九州八十八ヶ所百八霊場 第十七番札所 堂ヶ峯 阿弥陀院

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九州三十三観音霊場
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阿弥陀院は、今より百年前の明治二十八年十二月十日、京都市伏見区の総本山醍醐寺から、北九州の小倉へ移転してきました。もとは承久元年(1239)醍醐寺山内に建立された塔頭寺院で、後白河天皇の長女覲子内親王、宣陽門院の御願により、成賢座主が開山されたお寺です。後の文正二年(1467)に起こった応仁の乱の折には、醍醐寺も戦火に巻き込まれて、衰退の一途をたどりました。しかしながら慶長年間には、座主義演僧正に帰依していた豊臣秀吉の力によって、醍醐寺は再建されます。阿弥陀院もこの時に再び法灯を回復し、本山護持の務めを果たしています。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

堂ヶ峯 阿弥陀院
(御朱印)

別称

堂ヶ峯聖天

創建

1219年 宣陽門院 開基
      成賢座主 開山

宗派

真言宗 醍醐派

ご本尊

不動明王坐像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろ しやだ そわたや うんたらた かんまん

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

住所・連絡先

福岡県北九州市八幡東区高見5-1-32 TEL 093-651-0704
(地図)

アクセス

JR鹿児島本線戸畑駅より西鉄バスにて「美術館口」下車、徒歩7分
都市高速4号線山路ランプより直進し、美術館入り口を右折。美術館手前の手前の道に入いる。
境内手前に駐車場有

ご詠歌

み仏の 恵みを高き 堂ヶ峯 すがりてまいる たのもしの寺

他の霊場札所

九州三十三観音霊場第三番


 霊場ご本尊・本堂前
 ご詠歌  み仏の 恵みを高き 堂ヶ峯 すがりてまいる たのもしの寺
 ご真言 おん あろりきゃ そわか
(御朱印)

どうかボケませんように(第十七番 阿弥陀院)

北九州市に近づくと途端に空気が悪くなると言われていますが、まだ八幡東区の南端の辺は緑が多く、空気もそんなに汚れている感じはしません。
阿弥陀院は、市立美術館の道を挟んで東側の小高い山の中腹にあります。

門前の駐車場に車を置き、四国八十八箇所の石仏が並んでいる坂の参道を昇りきると、入母屋造、千鳥破風の本堂が迎えてくれます。

本尊の不動明王坐像は醍醐寺にあった時代からご本尊で、秘仏だそうで、そのお姿を拝することは叶いませんでしたが、矜羯羅童子制吒迦童子を従えた威風堂々とした古仏だそうです。

本堂前には、ボケ封じ観音様もお祀りしてあり、九州三十三観音第三番札所ともなっています。
また、本堂向かいには、納骨堂と鐘楼を兼ねた、開創750年を記念して建立された優美な多宝塔も立っています。

私ももう齢65を過ぎたので、この後もぼけずに元気で長生きできますようにと、しっかり手を合わせてきました。

南無大師遍照金剛

境内は、桜の名所でもあるそうで、その時期には、豊臣秀吉の醍醐の花見さながら仏の徳をいただけそうな光景が広がっています。

次回は第十八番札所「延命山 徳泉寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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