タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場第九十三番札所 瑠璃山 正法寺

スポンサーリンク
九州八十八ヶ所百八霊場第九十三番札所 瑠璃山 正法寺 九州八十八ヶ所百八霊場
スポンサーリンク
九州八十八ヶ所百八霊場第九十三番札所 瑠璃山 正法寺

正法寺薬師瑠璃光如来を本尊とし、その歴史は江戸時代にさかのぼり、地域の薬師信仰の霊場だったと伝えられていますが、明治以前の歴史は記録が残されていないために不詳です。以前は八坂寺として通称され正法寺の寺号を公称したのは昭和二十二年のことです。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

瑠璃山 正法寺

創建

江戸時代 詳細不詳

宗派

真言宗御室派

ご本尊

薬師如来坐像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)

ご真言

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじる心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

日光菩薩・月光菩薩

この二尊はそれぞれ単独で信仰されることはありません。
常にペアで薬師如来様をお護りされています。
通常は向かって右側(左脇侍)に日光菩薩、左側(右脇侍)に月光菩薩が左右対称に配されています。
日光菩薩は日光遍照とも呼ばれ、千の光を放ち天下を照らし衆生を救済するお役目があります。一方、月光菩薩は月光遍照とも呼ばれ、薬師如来様の正しい教えを守るお役目を担っておられます。
両菩薩ともに衆生の不安や苦しみ、謂わば闇の部分に昼夜分かたずひかりを照らしておられます。
その象徴として、日光菩薩は太陽・日輪、月光菩薩は月・月輪を手にした蓮華にのせられています。(宝冠に太陽、月を表す場合もあります)

日光菩薩 ご真言

おん そりや はらばや そわか

月光菩薩 ご真言

おん せんだら はらばや そわか

十二神将

薬師如来様に付き従うガードマン的存在の一団です。
と同時に経典を読む人々を守るという役目も担われています。
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るといわれています。そのため中国や日本では十二支が充てられています。その割り当てには解釈の違いによって諸説ありますのでご注意ください。当ブログでは混乱を避ける意味から、敢えて割り当てられた十二支は省かせていただいております。
平安時代以降、頭上に標識として干支の動物を掲げている像が一般化され、十二支の彫刻がないものを古様、あるものを新様といいます。
さらに十二神将にはそれぞれ如来・菩薩・明王が化身されたものと言われています。

十二神将とご真言

宮毘羅大将(金毘羅童子、宮比羅)(くびらたいしょう)
   おん くびら そわか

伐折羅大将(金剛力士)(ばさらたいしょう)
   おん ばさら そわか

迷企羅大将(めきらたいしょう)
   おん めきら そわか

安底羅大将(あんてらたいしょう)
   おん あんて(ち)ら そわか

頞儞羅大将(あんにらたいしょう)
   おん あんにら そわか

珊底羅大将(さんていらたいしょう)
   おん さんて(ち)ら そわか

因達羅大将(帝釈天)(いんだらたいしょう)
   おん いんだら そわか

波夷羅大将 (はいらたいしょう)
   おん はいら そわか

摩虎羅大将(まこらたいしょう)
   おん まこら そわか

真達羅大将(緊那羅)(しんだらたいしょう)
   おん しんだら そわか

招杜羅大将 (しょうとらたいしょう)
   おん しょうとら そわか

毘羯羅大将(びからたいしょう)
   おん びから そわか

住所・連絡先

福岡県飯塚市平恒401 TEL 0948-23-4588
(地図)

アクセス

JR福北ゆたか線 天道駅より徒歩23分
博多駅から車で45分(国道201号線経由)
寺の入り口正面に2ヶ所駐車場あり

ご詠歌

南無薬師 諸病悉除の 願い込め 守らせたまえ 慈悲の御光り

子がえる寺(第九十三番 正法寺)

JR九州・福北ゆたか線「天道駅」に程近い小高いところに伽藍を構える正法寺の歴史は古く、江戸時代に遡りますが、詳細は記録が失われ不明ではあるものの、かつては穂波四国八十八ヶ所霊場の第四十七番八坂寺として信仰を集めていました
昭和44年発刊の穂波町誌によれば、戦後まもない頃、当時穂波町にあった正法寺の住職だった京都大本山仁和寺の第43代門跡の立部瑞祐大僧正(後に宗像の鎮国寺にも晋住)の布教によって信者が増え、活動が活発になったため正式な寺院となることが望まれ、昭和22年に瑠璃山正法寺となったと記されています。

さて、かえるの石像が並ぶ石段を上ると仁王像に前を守られた本堂があります。
この本堂は現・原口性亮住職が晋山した際、老朽化の激しかった本堂を平成21年に再建されたものだそうです。
本堂にはご本尊・薬師如来がお祀りされています。

その左手には休憩所を兼ねた建物があり、「かえる部屋」があります。

九州八十八ヶ所百八霊場第九十三番札所 瑠璃山 正法寺

旧来の八坂寺のお堂は今も本堂の脇にあり、石仏の阿弥陀如来が祀られ、また仁和寺ゆかりの不動尊も伝えられています。

飯塚は炭鉱の町として有名ですが、その土地柄に相応しく正法寺の石垣は炭鉱から石炭と一緒に出た「ボタ石」で出来ていて、その斜面にはカエルの七福神の像が並んでいます。

南無大師遍照金剛

ここ正法寺がどうして「こがえる寺」なのでしょう・・・
それは現・原口性亮住職が晋住する前は、九州八十八ヶ所百八霊場第三番札所の清影山・如意輪寺の原口元秀住職が約25年間兼務されていたそうで、そのため如意輪寺を「親がえる寺」とし正法寺が「子がえる寺」となりました。
ゆえに正法寺にも「カエル部屋」に2000体のカエルが安置されているそうです。

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第九十四番札所「金剛山 大日寺」をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを 合掌

コメント