九州八十八ヶ所百八霊場第五十七番札所 高原山 蓮華院誕生寺及び奥之院

スポンサーリンク
九州八十八ヶ所百八霊場第五十七番札所 高原山 蓮華院誕生寺 九州三十六不動尊霊場
スポンサーリンク
九州八十八ヶ所百八霊場第五十七番札所 高原山 蓮華院誕生寺

蓮華院誕生寺は、ここ熊本県玉名市で生まれた「皇円大菩薩」をおまつりする真言律宗の「九州別格本山」です。 皇円大菩薩(皇円上人)は、浄土宗御開祖の法然上人の師匠にあたる方です。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

高原(たかはら)山 蓮華院誕生寺
(御朱印)

創建

治承元年(1177年) 平 重盛(平清盛の長子) 浄光寺蓮華院 建立
文暦2年(1235年)  恵空上人 再興
昭和4年(1929年) 初代住職 川原 是信大僧正 中興開山 蓮華院誕生寺

別称

真言律宗 九州別格本山

宗派

真言律宗

ご本尊

皇円大菩薩坐像
(お御影)

ご宝号

南無皇円大菩薩

皇円上人について

皇円(こうえん)は、平安時代後期の天台宗の僧侶です。正字では皇圓
熊本県玉名の出身肥後阿闍梨とも呼ばれ、浄土宗の開祖法然の師でもあります。
編年綱目の体裁を採る国史略のうち『扶桑略記』を撰した人です。

豊前守藤原重兼の子として肥後国玉名荘(現熊本県玉名市築地〈ついじ〉)に生まれました。
弥勒菩薩が未来にこの世に出現して衆生を救うまで、自分が修行をして衆生を救おうと、静岡県桜ヶ池に龍身入定したと伝えられています。
蓮華院誕生寺では、皇円大菩薩ないし皇円上人と尊称されて人々の信仰を集めています。

扶桑略記とは

扶桑(扶桑は日本の異称)略記(ふそうりゃくき)は、平安時代の私撰歴史書
総合的な日本仏教文化史であるとともに六国史の抄本的役割を担って後世の識者に重宝されました。
内容は、神武天皇より堀河天皇の寛治8年(1094年)3月2日までの国史について、帝王系図の類を基礎に和漢年代記を書入れ、さらに六国史や『慈覚大師伝』などの僧伝・流記・寺院縁起など仏教関係の記事を中心に、漢文・編年体で記しています。
日本への仏教伝来や発展史、神社寺院の縁起に着目して記述した貴重なものである。
僧・皇円が編纂したとされていますが、異説もあります。

ご詠歌

あらたかな 飛龍の功徳 空に舞い 般若の梵鐘に 無明あけゆく

住所・連絡先

本院

熊本県玉名市築地2288 TEL 0968-72-3300
(地図)

アクセス

JR鹿児島本線玉名駅下車、徒歩20分
熊本市内から国道208号線の玉名駅前を通って、境川を渡りすぐの寺標を右折
九州自動車道 菊水インターより車で20分
門前に駐車場あり

奥之院

熊本県玉名市築地1512-77 TEL 0968-74-3533
(地図

アクセス

九州自動車道 菊水インターより玉名方面へ 約20分
大牟田市中心部より玉名方面へ 約30分
熊本市中心部より玉名方面へ 約50分
九州新幹線新玉名駅 または 鹿児島本線玉名駅 よりタクシーで約10分
駐車料無料(700台駐車可能)

他の霊場札所

九州三十六不動尊霊場第二十一番札所 奥之院

秘仏のため、護摩堂内掛け軸に参拝

ご詠歌

本院と同じ

ご真言

のうまく さんまんだ ばだらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん
(御朱印)

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

不動十九観とは

不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。

1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。

本院・奥之院と広大な境内(第五十七番 蓮華院誕生寺)

国道より山手の方に少し入ると、目指す誕生寺の本院の石造りの円形の脇門が眼に飛び込んできました。
ここは、九州八十八ヶ所百八霊場で唯一実在の人物を本尊としている札所です。
広大立派かつ見所の多い寺院であるため、奥之院と併せて観光名所ともなっています。

ご本尊の皇円大菩薩・皇円上人は関白・藤原道兼の血筋を引く人で、若くして仏門に帰依し、比叡山に遊学し、学徳にすぐれ、歴史書のひとつ「扶桑略記」を編纂された方です。
また74歳の時には、有名な法然上人に浄土の教えを説いたそうです。
そして96歳で、衆生済度を祈願して、遠江国の桜ヶ池に龍神と化して入定したと伝わっています。

時は流れ、後に誕生寺の初代住職となる、皇円から霊告を受けた川原是信師が昭和5年(1930年)に、蓮華院誕生寺として中興しました。

その皇円の霊告に纏わる逸話は次のようなものです。
昭和4年当時、川原是信師は、荒尾で霊能者として祈祷所を営んでいました。
旧浄光寺跡の一帯は、その頃は寒村で、数軒の人家や畑があるだけで、残りは雑木林や竹林などに覆われた藪でしたが、子供たちが藪に入って遊ぶと腹痛を起こし、女性が中に入ると眼病を患うなど、こうした現象に村人たちは荒神様がいるとして怖れていました。
そこで村人たちは是信の祈祷力を聞きつけて、その祈祷力で地霊を鎮めることを依頼しました。
12月10日早朝、村人から請われるままに、是信が浄光寺跡地の草堂で読経をしていると、突然皇円から「我は今より760年前、遠州桜ケ池に龍身入定せし阿闍梨皇円なり。今心願成就せるをもって、汝にその功徳を授く。よって今から蓮華院を再興し衆生済度をはかれ。」との霊告を受けたそうです。
その時34歳だった是信は、皇円という名も桜ヶ池の存在も知らなかったが、このただならぬ霊告によりすぐさま寺の再興に取り掛かりました。
その皇円上人が誕生した地に蓮華院は創建されました。当時も広大な境内を有する大寺院だったそうですが、現在でも往時の面影を残しているように広い境内を有しています。
また現でも、檀家はなく、信者や一般の人のために祈祷をする祈祷寺です。

さて、前置きが長くなりましたが、
南側より、まず太鼓橋があります。
その太鼓橋を渡るとすぐに南大門
横幅20m、奥行き10m、高さ15mで青森ヒバの総木造、入母屋造の二重門です。
大門から外向きには増長天と持国天、大門から内向きには多聞天と広目天の四天王が祀られています。
南大門から先には庭園風の参道が続いています。

参道の先に、「延命門」と呼ばれる切妻造の山門があり、、冒頭で書いたユニークな石の門(蓮華門)はその脇にあります。

境内は気持ちよく開放的な空間で、右に池を築き、左に入母屋造の鐘楼が建っていました。
そして正面には入母屋造で唐破風の向拝がつき、周囲を石燈籠の配された大きく立派な本堂
その右手には平成8年に建立された五重塔が建っています。

九州八十八ヶ所百八霊場第五十七番札所 高原山 蓮華院誕生寺

また本堂向かいには、多宝塔が建立されています。

庫裡の寺務所で受付をして本堂を参拝しました。
帰りに寺務所の方から、是非「奥の院」への参拝も勧められ、一足伸ばすことにしました。

奥之院

ご案内いただいた「わかりやすい道」でも10分足らずで奥の院に着きました。
皇円大菩薩様ご入定800年御遠忌を記念して、昭和53年に「奥之院」が建立されました。
奥之院は、人々の願いを叶える為に修行する僧侶や、僧侶を志す人達の修行道場として建立されましたが、現在では、『一願成就』『厄払い』のお寺として、年間30万人の方々がお参りされているそうです。

世界一の大梵鐘「飛龍の鐘」大きさ日本一の五重塔九州一背の高い相向力士王(そうこうりきしおう)像、不可越金剛王(ふかおつこんごうおう)像の仁王尊像等があります。

奥之院の入口である大きな円形の心経門をくぐり、手水舎・寺務所の前を通ってニ之門を過ぎると、左手に鐘楼堂が建っています。
この鐘楼堂に下がる大梵鐘は「飛龍の鐘」と名付けられている。直径九尺五寸(2.88m)・高さ十五尺(4.55m)・重さ一万貫(37.5t)で世界最大級です。
毎日11:50より梵鐘祈願として僧侶により突かれています。

鐘楼堂を過ぎると、右手に護摩堂を見てすぐ、九州一の大仁王像(総高3.9m)の立つ仁王門です。
仁王門の先、左手には大きな五重塔が建っています。
各層がそれぞれ修行道場となっており、最上層からの見晴らしは東には阿蘇、南には有明海と広大な展望が望めます。
その第一層が本堂となっています。納経はこちらでお願いすることになります。

その先、極楽橋・柴燈大護摩道場を経て、女坂(32段)・男坂(60段)の階段を進むと皇円大菩薩の大仏が鎮座しています。

ここまでは、入口の心経門からほぼ真直ぐにある位置関係ですが、少し脇へ行くと、展望所や、素焼きのお皿に願い事を書いて深い茂みの谷に向かって投げると願いが叶い苦厄から解き放たれるという「厄皿投げの場」、開山堂開山大僧正銅像、昭和55年以来歴代の横綱が土俵入りをしている相撲道場千人塚など見所がたくさんあります。
また、季節季節には、ウメ・サクラ・シャクナゲ・フジ・トキワマンサク・ヒゴショウブ・ハス・モミジ・イチョウなども見られるそうです。

南無大師遍照金剛

蓮華院の宗派である真言律宗開祖叡尊上人は、真言宗の中から戒律を重んじる真言律宗を立ち上げます。
当時は”末法の世”と呼ばれ、天変地異が続発し、飢餓が蔓延した大変な時代でした。
上人は「人々が人心を失った世の中で、まず、僧侶が己を正さなければならない」と考えられまし。
また、叡尊上人は身分が低く、差別を受けていた人、また、ハンセン氏病患者などの救済に力を尽くされました。
また、病院や橋を造るなどの社会事業も行いました。
まさに叡尊上人は日本における社会福祉活動の先駆者でした。

その教えを受け継ぎ、蓮華院では、国際ボランティア活動(NGO)を行っているそうす。
東南アジアやインドの難民やスラムに対して、図書館を作ったり、植林活動をしたりと、物的、精神的援助を続けています。
仏教は「死後ではなく、この世で幸せにならなくてはいけない、そのためには人を恨んだり妬んだりすることでなく、他人のために尽くすことが、自分が幸せになる一番の近道」だと教えます。とても胸に刺さるお言葉だと思います。

九州八十八ヶ所百八霊場 第五十八番札所 法雲山 金剛寺

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第五十八番札所「法雲山 金剛寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

コメント