まずは福岡市内のお寺から巡拝を始めます。
灌漑用の貯水池「野間大池」を見下ろす高台の住宅地の中にたたずむ、九州の茶道にもゆかりのある九州八十八ヶ所百八霊場第二番札所・華香山 松月庵 般若院です。
『概略』
華香山 般若院
別称
松月庵
創建
宝永4年(1707年)
宗派
真言宗大覚寺派
ご本尊
十一面観音立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)
ご真言
おん まか きゃろにか そわか
ご詠歌
観音の慈悲に護られひたすらに 参るきさはし今日もうれしく
住所・連絡先
住所 福岡県福岡市南区大池1ー3ー15 TEL 092-541-5086
アクセス
西鉄大牟田線高宮駅より徒歩15分
車の場合 野間大池交差点右折
駐車場 境内裏に駐車場有
高台の住宅地の寺(第二番 般若院)
西鉄大牟田線で福岡市内は高宮駅で下車、駅近くの野間四つ角交差点から車の往来の激しい大池通りを野間大池(灌漑用の溜池)方面へと歩きます。
前方に野間大池の桜が見える(私が参拝したのが桜の時期だったので)頃、右手の高台に新興住宅地が見え、「般若院」はその中に位置しています。
けっこう急な住宅街内の坂道を息を切らせながら登ると、入母屋造の妻入、向拝付の本堂の屋根が目に入ってきます。
現在は、新興住宅群に埋もれる感じになってしまっていますが、昭和39年に山陽新幹線の開通に伴なう博多駅移転に伴い、住吉(住吉神社北側)より移転してきた頃は、豊かな緑に囲まれていたそうです。
しかし、現在でも高台という位置から、そこからの展望は修験の山として有名な背振山の山容も一望でき素晴らしいものがあります。
この般若院の起源は別称にある「松月庵」で、福岡黒田藩家老の立花平左衛門の二男「実山」としてこの世に生を受け、3代藩主・黒田光之に家老として仕え、光之が死去したことにより出家して「宗有」と改名し松月庵を建立し住じたのが始まりです。実山は茶道極め、南坊流の創始者でもあります。
しかしながら、茶道三昧の悠々自適の生活も長くは続かず、宝永4年に黒田家の世継ぎ問題に巻き込まれ、藩主・黒田綱政の怒りをかい、現在の飯塚市鯰田に幽閉され、その地で自害し、54年の生涯を終えます。
その後、松月庵は仲間の茶人たちの手で守られながら大師堂も建立されたりしていましたが、明治初期の神仏分離、廃仏毀釈などの混乱により衰退し、一時は小堂を残すのみとなっていました。
しかし、明治45年に暹海(せんかい)和尚が再興し、昭和7年には暹明(せんみょう)和尚が本堂や庫裡を建立しています。
そして、昭和39年の移転の際に、高野山の般若院という寺号を移しました。
境内に入ると、弁財天、不動明王、地蔵菩薩や四国八十八ヶ所の本尊諸仏の石像が居並んでいます。
本堂内陣にはご本尊の十一面観音を中央に、右に弘法大師と十一面千手観音が、そして左には薬師如来と不動明王が奉安されています。
まずは本堂にて参拝。
この日はご不在で仏前に御朱印が置いてあり、セルフサービスでいただきました。
お遍路駆け出しの身にはちょっと味気ない感じでした。
本堂でのお参りを済ませて、御朱印もいただいて境内をウロウロ・・・弁財天や不動尊、地蔵尊等にも手を合わせて、次なるお寺へと、登ってきた坂道を転げるように下りていきました。
南無大師遍照金剛
参考になる関連書籍やWebなどを見ながら、参拝時の記憶をもとに記事を書いていると、当時遍路初心者だった故か、ガイド書に載っている地図とアクセス方法のみにさっと目を通すだけで、参拝先のお寺に関する下調べもほとんどせずに、ただ行ってお参りをして御朱印をいただいていたことをとても残念に思い後悔しています。
お遍路が進み、参拝作法も徐々に身につくころになると徐々にお寺の縁起、沿革なども調べたり、お寺のある周辺のことにも目を向けるようになっていったと思っています。
これからお遍路を始めてみようと思われている方には、是非とも最初から下調べをいろいろしてからお遍路の道中に旅立たれることをお勧めしたいと思います。
話が横道にをれ増したが、ここ般若院の前身である松月庵は、境内右手に近年再建されました。
栄枯盛衰の般若院の縁起に触れると、もう一度お参りに伺い、境内に展開する茶堂の侘び寂びの空気にきちっと触れてみたいと思っています。
お遍路ビギナーの道中が始まったばかりの頃でした。
次回は第三番札所「清影山 如意輪寺」をお伝えしていきます。
願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道を成じょうぜんことを 合掌
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