小暑|温風至|しょうしょ|あつかぜいたる|七夕|2023年

歳時記
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暦は暑い時期の始まり「小暑(しょうしょ)」そして七十二候は「温風至(あつかぜいたる)」と移っていきます。また五節句の一つ「七夕(しちせき)」を迎えます。

さらには福岡では夏の風物詩の「博多祇園山笠」で賑わいます。

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小暑(しょうしょ)

いよいよ一年の中で一番暑い時期が始まります。二十四節気の中でも「小暑」「大暑」の頃は暑さも本格的となり、「暑中見舞い」などの挨拶状を贈るのもこの間です。
夏至も過ぎ、日中の長さは次第に短くなっていきますが、日差しの強さは強まっていきます。昨年は新型コロナウィルスの為、外出時のマスク着用が推奨されていましたが、今年もじわじわと感染者が増えてきているようですので、人混みでの基本的な感染予防対策は必要のようです。しかし、これから暑さも本番となり熱中症の懸念も増大しますので、そこで感染症に対する感染防止と熱中症対策を両立させなければいけませんね。
今年はその「暑さ本番」の前から、異常な高温状態が続き「猛暑日」が頻発しています。
小暑は暦便覧には「大暑来れるまへ(前)まで」とあるように本格的な暑さ到来の「大暑」までの徐々に暑さが増す頃という意味もあり、冬の「小寒」・「大寒」と対をなす節気で、半年ごとの季節の入れ替えというとても便利なアナウンス節気とも言えましょう。

温風至(あつかぜいたる)

七十二候も小暑の初候「温風至(あつかぜいたる)」と移り、例年ですと「梅雨明け間近」という頃合いです。今年も梅雨末期の異常なほどの豪雨があちらこちらを襲っています。

前回の半夏生の記事でも書きましたが、まだまだ太平洋高気圧の勢力も発達途上ですので日本には梅雨前線が残り、その前線を刺激するかのようにまだまだ湿った気流が吹き込んでくる「半夏雨」があり、この時期の日本列島は豪雨災害が多発している時期ですので、くれぐれもご用心ください。

この「温風」、南風と言い換えてもいいのですが、前述の「半夏雨」を降らせるような南風は「黒南風」そして梅雨前線も消え列島が太平洋高気圧に覆われる頃になり吹く南風は「白南風」とも呼ばれています。

さてこの時期、福岡では「博多祇園山笠」が動き出す前の大切な行事が目白押しとなるころですが、今年は新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類に移行する事により4年ぶりに例年通りに近い行事が行われる予定だそうです。

今年の山笠番付が発表され、一番山笠は土居流、以下、二番山笠 大黒流、三番山笠 東流、四番山笠 中洲流、五番山笠 西流、六番山笠 千代流、七番山笠 恵比須流の順です。
博多祇園山笠の記事は「風物詩」のカテゴリーに掲載いたしましたので、ご覧ください。

七夕

日本でも織姫と彦星の年に一度の逢瀬を見守る七夕のお祭りは正式には7日の夜を表す七夕(しちせき)の節句または「笹の節句」「星祭り」と呼ばれています。
最近では七夕も新暦の7月7日、月遅れの8月7日、さらには旧暦の7月7日(新暦では2022年8月4日)と地域によって様々ですが、意外と織姫と彦星の話や由来、笹に飾るものなど知らない方も多いと思います。そこで、少し掘り下げて「七夕」についてお話ししておきます。
その前に、そもそも節句とは、「季節の節目となる日」のことを言います。
もともと奈良時代頃に中国から伝えられた「陰陽五行説」が由来とされており、古くから年中行事を行う節目として大切に扱われてきました。
ちなみに七夕以外の節句は、1月7日人日の節句、3月3日上巳の節句、5月5日端午の節句そして9月9日重陽の節句です。

七夕の由来その1(織姫と彦星のお話し)

天の川の西岸に機織りの名手の織姫というお姫様が住んでいました。その織姫のお父さんは天の帝、天帝でいつも織姫の織り上げる織物に大変感激していました。
そこで是非とも素晴らしい相手と娶わせたいと心を配っていました。
そこで天帝は天の川の対岸に住む働き者の牛飼いの男性と引き合わせ、二人も互いに気に入りめでたく結婚しました。

ところが結婚してから仲睦まじいことは良いのですが、それも度が過ぎ、二人とも機織りもせず牛飼いもしなくなってしまいました。
それを見て怒った天帝は二人を天の川の西岸と東岸に引き離してしまわれました。

ふたりは悲しさのあまり来る日も来る日も悲嘆にくれる毎日を過ごすようになってしまったので、天帝も不憫に思い、年に一度だけ天の川に天帝の命を受けたカササギを使わし、ふたりが会うようにしてあげました。

七夕の由来その2(乞巧奠)

前述の二人の逢瀬を祝う行事として中国では乞巧奠(きっこうでん)という行事が催されるようになりました。
この行事が奈良時代に日本に伝わり日本古来から伝わる「棚機女(たなばたつめ)の伝説」などと融合しながら日本での七夕(たなばた)となっていきました。
さてその中国で行われていた乞巧奠という行事は織姫にあやかり裁縫などの技術などの上達を願った行事で女性たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったそうです。

五色の短冊

七夕の歌にもある「五色の短冊」も中国の「陰陽五行説」に基づくもので、「木・火・土・金・水」を表す「青(緑)、赤、黄、白、黒」の5色が充てられていて、後に黒は縁起が悪いということで紫を代用としたようです。

七夕飾り

笹竹には神を迎える依り代や災禍を水に流す役割があるとされ、その笹や竹に様々な飾りを飾ります。
その主役は「短冊」で江戸時代からその風習は寺子屋で勉学に励む子弟や手習い事をする人達の間で盛んになりました。
他に飾られるものとして魔除けの意味がある五色の吹き流し、豊年豊作大漁の願いを込めた漁網を表した網飾り、長寿を願う折り鶴、裁縫の上達・衣類に困らない・厄を移す意味での神衣、金運アップを願って財布や巾着などが定番の飾りです。

七夕の髪洗い

七夕の髪洗い」は、七夕の日に女性が川で髪を洗う風習で、平安時代に書かれた『うつほ物語』にもその様子が描写されています。
うつほ物語』は平安時代中期に成立した長編物語で、当時の貴族にとって、その演奏が教養でもあった楽器のひとつ「琴(きん)」の音楽をめぐって物語が展開していきます。
そして当時の年中行事を記した日記的な記述も多くみられる点も特徴のひとつです。

現代では、さすがに川で洗おうとする女性はいないでしょうが、一般的な洗髪でも七夕の日に髪を洗うと髪が美しくなるという言い伝えが残されています。
それは「棚機津女(たなばたつめ)」伝説にある、水辺で水の神を迎えた女性が、7月7日に川で禊ぎ(みそぎ)を行ったという伝承に基づくものからきていると思われます。

七夕の行事食

七夕の行事食はなんと「そうめん」です。
この「そうめん」にもちゃんと由来があります。
由来には諸説ありますが、一番有力なのが中国伝来の「索餅」(さくべい)という縄のように編んだ小麦粉のお菓子のようなもので、索餅は古代中国で7月7日に死んだ帝の子供が鬼神となって疫病をもたらしたことからその霊を慰めるため好物だった索餅を供えて霊を鎮めたそうです。
その索餅も日本に伝わり、現代では素麺(そうめん)のルーツだと言われています。
そして7月7日にそうめんを食べると一年無病息災で暮らせると宮中から庶民にも広がり7月7日すなわち七夕の日にそうめんを食べる習慣が根付きました。

結詞

『ささの葉さらさら
のきばにゆれる
お星さまきらきら
きんぎんすなご

ごしきのたんざく
わたしがかいた
お星さまきらきら
空からみてる』

皆さんはどんな七夕を迎えられるでしょうか。そして短冊にはどんなお願い事をしたためたでしょうか。
今年の七夕では「熱中症になりませんように」などの願い事も見受けられそうです。
令和5年の後半、皆さんにとって良い半年でありますように!!

さて、沖縄本島中部にある東南植物楽園では「蓮祭り」が開催されます。(2023年は6月17日より開催
私も以前撮影に早い時間帯に出かけたことがあります。蓮は朝早くから咲き始め午後になると萎んでしまうので蓮観賞は午前中がお勧めです。東南植物楽園では土・日・祝は朝7:00よりオープンしているそうです。
ということで次回は「蓮始開(はすはじめてひらく)」をお伝えしていきます。

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