処暑|綿柎開|わたのはなしべひらく|地蔵盆|2023年

歳時記
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処暑 しょしょ

猛暑、酷暑そして災害級の暑さと叫ばれる中、暦は23日より、二十四節気は「処暑」、七十二候はその初侯「綿柎開(わたのはなしべひらく)」と移っていきます。
今年は新型コロナウィルス感染拡大の第7波とも言われ、医療崩壊の危機すら迫る非常事態となっています。
そしてその影響は新型コロナウィルスの発症の状況と「熱中症」の症状の判別が難しく、病床の確保が難しく「熱中症」で命を落とす方も増えることも懸念される昨年同様の厳しい「夏」となってしまっています。

ブログ公開休止のお詫び

8月初旬に来襲した台風6号の爪痕により、インターネット回線が不通になり、本日やっと復旧いたしました。その間、ブログの公開が出来ずお詫び申し上げます。

本日の処暑(しょしょ)・綿柎開(わたはなしべひらく)より再開させていただきます。

なお、公開、更新できなかった七十二候の「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」・「蒙霧舛降(ふかききりまとう)」は今週末を利用して、暫時公開してまいります。

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処暑(しょしょ)

23日より暦は二十四節気の「処暑(しょしょ)」となります。
「処」の字には「おちつく」という意味があります。「処暑」とは暑さがおさまる時期です。
暦便覧では「陽気とどまりて初めて退きやまんとすればなり」とあり、夏の暑さが峠を越し、おさまるという意味ですが、現実的には日中はまだまだ猛暑日を含め30度を超すような厳しい暑さが続いています。
朝晩、特に早朝などは僅かではありますが気温が下がってきて、25度を下回るとどことなく秋の気配を感じさせてくれるのですが、最近ではその気配すら感じられなくなってきてしまっています。

綿柎開(わたのはなしべひらく)

七十二候は処暑の初候「綿柎開(わたはなしべひらく)」の候に入ります。
綿は7月~9月に一日限りの黄色い花を咲かせ、夕方には淡いえんじ色に変わり萎んで落ちてしまいます。
花の儚さや色の変わり方などは沖縄でよく見かける同じアオイ科の「ゆうなの花(オオハマボウ)」に似ています

綿の花

花を終えた後、子房がふくらんで緑色の固い実がどんどん大きくなり、「柎・はなしべ」がはじけるように、ふわふわした綿が顔をのぞかせ始めます。

綿柎開 わたのはなしべひらく

木綿はアオイ科ワタ属の総称でその実の中の種子の表面に綿毛が生えています。
またその綿毛を採った後の種子を絞ったものは綿実油として食用になります。
ちなみに植物の時期は「わた」と呼び、それが繊維として製品となると「めん」と呼ばれるそうです。
そして木綿は、冬には、その保温性から寒さを防ぎ、夏には、蒸し暑さの中、その吸湿性と通気性から暑さを和らげてくれる素材です。

地球温暖化抑止のため「SDG’s(持続可能な開発目標)」が叫ばれる時代には、うってつけの素材といえるでしょう。

ただ、その生産地には発展途上国も多く、生産国ではその安さを生み出すため、正当な対価が生産者に支払われなかったり、生産性を上げるために必要以上の農薬が使用され環境が破壊されたり、生産する人の健康に害を及ぼしたりといった事態が起こっています。

生産者が品質の良いものを作り続けていくためには、生産者の労働環境や生活水準が保証され、また自然環境にもやさしい配慮がなされる持続可能な取引のサイクルを作っていくことが重要です。

そのためには、フェアトレードも意識する必要があります。

フェアトレードとは直訳すると「公平・公正な貿易」。つまり、開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易のしくみ」をいいます。

地蔵盆

さて話題は変わりますが、秋の風物詩が目白押しの京都ではお盆の送り火として有名な「五山の送り火」が今年も16日に行われました。
今年もご先祖様の霊を送るという本来の意味合いが色濃く感じさせてくれた「送り火」であったのではないでしょうか。

ところで23日、24日は関西地方、特に京都地方を中心の風習というか行事の「地蔵盆(じぞうぼん)」です。
毎月24日は地蔵菩薩の縁日で、その内旧暦の7月の24日の縁日がちょうどお盆の時期に近いので「地蔵盆」と呼ぶようになりました。

京都の子どもたちにとって、これなしに夏休みは終われないとも言われるのが「地蔵盆」。
お地蔵さまの前に集まって一緒に遊び、子どもの成長や町内の安全を願う、毎年8月の伝統行事です。

最近では旧暦の7月24日に拘らず、月遅れの24日や新暦の7月24日に行われる所や24日に近い土日で行われる所もあるようですが、8月24日に行われる所も多いようです。

地蔵菩薩 お地蔵さん

そもそも、お地蔵様の由来となっている仏教の地蔵菩薩の「地蔵」とはサンスクリット語では「クシャティ・ガルバ」といい大地、胎内、子宮を意味するそうです。
それを意訳して「地蔵」となったそうです。
仏教ではお釈迦様が亡くなられて56億7000万年後に弥勒菩薩様が生まれて衆生を救済すると言われていますが、それまでの間、お地蔵さんが人々を守り救ってくれる役目を担っています

地蔵盆の由来

地蔵盆の由来には諸説ありますが主だったものをご紹介しておきます。

由来その1

賽の河原

親より先に亡くなった子供は成仏できないと言われ、三途の川の賽の河原で小石を積み上げる修行をしたそうですが、ある程度積み上げると鬼が来て、こん棒で壊してしまわれたそうです。壊されればまた摘みなおし、また鬼が来て壊されるの繰り返しでした。
それを哀れんだ地蔵菩薩が鬼から子供を守り救ったという江戸時代に広まったお話が由来だという説

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

由来その2

六道珍皇寺

地蔵菩薩の化身と言われている「閻魔大王」が地獄で苦しんでいる死者に代わり、自らが地獄の炎で身を焼いて苦しんでいるのを、閻魔大王の裁判の補佐をしていた平安時代の歌人の小野篁(おののたかむら)が目撃し、閻魔大王を救うための供養を始めたという説

地蔵盆 子供

さて京都の地蔵盆は、地域ごとにその行い方は様々ですが、概ねお地蔵様が祀られているお堂や近くに仮屋を立ててその中で念仏や真言(オン カカカビ サンマエ ソワカ)を唱えながら大きな数珠を回わす数珠繰り・数珠回しを行ったり、集まった子供たちはお菓子を食べたりゲーム(昨今ではビンゴゲーム等)をしたりして残り少ない夏休みを楽しんでいるそうです。

結詞

天地始粛 てんちはじめてさむし

昨日、気象庁より向こう3か月の予報が発表されましたが、9月、10月といずれの地域でも気温は平年よりも高いと予想されています。

この夏は、熱中症で救急搬送される方が、昨年の2倍を超えているそうです。まだまだ気を緩めずに対策しながら頑張りたいものです。

さて、暦は粛々と処暑の次候「天地始粛(てんちはじめてさむし)」へと移っていきます。

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