九州八十八ヶ所百八霊場 第九番札所 若杉山 明王院

スポンサーリンク
九州二十四地蔵尊霊場
スポンサーリンク

篠栗のシンボルの若杉山は金剛頂院・奥の院などの寺院があり、頂上には太祖神社上宮が鎮座しておられます。
若杉山明王院・養老ヶ滝は、その若杉山(標高681メートル)の4合目に位置し、約1300年の歴史を持つ有名なお滝です。
養老2年(718年)に真言宗八祖の一人、インドの高僧、善無畏(ぜんむい)三蔵が若杉山に登られた際、この滝を開き、不動明王を祀り、修行されたと伝わっています。
ただ、善無畏三蔵が日本に渡来した事実はないという説もあり、真偽のほどは定かではありません。

しかし、大同元年(806年)には、弘法大師(空海)が唐より戻られた折、この滝で修行され、さらには伝教大師(最澄さいちょう)慈覚大師(円仁)も訪れ、ここで修行されたそうです。

その後、若杉山の修験道の根本道場として栄えましたが、南北朝時代の僧徒騒動や明治の神仏分離・廃仏毀釈、修験道禁止令により無残に 荒廃した時期もありましたが、1905年(明治38年)、霊地の荒廃を嘆いた盲目の僧、髙瀨無染師により再建され、現在に至ります。 当時は「養老寺」と称していたそうです。

お大師様(空海)が禊がれた養老ヶ滝には、今でもたくさんの修行者が訪れています。

護摩堂には愛染明王を中心に毘沙門天などを、また、境内には、十三仏など、たくさんの仏様をお祀りしています。

『概略』

若杉山 明王院
(御朱印)

別称

養老滝

創建

開基 養老2年(718年) 真言八祖 第五祖 善無畏三蔵
再建 明治38年(1905年) 高瀬無染師・・・養老寺
明王院に改称 昭和26年(1951年)

宗派

真言宗九州教団

ご本尊

五大明王(不動明王、降三世明王、軍荼梨明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)
不動明王立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

不動明王

のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん

降三世(ごうざんぜ)明王

おん そんば にそんば うん ばざら うん はった

軍荼梨(ぐんだり)明王

おん あみりてい うん はった

大威徳(だいいとく)明王

おん しゅちり きゃら ろは うん けん そわか

おん ばざら やきしゃ うん

五大明王について

不動明王(第四番札所不動院の記事をご参照ください)を中心に東に降三世明王阿閦如来の化身)、南に軍荼梨明王宝生如来の化身)、西に大威徳明王阿弥陀如来の化身)、北に金剛夜叉明王不空成就如来の化身)のいわゆる五智如来の化身の諸尊の明王の集団です。
この集団は鎮護国家などの公的な修法のご本尊でしたが、やがて調伏や怨霊退散そして安産まで幅広く託されました。
それぞれの明王はそれぞれの如来の真意を奉持し、霊的な力で悪を砕く役目を持っています
如来は温和に法を説き、煩悩の虜になった救いがたい者は明王がその憤怒の相をもって真っ向から対立し、法に導くとされています。

住所・連絡先

福岡県糟屋郡篠栗町若杉5 TEL 092-947-7461
(地図)

アクセス

JR博多駅より「福北ゆたか線(篠栗線)」、篠栗駅で下車、車で15分。

山門前に駐車場あり

ご詠歌

山深く 大師みそぎし 養老の 滝をあおいで あな不動尊

他の霊場札所

九州二十四地蔵尊霊場第十番

霊場ご本尊・隣接する文殊院本堂左方の日切地蔵堂内、日切地蔵尊
好きなものをひとつ決めた日まで断つようにし願をかけることで叶えてくださる地蔵尊です。
 ご詠歌 日を切りて 世々の苦患をすくわれる 慈悲の深さよ あな地蔵尊
 ご真言 おん かかかび さんまえ そわか
(御朱印)

明王院中興の祖、無染師は盲目の身にもかかわらず本尊「不動明王」の霊感を頂き、多くの人々を救済されました。
惜しくも昭和11年( 1936年)10月10日に遷化されましたが、師は「日切地蔵尊」の御身となりてもなお、人々を救済し続けるとの衆生済度の誓願を遺言され、この師の遺志を継ぎ1周忌の同日「日切地蔵尊」像が完成され、のちの地蔵尊霊場開創の年、多くの篤信なご信者の度々の浄財により文殊院境内に地蔵堂が建立され、地蔵尊霊場の本尊として「日切地蔵尊」が安置されました。

別名「養老滝」と呼ばれる九番札所・明王院

明王院のある篠栗町は、小豆島八十八ヶ所や知多四国八十八ヶ所とともに日本三大新四国と呼ばれる「篠栗四国八十八ヶ所」の霊場となっています。
その篠栗霊場のシンボルとなっているのが「若杉山」です。
弘法大師・空海をはじめ、伝教大師・最澄や慈覚大師・円仁らもこの地で修業されています。

駐車場に車を停め、道向かいの石段上の山門をくぐると木々に覆われた登りの参道が続いています。
木々の間を三分ほど参道を上ると、金閣寺を思わせる大きな護摩堂に着きます。
その立派さは一見本堂かと見紛うばかりです。

護摩堂には、愛染明王千手観音地蔵菩薩弘法大師や信者の方々が寄進された万躰不動尊などが安置されています。

さらに進むと、石段の上に入母屋造の本堂が建っています。

本堂の不動尊は石仏で、周りには、降三世(ごうざんぜ)明王軍荼梨(ぐんだり)明王大威徳(だいいとく)明王金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王が四方に配され、いわゆる五大力尊です。

本堂左手に流れ落ちる「養老滝」の水音ともに、自然と力を授かれるような気持ちになります。

境内には石仏もことのほか多く、十三仏七福神馬頭観音倶利伽羅明王水神役行者熊野権現等々数え上げたらキリがありません。

明王院境内左手に、同じ境内かと思われるように「若杉山 文殊院」があります。
九州二十四地蔵尊霊場第二十四番結願の札所となっている若杉山文殊院は、先代住職高瀬覚明師が高野山の弘法大師祖廟に参籠の折、霊感により文殊菩薩を感得され、のちの昭和47年(1972年)10月に文殊菩薩を安置し、建立された高野山真言宗を宗旨とする寺院です。
たしかに別のお寺なのですが、同じご住職が管理されており、明王院の納経朱印はこちらで受けることが出来ます。

H2 南無大師遍照金剛

明王院は第八十九番札所の「金剛頂院」と並ぶ空海・弘法大師にゆかりの深い古刹で、その霊場感ととも、かつての隆盛を偲びながら参拝したいお寺です。
その霊場感はこれから続く長い遍路旅に新たな力を授けてくれたように感じます。

冒頭に記した「善無畏三蔵」についてもう少し触れておきますので、お付き合いください。

密教がインドで起こり、中国を経て、空海(弘法大師)に伝えられ、日本で独立した宗派として真言宗を開くまでに、八祖を経て伝えられたとする伝承があり、真言八祖(しんごんはっそ)と言います。
その八祖とは付法(ふほう)の八祖伝持(でんじ)の八祖の二つがあります。

付法の八祖

教主大日如来の説法を金剛薩埵が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜

大日如来(だいにちにょらい)
金剛薩埵(こんごうさった)
龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
不空三蔵(ふくうさんぞう)
恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
弘法大師(空海)

伝持の八祖

真言宗の教えが日本に伝わるまでの歴史に関わった8人の祖師。付法の八祖のうち、大日如来、金剛薩埵は実在しない人物なので除き、2人の祖師を加えた。八祖大師(はっそだいし)とも称される。真言宗のほとんどの寺院は、本堂などに真言八祖((伝持の八祖)・絵像で制作されることが多い)が祀っているのが特徴の一つである。

龍猛菩薩

大日如来の直弟子金剛薩埵から密教経典を授かって、世に伝えたといわれています

龍智菩薩

龍猛から密教を授かりました

金剛智三蔵

インドで龍智から密教を学んだのち唐へ渡り、『金剛頂経』を伝えました

不空三蔵

西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に入門。『金剛頂経』を漢語に翻訳し、灌頂道場を開きました

善無畏三蔵

インド生まれ。大乗仏教を学び、さらに密教を受け継ぎ、80歳になって唐に渡り『大日経』を伝えました

一行禅師

中国生まれ。禅や天台教学、天文学、数学を学び、長安で善無畏に入門し、善無畏の口述をもとに『大日経疏(だいにちきょうしょ)』を完成させました

恵果阿闍梨

中国生まれ。金剛界・胎蔵界両部の密教を受け継ぎました

弘法大師(空海)

恵果阿闍梨から金剛・胎蔵界両部を授けられ、日本に伝えて真言密教を開きました

この伝持の八祖の第五祖が善無畏三蔵です。
三蔵という尊称は、仏教の聖典を1.経=仏の説法の集成2.律=仏徒の戒律の集成3.論=経・律に対する注釈的研究成果の三種に分類した時の聖典の総称を言いますが、そのすべてに深く通じた高僧のことを言います。

善無畏三蔵は637年、中部インドの貴族家庭に生まれ、幼年より神童と称され、摩伽陀国の国王となりますが、兄たちの反乱を平定した後、出家し、インド最古の大学のナーランダー僧院にて経典の翻訳に従事する訳経僧・達磨笈多(ダルマキクタ)に師事し、密教を学びました。その後、玄宗統治下の唐・長安に赴き、『虚空蔵求聞持法』、『大毘遮那経(大日経)』など密教典四部十四巻を漢訳しました。

その善無畏三蔵は我が国が聖武天皇の頃、布教のため日本へ渡ることになりました。
その航海途中、大暴風雨に見舞われ、あわや沈没しそうになった時、若杉山の方角に合掌し、山頂に祀られている「八大龍王」に対し「この船が無事に筑紫の港に辿り着けますようお守りください。無事に着いたならば必ずお礼のお祭りをします。」と願われました。

すると波が納まり、船は無事に博多の港に到着することが出来たそうです。

善無畏三蔵はそんな荒れた航海で立つこともできないほど疲れ切っていましたが、八大龍王との約束を果たすべく、弱り切切った体にムチ打ちながら若杉山頂に向かいました。
その時一匹のグーズ(大亀)が現れ、善無畏三蔵に向かって首を伸ばし、自分の甲羅に乗りなさいと促しました
善無畏三蔵が亀の背中に乗るとグーズは若杉山頂に向かって歩き出し、山頂付近に至るとグーズは突然止まり動かなくなったそうです。

グースに丁重にお礼を言い、山頂に向かった善無畏三蔵は無事に「八大龍王」のお祭りを済ませると、グーズはそのままの姿で岩になってしまったそうです。

これが第八十九番札所の「金剛頂院」と「太祖神社上宮」の間にある亀の形をした大岩が「グーズ岩」として伝わっています。

YAMAPより

次回は第十番札所「大日山 不動寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

コメント