九州八十八ヶ所百八霊場 第三十九番札所 日南高野山 潮満寺

スポンサーリンク
九州三十六不動尊霊場
スポンサーリンク
九州八十八所百八霊場第三十九番札所 九州三十六不動尊霊場第十三番札所 日南高野山 潮満寺

潮満寺は日南市を一望する津ノ峰の麓、油津港が眼下に見える高台にあります。かつては、長満寺と称し願成就寺第6世重翁法印が1636年に再興し願成就寺の隠居寺とされました。ご本尊は波切不動は身代わりの仏として日夜に済度の働きをされています。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

日南高野山 潮満寺
(御朱印)

創建

創建年代不詳
1636年 中興 重翁法印

宗派

高野山真言宗

ご本尊

波切不動明王立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

の(な)うまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろ しやだ そわたや うんたらた かんまん

他の霊場札所

九州三十六不動尊霊場 第十三番札所

霊場ご本尊・本堂内、波切り不動尊(九州八十八ヶ所百八霊場と同じ)

ご詠歌

あらたなる こうやのやまに まいりきて よろずのねがい かなううれしさ

ご真言

の(な)うまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろ しやだ そわたや うんたらた かんまん
(色紙)

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

不動十九観とは

不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。

1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。

住所・連絡先

宮崎県日南市油津3-2-7 TEL 0987-22-3131
(地図)

アクセス

JR日南線油津駅からタクシー2~3分、徒歩20分
JR宮崎駅から宮崎交通バス日南行、春日町下車、徒歩5分
宮崎市から国道220号線(日南海岸)を南下し、春日町交差点を経て油津港通り交差点を 左折、左手に見える赤い屋根の弁天堂を目標。
境内に駐車場あり

ご詠歌

波不動 波間に浮かぶ 姿おば 拝みまつりて 今日のうれしさ

汗をかき奔走する不動尊(第三十九番 潮満寺)

宮崎市から日南へと向かう道中は左手に日向灘を眺めながらの心地よいドライブルートです。

日南の潮満寺に向かう少し手前に有名な鵜戸神宮があるので、ちょっと寄り道。
太平洋に突き出した鵜戸崎岬の突端にある洞窟の中に、朱塗りの色鮮やかな御本殿がご鎮座する珍しいものです。
岬のまわりには奇岩、怪礁が連なり太平洋の荒波が打ち寄せて、美しい景勝地となっています。

鵜戸神宮の主祭神は日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)で、
山幸彦が、兄、海幸彦の釣り針を探しに龍宮に赴かれた時、、海神の娘である豊玉姫命と深い契りを結ばれました。
山幸彦が龍宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に来られました。
鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子がお生まれになったなった故に、御名を「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」となったそうです。

さて、余談が長くなりましたが、潮満寺は鵜戸神宮とかかわりが深く、その縁起によりますと延暦元年(782年)光喜坊快久が勅命により鵜戸神宮の初代別当となり鵜戸山権現吾平仁王護国寺と称し、十二支院と封内三大寺院を数え隆盛を極めました。
そのひとつに勢海上人が建立した願成就寺があり、その末寺の九か寺の中に長満寺というお寺がありました。
その長満寺は願成就寺の住職経験者の隠居寺という格式高く重要なお寺でもありました。

しかし明治の廃仏毀釈のため願成就寺以下すべてのお寺が廃寺となってしまいましたが、明治33年町内の有志の願いで俊照上人が大師堂の建立を発願し、明治41年落慶入仏開眼を行いました。
その後、大師堂は現在地に移転し、潮満寺と改称し復興しました。

本堂は石段を登ったところに、かつての格式高さを彷彿させるようにどっしりと建っています。

本堂内にある波切不動尊の石像は、小首を傾げるようなお姿で、巨大な石板に彫られています。
その丈は5m近くはあるでしょうか、圧巻です。
さらに、このお不動さんは不思議なことに、その身体の部分のみ汗をかいたように濡れることがあるそうです。
光背などは乾いたままで、まるで日夜衆生済度に奔走しているがゆえに汗をかいたようだということです。

南無大師遍照金剛

潮満寺は港町の入り組んだところにあるため、本堂は間近に来ないと見えませんが、裏山の中腹にある弁天堂は朱と白の色遣いもあって、遠くからでも見えるので、潮満寺の目印ともなっています。

弁財天という名前は、仏教における呼び名です。
水の神様なので特に農家から信仰されることが多かったですが、今では財運や芸術、学問など多種多様なご利益がある神様として多くの人から親しまれています。
その中でも、特に「海上安全」「交通安全」のご利益もあるそうです。
また、七福神唯一の女神であり、琵琶を演奏する様子も印象的です。

弁財天のご真言

おん そらそばていえい そわか

九州八十八ヶ所百八霊場第四十番札所 法雲山 西明寺

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第四十番札所「法雲山 西明寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

コメント