九州八十八ヶ所百八霊場第八十五番札所 愛宕山 観音寺

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九州八十八ヶ所百八霊場
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観音寺は愛宕神社の参道の中程に伽藍を構えています。黒田藩の歴代藩主の御祈願所として信仰を集め山岳信仰の拠点として隆盛を極めました。御本尊勝軍地蔵尊は、ご詠歌にも「諸難を除く愛宕権現」と詠われ、熱心な信仰を集めています。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

愛宕山 観音寺

創建

本文参照

宗派

真言宗大覚寺派

ご本尊

愛宕勝軍地蔵菩薩騎像

ご真言

おん かかかび さんまえい そわか
のうまく さんまんだ ぼだなん かかか そたんど そわか

勝軍地蔵について

兜と鎧を身に着けて、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持ち、戦馬に騎乗しています。勝軍地蔵を念ずれば戦に勝利するとされ、武家の信仰を集めました。また過去世に犯した罪の報いをまぬがれたり、飢饉を防ぐともされました。

愛宕権現の本地仏。大宝年間、役小角が白山修験の開祖とされる泰澄と山城国愛宕山に登ったとき、龍樹菩薩、富楼那尊者、毘沙門天、愛染明王を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残っています。また、敏達天皇の御代、日羅が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『元亨釈書』には清水寺の延鎮が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に坂上田村麻呂の戦勝祈願を行ったことが記されています。

しかしながら、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確ではありません。

『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられています。

ご利益 延命・開運・勝利

住所・連絡先

福岡県福岡市西区愛宕2丁目22-7 TEL 092-881-0514
(地図)

アクセス

福岡市営地下鉄空港線室見駅より徒歩10分
西鉄バス姪浜2丁目下車。徒歩5分
車の場合、84番法蔵寺から能古渡船場入口交差点を左折、渡船場入口交差点を右折し、 最初の三叉路を右へ、愛宕山を登る
山上に駐車場あり、石段を下る
山下からは明林堂書店の駐車場を利用、石段を上る

ご詠歌

前は神 うしろは地蔵大菩薩 諸難を除く 愛宕権現

福岡市民憩いの山に(第八十五番 観音寺)

福岡市民のみならず、九州全域からそのご神徳を求め多くの参詣者で賑わう愛宕神社ですが、今回の巡拝先の観音寺の縁起を語る時、この神社の存在との関わりが深く、まず触れておかなければならないでしょう。
愛宕神社のある愛宕山はかつて鷲尾山と呼ばれていて、景行天皇・西暦72年に鷲尾神社を祀ったのが始まりです。
955年、社殿を改築した際に別当寺として東林寺(天台宗)を開創。その後鷲尾神社は兵火により東林寺を残して衰微したそうです。

時は流れ寛永11年(1634)に福岡藩主・黒田忠之が京都山城より愛宕権現を勧請し、愛宕権現殿や太郎坊天狗鷲尾殿を建立し、別当に圓満寺(真言宗)を創建しました。
その折に、藩主の妹姫が愛宕権現の本地仏として勝宕勝軍地蔵尊を奉納し本地堂に安置したそうです。

三大お家騒動で有名になったお家騒動(黒田騒動)の折、藩主忠之が愛宕権現に祈願し、嫌疑が晴れ改易を免れたことにより愛宕社を本殿、鷲尾社を脇とし、その際に東林寺と圓満寺を合併しました。

明治になり、愛宕・鷲尾両社を合祀した際に圓満寺は廃寺となりましたが、太郎坊天狗や忠之の妹が奉納した愛宕勝軍地蔵尊などは東林寺跡の観音堂に移され、後に「愛宕山 観音寺」と改称され今日に至っています。

縁起が長くなりましたが山上の愛宕神社参詣後、石段を姪浜方面に下る中ほどに観音寺はあります。
山門をくぐると正面に入母屋造のどっしりとした本堂が迎えてくれます。

堂内にはご本尊の愛宕勝軍地蔵尊鷲尾太郎坊天狗役行者毘沙門天不動明王などの諸尊が愛宕権現曼荼羅の配置で安置されています。
また本堂内右手には「四臂十一面観音」坐像も安置され、観音寺では御流神道の本尊とされ、山岳信仰の拠点としても隆盛を極めた観音寺が偲ばれます。

さて、ご本尊の愛宕勝軍地蔵は昭和60年代の本堂の火災により被災し、現在では桐箱に収められ台座の中に収められ、永久秘仏となっています。現在の尊像はその後造られたものだそうです。

境内には祐徳稲荷社の他、左右に石仏が並び、山裾の喧騒と隔絶されたように静かで荘厳な空気に充ちています。

南無大師遍照金剛

観音寺は、桜や紅葉の名所でもある愛宕山の中腹にあり、遠くは今津、今宿、長垂山、飯盛山、背振山等が展望できる。山頂に愛宕神社の麓にある砂岩が永い間に浸食され、遠くから見ると大蛇が横たわっているように見える史跡「蛇岩」があります。

この蛇岩にまつわる悲しい恋愛物語が残っています。
「昔、室見川沿いにある竹浜村と宝来村は愛宕山を挟んで対立していて、互いの村では縁組も厳しくいさめられていました。
ある日、竹浜村の娘が山でヒメユリを探していると、宝来村の若者がイノシシを追って勢い余って谷に落ち、怪我をしてしまいます。
娘は若者を介抱し、2人は恋仲になりましたが、村人に知られ、2人はす巻きにされて海に投げ込まれてしまいます。
その後若者と娘は海中でヘビになり、夜になるとその2匹のヘビがここに遊びに来て、それが岩になったといわれています。」

九州八十八ヶ所百八霊場第八十六番札所 津東山 海心寺

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第八十六番札所「津東山 海心寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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