九州八十八ヶ所百八霊場第五十四番札所 白雲山 医王寺

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九州八十八ヶ所百八霊場
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医王寺は、平安中期に創建されたと伝えられ、江戸時代寛文5年(1655年)に、現在地に再興されました。歴代、八代城の安全と城主並びに城下、家内の除病息災・子孫繁栄を祈願して以来、八代城主 松井家の祈願寺だったお寺です。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

白雲山 医王寺
(御朱印)

別称

足手(あしで)荒神

創建

平安時代中期

宗派

高野山真言宗

ご本尊

薬師如来立像
(お御影)

ご真言

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじる心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

日光菩薩・月光菩薩

この二尊はそれぞれ単独で信仰されることはありません。
常にペアで薬師如来様をお護りされています。
通常は向かって右側(左脇侍)に日光菩薩、左側(右脇侍)に月光菩薩が左右対称に配されています。
日光菩薩は日光遍照とも呼ばれ、千の光を放ち天下を照らし衆生を救済するお役目があります。一方、月光菩薩は月光遍照とも呼ばれ、薬師如来様の正しい教えを守るお役目を担っておられます。
両菩薩ともに衆生の不安や苦しみ、謂わば闇の部分に昼夜分かたずひかりを照らしておられます。
その象徴として、日光菩薩は太陽・日輪、月光菩薩は月・月輪を手にした蓮華にのせられています。(宝冠に太陽、月を表す場合もあります)

日光菩薩 ご真言

おん そりや はらばや そわか

月光菩薩 ご真言

おん せんだら はらばや そわか

十二神将

薬師如来様に付き従うガードマン的存在の一団です。
と同時に経典を読む人々を守るという役目も担われています。
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るといわれています。そのため中国や日本では十二支が充てられています。その割り当てには解釈の違いによって諸説ありますのでご注意ください。当ブログでは混乱を避ける意味から、敢えて割り当てられた十二支は省かせていただいております。
平安時代以降、頭上に標識として干支の動物を掲げている像が一般化され、十二支の彫刻がないものを古様、あるものを新様といいます。
さらに十二神将にはそれぞれ如来・菩薩・明王が化身されたものと言われています。

十二神将とご真言

宮毘羅大将(金毘羅童子、宮比羅)(くびらたいしょう)
   おん くびら そわか

伐折羅大将(金剛力士)(ばさらたいしょう)
   おん ばさら そわか

迷企羅大将(めきらたいしょう)
   おん めきら そわか

安底羅大将(あんてらたいしょう)
   おん あんて(ち)ら そわか

頞儞羅大将(あんにらたいしょう)
   おん あんにら そわか

珊底羅大将(さんていらたいしょう)
   おん さんて(ち)ら そわか

因達羅大将(帝釈天)(いんだらたいしょう)
   おん いんだら そわか

波夷羅大将 (はいらたいしょう)
   おん はいら そわか

摩虎羅大将(まこらたいしょう)
   おん まこら そわか

真達羅大将(緊那羅)(しんだらたいしょう)
   おん しんだら そわか

招杜羅大将 (しょうとらたいしょう)
   おん しょうとら そわか

毘羯羅大将(びからたいしょう)
   おん びから そわか

住所・連絡先

熊本県八代市袋町5-34 TEL 0965-32-7387
(地図)

アクセス

JR鹿児島本線八代駅から九州産交バス宮の町下車、徒歩3分
九州自動車道八代インターから八代市街に向かい、旭中央通り交差点から二つ目の信号を右折、さらに二つ目の信号を左折し、二筋目の一方通行を左に入る
境内に駐車場あり

ご詠歌

有明の 海に白雲 たなびきて 普く救う 瑠璃光の寺

親しみやすい仁王様(第五十四番 医王寺)

八代は球磨川河口の城下町。その中にこじんまりと佇んでいるのが医王寺です。
医王寺は、平安中期に創建されたと伝えられ、江戸時代寛文5年(1655)に、現在地に再興されました。
歴代、八代城の安全と城主並びに城下、家内の除病息災・子孫繁栄を祈願して以来、八代城主 松井家の祈願寺だったお寺です。

境内に入ってまず目を引くのは高さ2.5メートル、300年以上前に造られたといわれる2体の大きな仁王像。よく見かける仁王像よりずんぐりとしていて、片手を挙げたポーズがちょっとユーモラスでもあります。
明治の神仏分離令により、妙見宮(八代神社)の鳥居前に立っていたものを医王寺に移したものだそうです。

54-02.jpg

正面奥に宝形造の本堂があります。
ご本尊の薬師如来立像は平安中期~室町時代の作で桧の一木造り、高さ63.7cm、明治39年に国の文化財指定も受けており、現在境内左手の収蔵庫を兼ねた薬師堂に移され、厨子の中に安置されています。
なお、薬師堂はご住職在寺の時は、お願いすればいつでも開扉、拝観できるそうです。

現在ご本尊が安置されていた場所には光明真言曼荼羅が安置されています。
その他にも雨宝童子、烏天狗、傅大士、妙見大菩薩など変わった尊像も併せてお祀りされています。

またご本尊左に安置されていた聖観音立像は、像高77cmで鎌倉時代後期の作で檜の寄木造りで、県指定重要文化財となっています。

南無大師遍照金剛

本堂前左手には「青面金剛堂」で、手足の病に霊験あらたかな足手荒神が祀られていて、足や手をかたどった木札や草鞋が奉納され人々の信仰を集めています。
足手荒神は、民間信仰を起源とし、信仰の特徴として前述のように手型や足型を奉納することが一般的のようですが、中にはギプスや松葉杖などを奉納する場合もあるようです。
また他人が奉納した手型、足型で患部をなでる例もあるそうです。

九州八十八ヶ所百八霊場第五十五番札所 最栄山 本蔵院

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第五十五番札所「最栄山 本蔵院」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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