立春|東風解凍|はるかぜこおりをとく|立春大吉|節分|2024年

歳時記
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福寿草

暦も一巡し4日より新たな二十四節気・立春、そして七十二候の第一候・東風解凍(はるかぜこおりをとく)がスタートします。
冬が極まると同時に春の気配が立ち始める頃となります。
地面からは福寿草が顔を出し、九州などではが咲き始めます。

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立春(りっしゅん)

節分の記事(2024年改訂版)に書きましたが、地球にも緯度と経度があるように地球から見た宇宙(天球)にも位置を表す緯度・経度があります。

その中の太陽の通り道(黄道)と地球の赤道面を延長した天の赤道とが地球の公転軸のに傾きがあるため一年に二回だけ交差します。
その点を「分点」と言っていますが、その中の黄道が南から北へ交わる方を春分点(しゅんぶんてん)といって、その点を起点(0度)としています。その位置が315度になる日が「立春」です。

2024年の春分は4日です。
それに従い節分は3日です。今年の恵方は「「東北東」(細かくいうと東北東微東)」です。

なお節分の記事では「鬼」について少し詳しくお伝えしていますので、ご一読ください。

梅 蕾

暦では新年の始まりとされ、立春を起算日(第一日目)として八十八夜や二百十日、二百二十日などが決まっていきます。
旧暦では立春のころに元日(旧正月)がめぐってくることが多かったため、立春は春の始まりであると同時に、新しい年の始まりを意味していました。実際には二十四節気や新暦(太陽暦)は太陽の動きに基づきますが、旧暦(太陰太陽暦)は太陽と月の動きに基づくため立春=元日ではありません。
しかし、概ね約30年に1度、「朔旦立春(さくたんりっしゅん)」または「立春正月」といって立春が旧暦1月1日になる年があり、大変めでたい日とされて次の朔旦立春は2038と予測されています。
いずれにしても、年賀状に「新春」「迎春」と書く習慣は、立春が新しい年の始まりであったことからの名残です。
よくニュースなのでは「暦の上では春」という言葉が発せられますが、暦の上の春は、立春から立夏(2022年は5月5日)の前日までをさします。ですからお馴染みの『暦便覧』にも「春の気立つを以って也」と記されているように、立春は本来では「春の気配が立ち始める日」あるいは「冬の寒さが底を打つ日」なのです。

実際にも四国沖や東海沖、東シナ海などで発生して、日本の南岸を沿うように東北東の方向に進むいわゆる南岸低気圧の発生も立春を境に多くなり、寒気や荒天のピークともなる時期です。
一方で縦に長い日本列島の場合南の方から徐々に暖かくなっていきます。沖縄や九州は立春を迎えるとかなり暖かくなっています。

その違いの中でも少しずつ春に向って近づいていく気配を感じ取る古人のセンスには今更ながら感服します。

春一番

これから気象台より「春一番」を観測しました、という報に接することもあると思われますが実はこのは「春一番」は北海道、東北、沖縄では発表されません
「春一番」は北海道、東北、沖縄以外の地域で、立春から春分までの間で、日本海を進む低気圧に向って南側の高気圧から吹く10分間の平均風速が毎秒8メートルを超える東南東から西南西の風、しかも前日よりその日の気温が上昇していることといった要件満たした際に「春一番」とされてます。しかしながらこの「春一番」が吹くと翌日は寒さが戻ることも多く、それを「寒の戻り」と言っています。

春一番

気象庁は「春一番」の語源については諸説があるとしつつも、以前から郷ノ浦町で「春一」と呼ばれていたものがありましたが、安政6年2月13日(1859年3月17日)長崎県壱岐郡郷ノ浦町(現・壱岐市)の漁師が出漁中、折からその強風によって船が転覆し、53人の死者を出して以降、漁師らがこの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったと紹介しています。ちなみにこの事故により、1987年に郷ノ浦港近くの元居公園内に「春一番の塔」が建てられています。

この「春一番」が吹くと翌日は寒さが戻ることも多く、それを「寒の戻り」と書きましたが、「春一番」は確実に春が忍び寄ってきている気配には違いありません。

立春大吉

皆さんは禅宗のお寺で「立春大吉」と書かれた厄除けのための御札を見かけられたこともあると思います。
現在でも曹洞宗のお寺などでは、立春に合わせて檀家の方々に立春大吉の御札を配るそうです。

このお札、縦書きであれば解りやすいのですが、この四文字は左右対称であることに気づかれると思います。

左右対称であるため表から見ても「立春大吉」裏から見ても「立春大吉」なのです。
これは節分で追い払われた鬼がリベンジではないでしょうが再度家の中への侵入を試みた時、鬼が表の「立春大吉」を目にしながら玄関から侵入してふと振り返るとそこにも「立春大吉」の札が・・・
それを見た鬼は「あれっ!?まだ家の中に入っていないと勘違いをして外に出て行ってしまうので、家の中には侵入されず一年間平穏無事に過ごせるというわけです。

立春大吉 札

このお札、お寺で授与しているところもありますが、自分で書いた札を貼っても効果はあります。
そのお札は立春の日に貼り、次の年の立春の日に貼り替えます。
貼り方は、立春の早朝に玄関の右手、目線より高い位置にご飯粒や両面テープ、糊を使用して貼っている人が多いようです。
また神様を直接刺しているのと同じことになってしまうので画鋲や釘で張り付けるのはダメだそうです。

今年は「立春大吉」のお札を手作りして貼ってみたらいかがでしょうか。

東風解凍(はるかぜこおりをとく)

冒頭にも書きましたが七十二候も一巡し第一候の「東風解凍はるかぜこおりをとく)」となります。
東風(はるかぜ、こち)とは、春から夏にかけて吹く東寄りの風のこと。東風が吹き、氷が解ける頃という意味です。東風が吹くと寒さが緩むため、春を告げる風として春の季語にもなっています。

飛梅 太宰府天満宮

菅原道真公の「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘るな(忘れそ)」という歌で有名です。
七十二候では「はるかぜ」と読ませていますが、道真公は東風は「こち」とも読ませています。
前書きとして、その作品の動機・主題・成立事情などを記した「詞書(ことばがき)」には、「流され侍(はべ)りける時、家の梅の花を見侍りて」とあるように、菅原道真公が京の都から左遷先の大宰府へ向かう時に日ごろ愛していた屋敷内の庭木のうち、日頃から愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しみ、とりわけ梅の木に別れを告げ詠んだ歌です。
歌の意味は「春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府(だざいふ)へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな(春を忘れてくれるなよ)」です。
その後この梅は大宰府の道真公のもとへ一夜のうちに飛んで行ったという「飛び梅」の伝説があります。飛び梅は元来、菅原道真公の配所(府の南館)跡に建立された榎社の境内にありましたが、太宰府天満宮が造営される時に本殿前に移植されたといわれています。そして後に道真公をご祭神とする神社に株分けされたものが各地にあります。

馬耳東風(ばじとうふう)

東風の字を見て「馬耳東風」を思い浮かべた方もおられると思います。

馬耳東風 馬の耳

この四文字熟語の意味は
馬は自分の耳を撫でる春の訪れを感じさせてくれる東からの風にも感動を覚えることなどなく、いつもの普通の風としか感ぜず、受け流してしまう
このことから転じて
他人の意見や批評を心に留めようともしない」という意味になりました。

東風吹けば雨

さらにお天気のことわざで「東風吹けば雨」というのがあります。

雨を降らせる低気圧が西から近づいて、気圧の高い東から暖かく湿った風を巻き込みながら東進していきます。
そのため東風が吹いた後は、次第に雨が降り出すという雨の前触れなのです。
しかも再び寒気も流れ込みますので冷たい雨になるようです。

春を呼ぶ東風の暖かさと寒の戻りを繰り返しながら着実に春へと向かっていきます。

結詞

気分転換に散歩に出てみたら、雲の多い空模様で、気分転換どころではないなぁと思っていると、少しお年を召した女性の春色のマフラーが目に飛び込んできました。新型コロナウィルス禍の不要不急の外出自粛からは解放されたものの、寒気に伴う空模様と辺りはどんよりとした空気に包まれている中、パッと明るい光が射したように鮮やかな清々しい心持になりました。
ちょっとした小物にほんの少しの春の色明るい色を取り入れると、自分自身にささやかですが春を感じられるようになります。

黄鶯睍睆 うぐいすなく ウグイス

未だ冷え込む朝もありますが、暦は着実に春本番に向かっています。鶯の鳴く声も山あいには聞こえ始める日もあり、次候は9日より「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」と進んでいきます。

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