清明|せいめい|玄鳥至|つばめきたる|清明祭|シーミー|2024年

歳時記
清明 うりずん デイゴ

不安定な世界情勢や物価高騰による生活の圧迫などの中でも暦は4日より二十四節気の「清明せいめい)」そして七十二候は「玄鳥至つばめきたる)」と移っていきます。
沖縄では「うりずん」と呼ばれるとても過ごしやすい季節の真っただ中となり、旧正月、旧盆と並ぶ三大行事の清明祭シーミー)の墓参があちらこちらで開かれる頃です。

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清明(せいめい)

清明 せいめい

万物が清らかで生き生きとした様子を表す「清浄明潔しょうじょうめいけつ)」という言葉からきています。
二十四節気や七十二候の日本での基となっている「暦便覧」では「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」とあります。

この清明は春分の日から数えて15日目を言いますが2024年は4月4日がその日に当たります。

暦のふるさと中国ではこの日を「清明節」として祝日になっていて、その日には日本のお盆のように墓参をし、お墓のお掃除などをします。
それにより清明節は別名「掃墓節そうぼせつ)」とも呼ばれています。
また新芽で彩られた緑を愛でるため散策に出かけたりするのに最適なこともあって「踏青節とうせいせつ)」の別名もあります。

清明に関わる言葉

春爛漫を謳歌するこの時季にふさわしい美しい言葉があります。

清明風

清明風 春風

この時季に吹く風は北西から南西へと変ります。
その穏やかで、それこそ春を心にも体にも感じさせてくれる温かみを帯びた風を言います。

発火雨(はっかう)

桃花の雨 発火雨 はっかう

柔らかく静かに降る雨のことを言います。
別名「桃花(とうか)の雨」や「杏花雨きょうかう)」と呼ばれることもあります。
一面に咲き誇る桃の花に降る雨が、遠くから見るとまるで火を放っているように見えることからそう言われています。

玄鳥至(つばめきたる)

七十二候も4日より清明の初候「玄鳥至つばめきたる)」に変ります。
越冬のため南方の東南アジアの方に移動していたツバメが戻ってきて巣作り子育てを始める頃です。
「玄鳥(げんちょう)」の「」には黒いという意味がありツバメの異名です。他にも「ツバクロ」などたくさんの異名を持っている鳥です。
さらに中国ではオスとメスが力を合わせて子育てをすることから夫婦円満の象徴として「愛情鳥」とも呼ばれています。

ツバメの親子 子育て

またツバメは主に昆虫を食べ、穀物はあまり食べないので農家には歓迎される益鳥です。

この「玄鳥至」は「白露」の末候の「玄鳥去(つばめさる)」と対をなす七十二候です。

うりずん

四季が無いと言われる沖縄でも微妙な季節感を表す言葉はちゃんと存在しています。
南国沖縄と言えども冬は北西の季節風が強く吹き、体感的には観測される気温より寒さを感じます。
その北西の季節風が収まり風向きも南東に変る旧暦の2月、3月、もう少し詳しく言うと春分から立夏(梅雨入り)までの気候を沖縄では「うりずん」と呼んでいます。

うりずん イッペイ

寒さは遠ざかり、かといって暑くもなくとても過ごしやすい時季です。
うりずんが終わるころには沖縄は日本で一番早く梅雨入りを迎えることになります。

清明祭(シーミー)

沖縄ではこのうりずんの気候にも手伝われ、旧正月、旧盆と並んで沖縄の三大伝統行事と言われる「清明祭(シーミー)」が、あちらこちらのお墓で見受けられます。
2024年は4月4日から18日が二十四節気の清明の期間ですので、概ねこの間に行われることが多いようです。
本土と違って、沖縄の昔ながらのお墓は「亀甲墓」といってお墓の前に親戚一同が墓前に集まれるように広いスペースが設けられています。
そこに門中、親戚一同が集まりご先祖さまや親戚一同のお互いに近況を報告しながら墓前にお供えしたご馳走やお酒を飲みながら宴会を行います。

重箱料理 沖縄

由来

玉陵 たまうどぅん

現在の那覇市久米に14世紀の後半に中国の洪武帝により下賜された多くの中国人の学者や航海士などの職能集団が移民してきました。
その移民の子孫たちが故郷の風習に従って清明祭を行ったのが始まりと言われています。
その後18世紀に入り当時の首里王府が久米村の作法にならって毎年清明祭を行ったことに由来しています。

浦添ようどれ 沖縄

その習慣が庶民にも引き継がれ現代でも脈々と残っています。

沖縄のお墓はなぜ大きい?

ところで、沖縄のお墓は本土のお墓と比べてなぜ大きいのでしょうか。
それは結論から言えば、沖縄の風習が本土と比べて大きく異なるからです。

昔、沖縄は風葬文化

沖縄のお墓は、風葬するという文化があります。一般的に多い土葬や火葬というイメージしかないと、風葬と聞いて「どんな埋葬方法なの?」と疑問に感じるかもしれません。
風葬とは、死去するとまず仮墓に葬られ、風化に伴って骨になった3年後に洗骨をして骨壺に入れ本墓内に安置する埋葬方法です。
風化させたり、安置させたりするためにある程度の広さが必要だったようです。

門中墓が作られていた

門中墓もんちゅうばか)が作られていたことも理由のひとつにあげられています。門中墓とは門中が利用していた墓のことです。
沖縄は門中制度、現地の方言で「ムンチュー」という父系の直系血族が一族の長として継承していくことが習わしになっています。
門中制度のなかではお墓を共用するという慣習だったためお墓を大きく作る必要がありました。

墓前で宴会をする

墓前で宴会をする
沖縄では納骨をして魂入れした後、その場で宴会が開かれます。そのため、お墓の敷地は大きい必要があったのです。

沖縄のお墓の種類

沖縄のお墓の種類は大きく分けて「亀甲墓(きっこうばかかめこうばか」「破風墓(はふうぼ)」「掘り込み墓」の3種類です。

亀甲墓
亀甲墓

お墓の屋根の部分が亀の甲羅のような形をしているお墓です。亀甲墓は傾斜地などを利用して周りに石垣を設けているのが特徴です。お墓の前に宴会ができる広い庭のようなスペースがあります。
その形状から第2次世界大戦時では防空壕としても活用されました。

破風墓
破風墓

お墓の屋根が三角形で家のような外観のお墓です。破風墓の破風とは、屋根の山になっている板のことを指します。雨期や台風時などの雨風を防ぐ役割です。
本来は、沖縄が琉球王国時代に王室だけが建立することができたものですが、1871年の廃藩置県後に王室限定という内容が解禁され庶民にも広がっていきました。
糸満市のラウンドアバウトの近くにある「幸地腹・赤比儀腹両門中墓」は当初は亀甲墓でしたたが、昭和10年に琉球石灰岩を積み上げて造った現在の破風墓となりまた。
墓地の面積は約5400平方メートルという沖縄最大規模の破風墓です。

掘り込み墓

お墓の入り口を石などでふさいだ簡易的なお墓です。沖縄では「フィンチャー」とよばれています。
粟国島(あぐにじま)の西側付近の白色凝灰岩をくり抜いた独特の墓です。
仮のお墓として使用されていたという一面もあります。

結詞

長引くロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとパレスチナの戦争、そして急速な物価高騰など何かと憂鬱な世情ではありますが、雨上がりの輝きを増した鮮やかな新芽の緑を眺めながら上手に気分転換を図りながら、閉塞感漂うこの時期をしっかりと乗り越えていきたいものです。

鴻雁北 こうがんかえる

暦は清明の次候「鴻雁北(こうがんかえる)」と進んでいきます。

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