福岡の夏の風物詩~博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)

風物詩
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博多の夏の風物詩は、春の博多どんたく・秋の筥崎宮『放生会』とならぶ博多三大祭り博多祇園山笠です。
正式名称は「櫛田神社祇園例大祭」です。
参加者や福岡市民などからは「山笠」「ヤマカサ」とも略されます。

締め込み姿の勇ましい男衆が、山笠を舁き、勢(きお)い水を浴びながら街を駆け抜ける勇壮なお祭りです。
毎年約350万人もの観客が訪れる活気のある祭りで、そこには780年余りの伝統があります。
平成28年(2016年)にはユネスコの無形文化遺産への登録を果たしました。

博多祇園山笠は令和4年で781年の歴史を迎えました。
2020年から新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延し、伝統を誇る博多山笠も二年連続で舁き山笠行事を延期されていました。

そこで大変奥の深い行事ですが、基本的な事柄をご紹介しておきたいと思います。

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博多祇園山笠の始まり

博多祇園山笠の起源といわれる説はいくつかあるのですが、鎌倉時代に承天寺の開祖であり当時の住職であった聖一国師という禅僧が博多で流行する疫病を鎮めるために、1241年、施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)を撒いて町を周ったことが起源であるという説が最も有力とされています。
博多祇園山笠を運営する団体の博多祇園山笠振興会もこの説を採っています

その他の説としては、櫛田神社の社伝によるもので、祭神の一つ祇園大神(素盞嗚命シサノオノミコト)を勧請した天慶4(941)年、当時の都である京都では、すでに現在の祇園祭につながる御霊会が行われていて、勧請間もなく始まったという説。
また、文献的初見である「九州軍記」に基づいて永享4(1432)年という起源説もあります。

山笠とは

山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事のひとつであり、地域の住人たちが伝統的に行ってきた町内行事です。
そのため当事者として祭りに参加できるのは、原則として地域住民および地域出身者のみです。

祭礼そのものを指す「山笠」と区別するため、神輿に相当する山笠を「山」「ヤマ」と称することもあり、山笠を担いで市内を回ることを山笠を「舁く(かく)」と言い、担ぐ人のことを「舁き手(かきて)」と言います。

「舁き山」と「飾り山」

その山笠は、一般の祭りの神輿や山車に相当するもので、御霊を宿らせる(「御神入れ」という)もののことを博多祇園山笠では「山笠」や「ヤマ」と呼んでいます。

そして「舁き山」と「飾り山」の2種類あり、舁き山は神輿のようにかつぎ、市内を走り回ります。一方飾り山は人形などの細工で豪華絢爛に飾りつけられ、番外の櫛田神社の他、市内13か所に設置させらます。

「差し山」と「堂山」

もう一つは「差し山」と「堂山」です。
山にはそれぞれ番号が振られており、奇数番の山笠が「差し山」(または「差し山笠」)、偶数番の山笠が「堂山」(または「堂山笠」)と呼ばれて区別されています。一般的に、差し山笠には雄壮な飾り堂山笠には優美な飾りを飾るのがしきたりで、飾り山、舁き山ともこの約束事に従って飾り付けがされています。
古い文献「櫛田社鑑」によれば、「一番、三番、五番を修羅(しゅら)とし、二番、四番、六番を鬘(かずら)につくらしめ給う」とあります。
分かりやすく言うと「一番、三番、五番を修羅のようなな男らしい飾りに、二番、四番、六番をかずら(かつら=女性)のような優美な飾りに」ということになります。
この事から、差し山と堂山は別名「男山」「女山」とも呼ばれています。

差し山の特徴

差し山笠の飾りの最上部には「大神宮」「櫛田宮」「祗園宮」の三神額が、取り付けられています。非常に目立つので、遠方からでも一目で差し山笠とわかります。

堂山の特徴

堂山笠の飾りの最上部にはお堂(屋形)が取付けられています。飾り山笠はわかりやすい「お堂」が飾られていますが、舁き山の場合、表題によっては明確な「お堂」がない場合もあります。その場合は、飾りの最上部に「三神額」が無ければ堂山笠と見て良いでしょう。

舁き山

博多祇園山笠の主人公といえば、やはり勇壮に走り回る「舁き山」ではないでしょうか。
「招き板」を持つ子供や「招き旗」を持つ年寄りで構成されている「先走り」が舁き山の前方を走り、さらに「前さばき」と呼ばれる山のすぐ前を走る男達が露払いのごとく山の進路を開けていきます

舁き山笠を舁くのは、通称『七流(しちながれ)』と呼ばれる恵比須流土居流大黒流東流中洲流西流千代流の各流(順番は2022年の順番)で、山笠のクライマックス「追い山」では精鋭の舁き手達が「櫛田入り」を行い、山笠を奉納します。
その「流(ながれ)」は、豊臣秀吉による天正15年(1587年)に島津との戦いの結果甚大な被害を受けた博多の街で行った「太閣町割り」が起源と言われています。
東は御笠川、西は博多川を境にして町割りを行い、その一区画を「流」と呼びました。謂わば現代の日常生活に密着した自治組織の校区自治連合会のようなものでしょう。当時も奇数の七は縁起がいいとされ、流も七つと決められました。
この「流」が博多祇園山笠のグループ単位の発祥となりました。

博多祇園山笠スケジュール(2022年度)

7月1日 注連(しめ)下ろし ・ご神入れ・当番町お汐井(しおい)とり

いよいよ一連の「博多祇園山笠」の本番ともいえる行事がスタートします。

注連(しめ)下ろし

祭り初日に舁き山笠の流区域を清める行事
町の角々に笹竹を立て、注連縄を張り、竹で作った”素朴”な御幣を添え、櫛田神社神官が祝詞をあげ、期間中の安全を祈願します。
恵比須流だけは1ヶ月早く、6月1日に実施しますが、これは明治中期まで旧暦でお祭りをしていた名残だそうです。

ご神入れ

山笠に神を招き入れる神事
商店街などに建つ飾り山笠が先行します。
これも櫛田神社の神官がスケジュールに沿って各山笠を順番に回って行います。
これが済むと、山笠は一般に公開されるようになります。
一方の舁き山笠のご神入れは6、7日頃行なわれます。

当番町お汐井(しおい)とり

その年、各流の当番町になった町の面々(流当番のところは流役員)が、一足先に箱崎浜まで駆けて行き、汐井(真砂)を小さな升やテボ(竹ヒゴで編んだか ご)に入れて持ち帰ります。

その際のいで立ちは、もちろん正装である、法被に締め込み姿です。

本年(令和4年)は催行しますが、お汐井取りに参加できない方は7月1日(金)・9日(土)17時~終日 正面ゲートが開放されているそうです

7月9日 全流お汐井とり

1日の夕方の当番町お汐井とりと主旨と行動はほぼ同じですが、各流の舁き手が揃うから壮観です。
各流ごとに午後6時から7時過ぎにかけて箱崎浜に到着し、沈む夕日に柏手を打って安全を祈願します。

帰路は筥崎宮、櫛田神社に参拝します。
※こちらも本年(令和4年)は催行しますが、お汐井取りに参加できない方は7月1日(金)・9日(土)17時~終日 正面ゲートが開放されているそうです。

7月10日 流舁き

いよいよ舁き山笠が登場。山が動き出します。
それぞれの流区域内を舁き回ることからこの名がついています。
舁き出し時刻は流ごとに異なり、コースも年によって異なりますが、公式発表も行なわれないので、事前に流関係者に聞くしかありません。
ただ「山小屋」付近で待機していれば大体わかります。

7月11日 朝山・他流舁き

これも流舁きですが、早朝に町総代や旧役員を呼んで接待するところから祝儀山とも呼ばれています。
招かれた総代らは帷子(かたびら)に角帯を締めて出席、台上がりは白麻の半纏(はんてん)を着用するのが慣わしだそうです。
また、当番町の子供たちもこの日だけは山笠の飾りを囲む杉の葉を竹の綱代に挟み込んだ壁の「杉壁(すいかべ)」内に乗せてもらえます
内側には松の枝を飾り、四隅には「台上がり」が持つ指揮棒である麦わらに赤い布を被せた「鉄砲」を取り付けてあります。

さらにこの日は朝とともに1日2回舁きます
流の外に出るところからこの名があります。
櫛田神社の清道を回る「櫛田入り」の練習をする流もあります。

7月12日 追い山ならし 午後3時59分スタート

 文字通り「追い山笠」のリハーサル。
一番山笠から順次「櫛田入り」して奈良屋町角の廻り止め(ゴール)までの約4kmのコースを本番さながらに全力で舁いていきます
一番山笠は追い山笠同様、「櫛田入り」の際、山笠を止めて「博多祝い唄」を歌う事も認められています。
「櫛田入り」「コース」とも所要時間が計測されます。
櫛田神社には追い山当日同様「桟敷席」が設けられます。

祝い芽出度 (博多祝い唄)

祝い芽出度のー 若松様よー
若松様よー
枝も栄ゆりゃ 葉も繁る
エーイーショウエ
  エーイーショウエ
   ショウエイ ショウエイ
    ションガネー
アレワイサァソー
 エサーソエー
  ショーンガネー

こちの座敷はー 祝いの座敷
祝いの座敷
鶴と亀とが 舞い遊ぶ
  (囃子言葉前と同じ)

さても見事なー 櫛田の銀杏(ぎなぁん)
櫛田の銀杏 枝も栄ゆりゃ
葉も繁る
  (囃子言葉前と同じ)

7月13日 集団山見せ 午後3時30分スタート

福岡市の要請で昭和37年から始まりました。
当初は昭和通りで行なわれていましたが、昭和58年からは明治通りの呉服町交差点~天神(福岡市役所)間約1.3kmをこの日に限り、各界の著名人が台上がりを務め、棒さばき役の各流総務ともども舁き手を叱咤激励します。

7月14日 流舁き

追い山笠では、慣れた若手やベテランの舁き手が交代で山笠に付くため、未熟な舁き手にとっては、その年、山笠が舁ける最後のチャンスです。
この時も「櫛田入り」の練習をする流もあります。

7月15日 追い山 午前4時59分

大太鼓の合図とともに一番山笠から順に「櫛田入り」。
その後、境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して懸命に舁きます。
「櫛田入り」「コース」ともに所要時間が計測されます。
櫛田神社の能舞台では午前6時から荒ぶる神様に捧げる「鎮めの能」が演じられています。

結詞

3年ぶりの「舁き山笠行事」。
神仏の御加護のもと、滞りなく挙行されることを願うばかりです。

なお、ギャラリーサイトにて「博多祇園山笠」の写真を公開しておりますので、ご笑覧ください。

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