九州四十九院薬師霊場 第八番札所 金光明山 国分寺

スポンサーリンク
九州四十九院薬師霊場
スポンサーリンク
九州四十九院薬師霊場 第八番札所 金光明山 国分寺 豊前国分寺

豊前国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇が天下泰平と鎮護国家の祈願を込め建立を命じた寺院で、全国68箇所(66国と2島)に建立された「国分寺」の一つであり、境内地は、昭和51年(1976年)に国指定史跡に指定されています。

九州四十九院薬師巡礼より
http://oyakushi.com/

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじる心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

金光明山 国分寺
(霊場御朱印)

別称

豊前国分寺

創建

天平9年(737年)行基菩薩

宗派

高野山真言宗

ご本尊

ご本尊

薬師如来坐像(寺・霊場ご本尊) 行基菩薩 作

ご詠歌

天平の 香り伝える 梅の寺 薬師の功徳 永遠に変わらず

住所・連絡先

福岡県京都郡みやこ町国分280 TEL 0930-33-3967
(地図)

アクセス

JR日豊本線「行橋」駅より京築バス・豊津役場行きにて「錦町」下車 徒歩15分
自家用車の場合、九州自動車道「小倉東」インターチェンジより国道10号線、496号線を経て錦町交差点を左折 40分
門前に駐車場あり

梅の香の中に福岡県下唯一の三重塔(第八番札所 金光明山 国分寺)

聖武天皇が天下泰平鎮護国家の祈願を込めて行基菩薩に建立を命じた全国68カ所の寺院のひとつが、現在の福岡県東部と大分県北部域の豊前国にもありました。
豊前國分寺は田園地帯の集落の中に伽藍を構えています。
三重塔、鐘楼門、本堂など枯れた雰囲気の境内ですが、どこか昔懐かしい雰囲気を味わえます。

豊前国分寺が整備された正確な時期については分かっていませんが、七堂伽藍が整備され壮麗な建物群が建ち並び仏教文化が花開いたものと思われます。
さらに平安時代には天台宗や山岳修行を採用して活発な活動を展開したようですが、鎌倉時代以降は国の支援も滞りがちになり衰退し始め、1500年代後半には大友氏による戦火で伽藍のすべてが焼失してしまったそうです。

その後、真言律宗の僧・英賢(心海和尚)により跡地に草庵が構えられ、ご本尊に薬師如来が安置されて真言宗の寺院として再興が図られました。
英賢らは伽藍再興の勧進を豊前各地で行いましたが、これに小倉藩の支援も加わり本格的な再建が進み、明治に入って宝塔である三重塔が建立され往時を偲ばせる復興がなりました。

現在の境内には寛文6年に再建された本堂

九州四十九院薬師霊場 第八番札所 金光明山 国分寺 豊前国分寺

元禄6年の護摩堂

鐘楼門

などが建ち並び、そして三重塔が聳えます。
九州では3ヶ所しかない塔で、福岡県下では唯一の三重塔だそうです。

豊前国分寺のシンボル的存在である壮麗な三重塔は、「明治記念大宝塔」とも言われ、 高さ23.5m、心柱には推定樹齢200年の杉材が使用されているそうです。
19世住職宮本孝梁師塔の再建を発願して私財を投げ打ち、費用の不足分は地元の官民あげての厚い支援で建立された塔です。
建築したのは地元で名士との評判高い大工棟梁緒方義高氏で、宮本住職から依頼を受けた緒方棟梁は独力で社寺建築の研究からはじめて精魂を傾け、10年の歳月をかけて明治28年(1895年)建立しました。
しかし昭和27年に落雷による被害で大きく破損したため、町長を先頭に浄財を募り、昭和40年に再建し現在に至ります。

現在では国指定史跡豊前国府寺跡で「三重塔を活用した地域おこし」をテーマに「三重塔まつり」が例年2月下旬に開催され、俳句大会、護摩焚き、火渡り、野点、特産品販売など、多彩な催しが催されています。

南無大師遍照金剛

本堂裏手には旧国分寺講堂跡の史跡があり、芝生の広場となっています。
また、山門脇には案内所があり、史跡での出土物である天平年間の建立当時の瓦や胎蔵界三千仏の掛け軸など貴重な寺宝を拝見することができます。

次回は九州四十九院薬師霊場第十番札所「石立山 岩戸寺」をお伝えしてまいります。
第九番札所「金剛山 長安寺」は先行して公開してありますので、ご覧ください。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

コメント