九州八十八ヶ所百八霊場第八十三番札所 登志山 誓願寺

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九州八十八ヶ所百八霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場第八十三番札所 登志山 誓願寺

誓願寺は安元元年(1175年)栄西禅師の創建で総本尊は阿弥陀如来ですが、霊場本尊は毘沙門天です。奥の院は毘沙門山といい「今津の毘沙門さん」として親しまれています。最盛期は1山42坊ありましたが、現在は大泉坊のみ現存してます。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

登志山 誓願寺

創建

安元元年(1175年) 栄西禅師

宗派

真言宗御室派

ご本尊

総本尊 阿弥陀如来

九州八十八ヶ所百八霊場本尊 毘沙門天立像

ご真言

阿弥陀如来ご真言

おん あみりた ていぜい から うん

毘沙門天ご真言

おん べいしら まんだや そわか

阿弥陀如来について

阿弥陀如来は、無限の寿命を持つことから無量寿如来または無量光如来と漢訳されています。『無量寿経』には 「諸仏の中に於いて光明最尊第一にして、この光にあう者をして一切の苦から免れしめる」 と無量の光明の徳と無限の慈悲が説かれています。
限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。
四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。
ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。
仏像では、阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。
さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるともいわれ、その来迎の様子をあらわす場合もあります。

真言密教で表される阿弥陀如来は、衆生の宗教的素質がどのようなものかを妙(たえ)に観察し、 真理の教えを説いて疑惑を断じ、衆生にその本性が清らかで蓮華のようであることを知らしめる 大日如来の妙観察智の徳をつかさどる仏です。つまり大日如来の徳の一つを阿弥陀如来が受け持っているわけです。

毘沙門天について

元来インド、ヒンズー教の神であり、仏法を擁護し須彌山の北方を守護する善神です。
インド神話での財宝神・クベーラが前身といわれています。独尊で祀られる場合は毘沙門天で、四天王の一尊として祀られる場合は多聞天と呼ばれます。七福神の1人です。

毘沙門天は「すべてのことを一切聞きもらさない知恵者」という意味から多聞天と訳されました。四天王の中では最強の武神であり、夜叉と羅刹を従えて仏教世界の北方を守護しています。戦国武将で毘沙門天を守仏として崇拝している者は多く、上杉謙信は自分を毘沙門天の化身だと信じて信仰していました。

戦勝祈願、鎮護国家の他に財宝福徳のご利益があります。

住所・連絡先

福岡県福岡市西区今津851 TEL 092-806-2698
(地図)

アクセス

博多から昭和バス西の浦行、今津下、車徒歩15分
車の場合、国道202号線の周船寺西交差点のすぐ東の三叉路を北へ、昭代橋を渡ってさらに北上、寺標を左折する
境内に駐車場あり

ご詠歌

登志の山 悪しき心を 打ち捨てて 仏にすがる 誓願の寺

仏教の歴史とともに(第八十三番 誓願寺)

この地、糸島はその名が示すようにかつては海に浮かぶ島だったそうです。現在は陸続きの半島となっていますが、その東端は海上交通の要所となっています。
また付近には蒙古襲来時に築かれた防塁の跡も残っており歴史ロマン溢れるところです。ちなみにこの日の巡礼先の誓願寺も元寇の折には前原に200年程疎開をしていたそうです。

さて、話が横道に逸れましたが、誓願寺に着き山門を登ると二体の仁王像が迎えてくれます。
その左手に現在の本坊・大泉坊があります。往時は坊も42あったそうですが、現在はこの大泉坊のみが残っています。

誓願寺の歴史は古く、国宝に指定されている「誓願寺創建縁起」によれば、嘉応2年(1170)仲原氏の娘が丈六の阿弥陀如来像の造立を発願、6年の歳月をかけて安元元年(1175年)渡宋のためこの地に赴いた栄西禅師を招いて、寛智法師が建立したと書かれています。

九州八十八ヶ所百八霊場第八十三番札所 登志山 誓願寺

仁王像の間の石段を登りきると左手に本堂、さらに左手奥に木々に囲まれるようにして大師堂がひっそりとたたずんでいます。

また、本堂右上に登ったところに鎮守の白山権現社が鎮座されています。

本堂は鉄筋コンクリート寄棟造とちょっと趣に欠ける感はありますが、堂内に上がればそこに奉安されている尊像は歴史を強く感じさせられる諸像です。

中央には御本尊かと思わせるように阿弥陀如来が座しておられますが、実際は脇にある毘沙門天立像が御本尊です。
このような配置は、元来阿弥陀如来がご本尊だったそうで、毘沙門天が本尊になったのは戦後のことで、その名残かと思われます。

その他にも鎌倉時代の薬師如来、平安時代の菩薩、江戸時代の虚空蔵菩薩愛染明王と当寺の歴史を物語るように国宝級の尊像が居並びます。

またこの誓願寺は臨済宗の宗祖である栄西禅師(当時はまだ禅宗に帰せず、真言宗でした)ともゆかりが深く、栄西禅師が宗で勉学の後帰国し、ここで逗留していたそうです。
その時に本尊の開眼供養をし、法華経一品経の書写をすすめたそうです。その由来を記したのが国宝の「盂蘭盆一品経縁起」です。

それ以外にも、呉越国王が送られた、陀羅尼が納められた小塔など多数の国指定の重要文化財が誓願寺には伝わっていますが、いずれも現在は太宰府の九州国立博物館に寄託されています。

南無大師遍照金剛

札所にお参りした後はこの日の遍路の最後に、誓願寺背後にある毘沙門山(177m)に登り、栄西禅師が毘沙門天を祀ったといわれる奥ノ院、毘沙門堂をお参りしてこの日の巡礼を終えました。

毘沙門堂のある毘沙門山頂上から100mほど下った駐車場(10台ほど駐車可)もあります。
ただし駐車場までの道路は舗装されていますが雑木林の中の坂道で、ガードレールなどもないので 注意が必要です。

福岡県福岡市西区今津1403
(地図)

さて、九州八十八ヶ所百八霊場第八十二番番札所雷山 千如寺 大悲王院」はすでに公開してありますので、リンクページをご覧ください。

また次回は札番では第八十四番飛形山 法蔵院」ですが、こちらも公開済みですので、リンクページをご参照ください。

ということで次回は九州八十八ヶ所百八霊場第八十五番札所「愛宕山 観音寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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