九州二十四地蔵尊霊場 第十六番札所 弦掛山 西福寺

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九州二十四地蔵尊霊場 第十六番札所「弦掛山 西福寺  九州二十四地蔵尊霊場
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九州二十四地蔵尊霊場 第十六番札所「弦掛山 西福寺 

西福寺は千年以上の昔から山伏が巨大な岩屋のなかに庵を結んで修行したと伝えられています。山号は平戸城主、松浦道可隆信がこの地で弓に弦を掛けて戦ったことにより「弦掛」という地名が起きたことに由来しています。

九州二十四地蔵尊霊場会~より

『概略』

弦掛山 西福寺
(御朱印)

別称

弦掛観音(つるかけさん)
恵泉地蔵尊

創建

貞享4年(1687年)平戸藩主 松浦棟 開基・盛行法印 開山

宗派

真言宗 智山派

ご本尊

十一面観音立像(本堂内)

ご真言

おん まか きゃろにきゃ そわか

ご詠歌

幽谷に 清水したたる 石仏 大悲の恵み 落つる 瀧つ瀬

霊場ご本尊

恵泉地蔵尊(本堂内)

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

ご詠歌

忍辱(にんにく)の 慈悲にすがるる 諸人を 救わせ給う 南無地蔵尊

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

住所・連絡先

長崎県佐世保市世知原町矢櫃25-2 TEL 0956-76-2709
(地図)

アクセス

JR佐世保線佐世保駅から西肥バス菰田経由松浦行、弦掛観音入口下車5分
車の場合、吉井町から世知原町に向かい、さらに佐世保方面へ。寺標にしたがって右折
境内に駐車場あり

諸病に霊験新たなる霊水(第十六番 西福寺)

西福寺は1000年以上前より山伏が庵を結んで修行した行場でした。
戦国期には、戦乱の場にもなり、 天正9年(1581年)、島原の有馬の軍勢が直谷城に押し寄せてきた時、平戸城主松浦道可隆信が、直谷城主志佐壱岐守の兵と合流し、この地にに陣を敷きました。
そして、有馬勢に向かって戦端を開き、弓に弦を掛けて戦ったところから、弦掛の地名が起こったといわれています。

江戸時代も中期になって、安永2年(1773年)この戦いで没した武士の霊魂を供養するため、藩主の命により、平戸藩菩提寺の正法院隆盛法印が弟子とともに弦掛山に入りました。
そして、聖観音・十一面観音・薬師如来・大日如来・地蔵菩薩・弘法大師など石仏を造像して、大岩屋のなかに奉安しましたが、歳月とともに人々の記憶から忘れさられてしまっていました。

明治27年(1894年)、この地に住む吉井クラという女性の霊夢に出た観音菩薩(地蔵菩薩との伝承もあり)のお告げにより堂宇が建立されました。
さらに昭和24年(1949年)、松浦市調川(つきのかわ)にあった西福寺の寺号を移して現在の寺号となり、今日に至っているそうです。

広めにとってある駐車場から石仏の並ぶ緩やかな登りの参道を通り

鐘楼の脇を抜けると

入母屋造の本堂が迎えてくれます。

九州二十四地蔵尊霊場 第十六番札所「弦掛山 西福寺 

堂内にはご本尊の十一面観音立像や霊場ご本尊の恵泉地蔵尊などが安置されています。

しかし何と言ってもこのお寺の見どころは、本堂左手より山側に少し進むと奇岩怪石懸崖に清水の滝がある大洞穴の岩屋にある奥の院でしょう。

吉井クラさんの伝承というのは、
世知原村に住む吉井クラは篤く観音(地蔵との伝承もあり)を信仰しており、朝夕念じていました。
ある日のこと、突然の病魔におそわれ、病名もわからないまま、明日をも知れない難病に苦しんでいました。

そのような夜、クラの夢に観音(地蔵との伝承もあり)が現れて、
「我は弦掛の霊山に住む観世音菩薩(地蔵菩薩)である。
大雨で土砂が崩れ、長い間土のなかにいる。早く人を遣わして、掘りあげてほしい。場所は滝壺より五尺のところである」
と告げたそうです。

さっそく家族に夢の話をして、霊夢の場所を掘ったところ、数体の石仏が現れ、滝の水で洗い清めて岩場の奥に安置しました。
そして、家に帰ってみると、クラの病はすっかり治っていたそうです。

以来、霊験あらたかな弦掛山は世に知れ渡りました。

この伝承にある諸仏の出現の地の霊水は難病に効くと言い伝えられています。
地蔵菩薩出現の地の霊水は難病に良く効くと言い伝えられ、それに伴い地蔵菩薩の御名を代々の先師は恵泉地蔵菩薩と名付け色々な病気に効き霊験あらたかなご利益に預かろうと、多く信仰を集めています。

南無大師遍照金剛

なお、西福寺は九州八十八所百八霊場第七十六番札所ともなっていますので、御朱印などは再度九州八十八所百八霊場のカテゴリーでお伝えしてまいります。

九州二十四地蔵尊霊場 第十七番札所 東嶽山 西光寺

次回は第十七番札所「九州二十四地蔵尊霊場 第十七番札所東 嶽山 西光寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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