球磨地方は、かつて平家一門の荘園がありました。平家滅亡後、平重盛の家人だった平貞能が、追善菩提のため重盛の念持仏の金造毘沙門天を胎内に納めた尊像を刻み、堂宇を建立したのが高寺院の始まりとされています。また、一説には、永享5年(1433)に快親という僧が開山して、本尊に毘沙門天を安置したとも言われています。
『概略』
金剛山 高寺(たかてら)院
(御朱印)
創建
平安中期
宗派
高野山真言宗
ご本尊
毘沙門天立像
(お御影)
ご真言
おん べいしら まんだや そわか
毘沙門天(びしゃもんてん)について
元来インド、ヒンズー教の神であり、仏法を擁護し須彌山の北方を守護する善神です。
インド神話での財宝神・クベーラが前身といわれています。独尊で祀られる場合は毘沙門天で、四天王の一尊として祀られる場合は多聞天と呼ばれます。七福神の1人です。
毘沙門天は「すべてのことを一切聞きもらさない知恵者」という意味から多聞天と訳されました。四天王の中では最強の武神であり、夜叉と羅刹を従えて仏教世界の北方を守護しています。戦国武将で毘沙門天を守仏として崇拝している者は多く、上杉謙信は自分を毘沙門天の化身だと信じて信仰していました。
戦勝祈願、鎮護国家の他に財宝福徳のご利益があります。
住所・連絡先
熊本県球磨郡山江村大字山田甲1640 TEL 0966-23-3051
(地図)
アクセス
九州自動車道人吉インターから車で10分
JR肥薩線 人吉駅から車で10分・徒歩55分
山江村役場より徒歩3分
駐車場あり
ご詠歌
魔を降す 猛き姿にひきかえて 情けにあまる福徳の神
三体の毘沙門天(第五十二番 高寺院)
人吉市内から山田川に沿って北上して山江村に入り村役場に近い高台に高寺院の本堂を望むことができます。
高寺院は、球磨郡で一番古い寺院です。
球磨地方は、かつて平家一門の荘園がありました。
平家滅亡後、平重盛の家人だった平貞能が、追善菩提のため重盛の念持仏の金造毘沙門天を胎内に納めた尊像を刻み、堂宇を建立したのが高寺院の始まりとされています。
また、一説には、永享5年(1433年)に快親という僧が開山して、本尊に毘沙門天を安置したとも言われています。
庫裡を兼ねた本堂は寄棟造りで、外観は一見すると農家の様な感じの建物ですが、どこか日本の原風景を感じさせてくれる佇まいです。
かつては、高寺院本堂の特徴の一つである萱葺きでしたが、維持困難のため改修工事を行い、残念ながら金属製の屋根になったそうです。
本堂の裏手には入母屋造の収蔵庫があり、ご本尊を含むクスの寄木造で平安時代後期の作と伝わる、三体の毘沙門天をはじめ、諸尊が安置されています。
その三体の尊像のうち、中央に奉安されているものがご本尊で、向かって左に安置されている一体と合わせて、国指定の重要文化財に指定されています。
また、毘沙門天の前には、鎌倉時代の文久2年(1220年)の銘のある勢至菩薩立像も奉安されています。
本堂での参拝を済ませると、本堂背後から裏山に向かって375段の石段が続いています。
登り詰めたところに奥の院(毘沙門堂・登録文化財)があり、球磨地方に現存するもっとも古い瓦葺き建造物で、かつては毘沙門天立像が安置されていたお堂だそうです。
現在は、堂内には平家物語に登場する「西行」の像が祀られているそうです。
南無大師遍照金剛
ご住職不在時は朱印、納経、拝観希望などには対応できかねますので事前の連絡をお願いしますとのことです。
次回は九州八十八ヶ所百八霊場第五十三番札所「千福山 観蓮寺」をお伝えします。
願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌
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