九州八十八ヶ所百八霊場 第三十七番札所 圓山(まるやま)高野山 香泉寺

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九州八十八ヶ所百八霊場
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国道から少し入ったところに香泉寺はあります。
近隣にはマンションや商業ビルもあり、宮崎市街の賑わいを感じつつも、決して広くない境内に一歩足を進めると、その喧騒を忘れてしまうような野鳥のさえずりも耳に出来ます。
明治後期に高野山より回教で訪れた龍雲和尚が、近隣のお堂にあったお大師さまを現在地に移遷して香泉寺を建立し、既に大正末には『丸山の高野山』『江平のおだいっさん』として多くの方の信仰を集めていたようです。
九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

圓山(まるやま)高野山 香泉寺
(御朱印)

別称

丸山の高野山
江平のおだいっさん

創建

大正年間 龍雲和尚

宗派

高野山真言宗

ご本尊

不動明王立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろ しやだ そわたや うんたらた かんまん

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

住所・連絡先

宮崎県宮崎市丸山1-110 TEL 0985-23-2459
(地図)

アクセス

JR日豊本線宮崎駅から徒歩15分
国道10号線を南下、江平1丁目交差点(大盛うどん)を右折し、三つ目の横断歩道の右側
境内に駐車場あり

ご詠歌

南無大師 深き恵みの 香泉寺 円(まど)かに照らす 法(のり)の高野山

県都の只中の高野山(第三十七番 香泉寺)

この日は、初代天皇の神武天皇をご祭神(神日本磐余彦天皇・かむやまといわれひこのすめらみこと)とする宮崎神宮一の鳥居の程近くにある香泉寺からの打ち始めです。

東九州の大動脈である国道10号線から僅かに入った所に香泉寺はあります。
JR宮崎駅からも遠くなく、県都・宮崎市の只中にあるにもかかわらず、境内は参道の奥まったところにあるためか市中の喧噪も届かず静かです。
都会の寺ゆえ境内は然程広くはありませんが、よく茂った緑と四国八十八か所の石仏が祀られていました。

鉄筋コンクリート入母屋造であるものの屋根が非常に高く、実に清々しい本堂です。都会にあるお寺にしては比較的に大きな本堂です。
この屋根が本堂を実際より大きなお堂に感じさせてくれます。

この香泉寺の縁起を紐解くと、かつてこの地に圓山高野山というお寺があり宮崎周辺の弘法大師信仰の中心的存在だったそうです。しかし明治の廃仏毀釈により廃寺となってしまっていました。
廃絶の期間が長く続いていましたが、高野山開創一千百年を前後した大正年間に圓山高野山のあった地に龍雲和尚により、この香泉寺が創建され今日に至っています。
本尊に不動尊を祀り、大師信仰のメッカとして篤く信仰されています。
その他にも現世利益や諸願成就の神仏である「歓喜天」がお祀りされています。

南無大師遍照金剛

お寺を後にする際に、ご住職から
「次は38番の長久寺さんへのお参りですか?」と尋ねられ
「はい、その予定です」と答えると
「では長久寺さんにその旨電話を入れておきましょう」と・・・

細かなお心遣いに感謝の念を抱きつつ、この日の遍路はスタートしました。

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第三十八番番札所「蓬莱山 長久寺」をお伝えするところですが、重複札所である九州三十六不動尊霊場が未参拝のため、九州西国霊場第一番札所「英彦山 霊泉寺」をお伝えしてまいりますので、ご了承ください。

九州西国霊場 第一番札所 英彦山 霊泉寺

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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