九州八十八ヶ所百八霊場 第三十八番札所 蓬莱山 長久寺

スポンサーリンク
九州八十八所百八霊場 第三十八番札所 蓬莱山 長久寺 九州三十六不動尊霊場
KODAK Digital Still Camera
スポンサーリンク

長久寺は室町時代、伊満福寺の珏融僧正により創建されました。ご本尊は全国的にも珍しい「木造六観音座像」をお祀りしていて、「弘法大師像」と共に、宮崎市有形文化財の指定を受けています。また、大師像は霊場会の中でも最古参級の像と言われています。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

蓬莱山 長久寺
(御朱印)

創建

永禄5年(1562年)珏融僧正

宗派

高野山真言宗

ご本尊

木造六観音座像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(聖観音・十一面観音・千手観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音
(お御影)

ご真言

聖観音

おん あろりきゃ そわか

十一面観音

おん まか きゃろにきゃ そわか

千手観音

おん ばざら たらま きりく

如意輪観音

おん はんどま しんだまに じんばら うん

馬頭観音

おん あみりと どはんば うんはった そわか

准胝観音

おん しゃれい しゅれい じゅんてい そわか

六観音について

六道にいて、衆生を救うという六体の観世音菩薩をいいます。
古くは大悲・大慈・師子無畏・大光普照・天人丈夫・大梵深音の六観音とされていましたが、密教では聖・千手・馬頭・十一面・准胝(じゅんでい)・如意輪(にょいりん)または不空羂索(ふくうけんじゃく)の六観音で、地獄道に聖(しょう)観音、餓鬼道に千手観音、畜生道に馬頭観音、修羅道に十一面観音、人間道に准胝または不空羂索観音、天道に如意輪観音を配します。

他の霊場札所

九州三十六不動尊霊場 第十二番札所

霊場ご本尊・本堂内、魔除け不動尊
ご詠歌 不動尊 お慈悲は無量長久寺 導きたまえ 六道衆生
ご真言 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろ しやだ そわたや うんたらた かんまん

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

不動十九観とは

不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。

1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。

住所・連絡先

宮崎県宮崎市大塚町城ノ下2825番地 TEL 0985-51-5589
(地図)

アクセス

JR宮崎駅より宮崎交通路線バス「生目台東5丁目行」にて「上大塚」下車。北に徒歩3分。
車は、市街地より国道10号線を西に向かい、宮崎大橋を渡って最初の歩道橋のある交差点を斜め左後ろに進み、二か所目の信号機を右折し、50m先Y字路を左に約200m進む。山門前に看板あり。
境内に駐車場あり

ご詠歌

観音の お慈悲は無量長久寺 導きたまえ 六道衆生

六観音の慈悲(第三十八番 長久寺)

宮崎市街から大淀川を渡り、小高い山をバックに長久寺はあります。
室町時代の永禄6年(1563年) 当時宮崎の仏教の中心だった伊満福寺(いまふくじ)の珏融僧正により創建されました。
明治4年の廃仏毀釈により廃寺となった古城町の伊満福寺が廃されてしまったため、その寺号を一時称しましたが、大正14年に長久寺と改めて存続したものの、長久寺も一時は荒廃しましたが、戦後復興され、現在に至っています。

到着すると広々とした境内が迎えてくれます。
その奥の高台に宝珠のついた宝形造の屋根の本堂がどっしりと佇んでいました。
本堂へと上る石段の右手に庫裡があり、そちらでお納経をお願いします。

長久寺のご本尊は、檜の寄木造で、聖観音・十一面観音・千手観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音の六観音で、これを本尊としている寺院は極めて珍しいとのこと。
いずれの尊像も像高40cmほどの小ぶりなものです。
ただ、無住時代があったためか、各尊像の痛みがあり、とりわけ如意輪観音は傷みが激しく、別途保管されていて、拝観できるのは五体の観音坐像となっています。

本堂裏手の山は、現在は奥の院となっていて四国八十八か所の石仏が配されていますが、かつてはこの山は土持遠江守宣弘が築いた山城があって「山ノ城」「蓬莱山城」と呼ばれていたそうです。

南無大師遍照金剛

本堂には九州八十八所百八霊場の札所には「弘法大師像」も安置されていますが、ここ長久寺の大師像は安土桃山時代の作といわれ、霊場内でも最古級で、全国的に見ても古いものです。

今回は「九州八十八所百八霊場第三十八番札所、並びに九州三十六不動尊霊場第十二番札所の蓬莱山 長久寺」をお伝えいたしましたが、次回は続いて「九州八十八所百八霊場第三十九番札所並びに九州三十六不動尊霊場第十三番札所の日南高野山 潮満寺」をお伝えしてまいります。

九州八十八所百八霊場第三十九番札所 九州三十六不動尊霊場第十三番札所 日南高野山 潮満寺

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

コメント