九州二十四地蔵尊霊場 第十五番札所 栄久山 寿福寺

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九州二十四地蔵尊霊場 第十五番札所 栄久山 寿福寺

寿福寺は天正11年(1582年)の開基ですが、創建当初は「長福寺」と号していました。その後、8代将軍吉宗の嫡男の名前が長福丸であったため、幕府に敬意を払うため「寿福寺」と改称しました。新緑や紅葉の季節の景観は見事だそうです。

九州二十四地蔵尊霊場会~より
http://www.kyushyu24.com/frmDefault.aspx

『概略』

栄久山 寿福寺
(御朱印)

『別称』

水掛地蔵尊

創建

天正11年(1582年)「長福寺」
享保2年(1717年)寿福寺に改称

宗派

真言宗 智山派

ご本尊

釈迦如来立像
(釈迦三尊)普賢菩薩(ふげんぼさつ)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)

ご真言

のうまく さんまんだ ぼだ なん ばく

おん さんまや さとばん

おん あらはしゃのう

霊場ご本尊

地蔵菩薩

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

住所・連絡先

長崎県北松浦郡江迎町長坂免276 TEL 0956-65-2040
(地図)

アクセス

MR鉄道「江迎鹿町駅」下車 徒歩10分
境内に駐車場あり

ご詠歌

千灯の みあかしささぐ 御仏に 水を注ぎて 永久の命を

子供たちと遊ぶお地蔵様(第十五番 寿福寺)

寿福寺につくと駐車場の藤の花が迎えてくれます。
寿福寺は天正10年(1582年)に平戸領主松浦鎮信により現在の佐世保市早岐に「長福寺」として創建されました。
その後、寛永12年(1635年)に平戸藩の江迎における祈願所として現在地に移されました。
当初の寺名が江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の嫡男長福丸(後の第9代将軍・徳川家重)の名と重なるため、享保2年(1717年)に寿福寺に改められました。

山門は珍しく、かつては真っ白であったことが容易に想像できる切妻造の四脚門です。

山門をくぐると鉄筋コンクリート造りではありますが、大きくどっしりとした本堂があります。

九州二十四地蔵尊霊場 第十五番札所 栄久山 寿福寺

堂内には手のひらサイズの金胴仏の釈迦如来立像がご本尊としてお祀りしてあります。
その釈迦如来は普賢菩薩(ふげんぼさつ)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を脇侍とした三尊形式でお祀りされています。

寿福寺はこのご本尊様に負けず劣らず有名なのが今回の霊場ご本尊の「水掛地蔵尊」です。
第21代平戸藩主・松浦天叟が刻んで平戸紐差の普門寺に納めた尊像で、その普門寺が荒廃した時にはその尊像も子供たちの川遊びの浮具代わりの玩具となってしまいました。
そのため村役人が鍵をかけ子供たちが持ち出せないようにしたところ、ひとりの村役人が発熱し、うなされ「せっかく子供たちと遊んでいるのになぜ鍵をしたのか」とうわ言を言い出しました。
それに驚いて役人たちが鍵をはずしたところ、不思議と熱が下がったそうです。

そして尊像が寿福寺に移された時に、寺は由緒にしたがって子供たちがお地蔵様と触れ合う機会を作ろうと、地蔵盆千燈まつり水掛け地蔵まつり)では、町中の軒先に提灯を飾り、裸の子供たちがお地蔵様を担いで町内を練り歩き、群衆が水を掛けるというお祭りが催されています。

その地蔵尊は珍しく木像のため、現在は三代目だそうです。

さらになお、寿福寺はかつては九州八十八ヶ所の七十六番札所(現在は九州二十四地蔵尊霊場第十六番札所 弦掛山 西福寺が九州八十八所百八霊場第七十六番札所となっています)ともなっていたようです。

南無大師遍照金剛

秋には毎年恒例で「逆さ紅葉」の一般公開も行われていて、庭に面した広間の畳6枚を外してアクリル板を敷き、境内の色鮮やかな紅葉が映し出し、まるで水面に映り込んだような景色を再現しているそうです。また、初夏には同様に「逆さ新緑」が公開され、落ち着いた空間に心も洗われようと、多くの観光客で賑わいます。

*「逆さ新緑」「逆さ紅葉」の公開時には拝観料500円が必要です。

九州二十四地蔵尊霊場 第十六番札所「弦掛山 西福寺 

次回は第十六番札所「弦掛山 西福寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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