されています。現在は、花寺「つつじ寺」の愛称で親しまれ茅葺屋根の本堂は春夏は鮮やかに晩秋は艶やかに「もみじの葉」に彩られます
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第百二番札所 遍照山 光明寺

光明寺は「南無薬師諸病疾除の瑠璃の寺肥前湯の町尽きぬことなし」とご詠歌に歌われている様に温泉の守護として土地の人々に見守られながら今日に至っています。境内や参道には多くの石仏が手作りの赤い胸当てを掛けてお参りの方々を暖かく迎えています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第百番札所 護国山 金剛乗寺

金剛乗寺は天長2年(825年)弘法大師の開基にて「西の高野」と称され、当時は大伽藍を構えていました。文明5年(1473年)山鹿の温泉涸渇の折、中興宥明法印が、祈祷により温泉を復活させたのを祝って、山鹿の温泉祭が始められたそうです。 また、法印供養法要の際、山鹿庶民の献じた紙灯篭が灯篭祭の始まりとされています。
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九州八十八ヶ所百八霊場

タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場第九十三番札所 瑠璃山 正法寺

正法寺は薬師瑠璃光如来を本尊とし、その歴史は江戸時代にさかのぼり、地域の薬師信仰の霊場だったと伝えられていますが、明治以前の歴史は記録が残されていないために不詳です。以前は八坂寺として通称され正法寺の寺号を公称したのは昭和二十二年のことです。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第六十九番札所 黒髪山 西光密寺

西光密寺は古来より山岳信仰の霊山として名高い黒髪山のほぼ頂上にあります。弘法大師が遣唐使船が平戸係留の間に無事の渡航を祈念して黒髪山に登られ、帰朝の後にお礼参りのため再び登られ不動明王を爪彫りされ安置されたのが寺の始まりと伝えられています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第六十七番札所 三間山 東光寺

東光寺の寺史には、弘法大師が巡錫の砌り黒髪山に西光密寺(大智院)を創建された時、末寺として建立されたと伝えられているが、阿忍僧正をもって中興開基としています。阿忍僧正は、東光寺を再建して本尊に薬師如来を安置しました。
九州二十四地蔵尊霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第六十六番札所 亀井山 東前寺

東前寺は和銅4年(711年)に行基菩薩を開祖として建立された寺院です。本尊薬師如来は、厄除薬師といわれ、戦国時代寺が焼かれた際には自ら飛んで火中を出でたと伝えられます。本堂の裏手には、亀井山」の名前の由来となった亀石と呼ばれる岩があります。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第六十五番札所 医王山 延命寺

延命寺は1616年(元和2年)岡山より丁度、訪れていた龍宣和尚が当時流行していた新種の疫病平癒の為、祈願を行った処 御利益があったという事で長崎奉行の依頼で常駐するようになり、当地で寺院を構えたのが始まりだそうです。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第八番札所 金光明山 国分寺

豊前国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇が天下泰平と鎮護国家の祈願を込め建立を命じた寺院で、全国68箇所(66国と2島)に建立された「国分寺」の一つであり、境内地は、昭和51年(1976年)に国指定史跡に指定されています。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第七番札所 内尾山 相円寺

相円寺の御本尊の薬師如来は、行基作と伝えられている高さ272cmの木造坐像です。山の上の鍾乳洞の中の本堂に安置されています。本堂までは殿川ダム脇の参道を歩き、250余段の石段を登らなければならず、九州四十九院薬師霊場の中で最も難所だと言われています。
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