6月23日・沖縄慰霊の日

風物詩
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6月23日慰霊の日は、沖縄県が制定している記念日で、アメリカ軍が主体となった連合国軍と日本軍との間で起こった沖縄での組織的戦闘が終結したことに由来し、沖縄戦等の戦没者を国籍や軍人、民間人の区別なく追悼する日と定められています。

1945年6月23日(22日という説もありました)に、沖縄現地に配備された日本軍第32軍牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、組織的な戦闘が終結したことから、この日が「慰霊の日」に定められました。

「慰霊の日」は、沖縄戦の犠牲者を追悼する日で、平和を願う日として沖縄県民に深く浸透している沖縄県及び沖縄県内の市町村の機関の休日です。 役所や学校、多くの医療機関もお休みとなります。

この日本の休日ではなく、沖縄県独自の休日であることに疑問を抱くかもしれませんが、これには歴史的背景が深く関わっています。

第二次世界大戦で敗れた日本は、連合国軍の占領下に置かれることになりました。
その後、1952年のサンフランシスコ講和条約によって日本の主権は承認されましたが、沖縄県だけは引き続きアメリカの統治下に置かれました。
そのため、日本の休日とは別に沖縄県独自の休日が定められました
1972年に沖縄返還が行われると、沖縄県にも日本の法律が適用されるようになりました。「慰霊の日」は日本の休日ではないため除外されましたが、沖縄県の条例により、沖縄県独自の休日として今も残り続けています。

「慰霊の日」の前日にあたる6月22日には、前夜祭も開催されます。
開催場所は、平和祈念公園内の「沖縄平和祈念堂」で、平和の鐘の献鐘琉球古典音楽の献奏琉球舞踏の奉納などで戦没者を追悼します。
また、平和祈念公園では、日・米・英・韓・台の5カ国・地域の戦没者を表す戦没者の位牌に見立てたサーチライト「平和の光の柱」が夜空を照らし、平和祈念公園平和の礎入口の「池修景池」では灯籠流しも行われます。


関係国や地域を代表し、県内在住の有志が平和のメッセージを書いた灯籠を流します。
23日は、糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が開かれます。
そして当日は、糸満市役所から平和記念公園まで沖縄戦で激しく争われた南部エリアを歩きながら慰霊する「平和祈願慰霊大行進」も行われます。

平和祈念公園は、沖縄戦終焉の地である糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、海岸線を眺望できる高台にあります。
沖縄本島南部は沖縄戦末期に、日本軍の司令部が移動してきたことから住民を巻き込んだ戦場となりました。
糸満市の摩文仁の岸壁は、追いつめられた人々が自決をしたことから、米軍にスーサイドクリフ(自殺の断崖)と呼ばれていました。


ここには犠牲となった人たちの慰霊の塔が建っています。
戦後摩文仁の丘は「沖縄県平和祈念公園」として一帯の戦跡とともに沖縄戦跡国定公園となり、人間の尊厳を第一に、戦争につながる一切を否定し、平和を求め文化を愛する心が息づいた場所になっています。

公園の中には、沖縄戦の写真や遺品などを展示した「平和祈念資料館(慰霊の日当日は入館無料)」や、沖縄戦で亡くなられた方々の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」、沖縄戦最初の米軍上陸地の阿嘉島にて採火された火・被爆地広島・被爆地長崎の火を合わせた「平和の火」、平和祈念像が安置されている「平和祈念堂」、戦没者の遺骨が埋葬された「国立沖縄戦没者墓苑」などがあります。

沖縄県民にとって、とてもなじみ深い休日である「慰霊の日」は、日本の戦争の歴史と深い関係があり、大切にしたい日の1つでもあります。
ちなみに平成天皇であった明仁上皇は昭和天皇が生前に行幸啓出来なかった沖縄慰霊に対して強い思い入れを持たれていて、1975年に危険も覚悟の上、沖縄へ初訪問した際に、本土の学校の教科書に沖縄の記述が少ないことを指摘した等のエピソードがあります。
1981年8月の「お言葉」では
「日本では、どうしても記憶しなければならないことが4つはあると思います。終戦記念日広島の原爆の日長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日です」とされています。
この4つの日は「忘れてはならない4つの日」として今上天皇に代替わり後も、宮内庁のWebサイトに掲載されています。
こういうことが真に「沖縄に寄り添う」というお姿でないでしょうか。

「慰霊の日」は、沖縄戦犠牲者の霊を慰めるとともに、世界の恒久平和を願う日です。
沖縄戦では、連合国軍と日本軍を合わせて20万人以上の犠牲者が出たといわれています。
そのうち、一般の犠牲者は推計で約10万人です。沖縄県民の4人に1人が命を落とした壮絶な戦いで、甚大な被害がありました。

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平和の礎(いしじ)

建物の基礎の「いしずえ」を沖縄方言で「いしじ」と発音することに由来しています。
鉄の暴風の波濤が、平和の波となって、わだつみに折り返し行く「平和の波永遠なれ(Everlasting waves of peace)」がデザインのコンセプトとなっています。
屏風状に並んだ刻銘碑は世界に向けて平和の波が広がるようにとの願いが込められています。

その基本理念は、去る沖縄戦などで亡くなられた国内外の20万人余のすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰めるとともに、今日、平和の享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念し、沖縄は第二次世界大戦において、住民を巻き込んだ地上戦の場となり、多くの貴い人命とかけがえのない文化遺産を失った悲惨な戦争体験を風化させることなく、その教訓を後世に正しく継承していくため、訪れる人々に平和の尊さを感じてもらい、安らぎと憩いをもたらす場なるとともに、訪れた人々に平和についての関心を持ってもらい、平和学習の場として役立ててもらいたいというものになっています。

その平和の礎の間のメイン園路は、その中心線が6月23日の「慰霊の日」における日の出の方位に合わせてあります。
東シナ海を望むところにある平和の広場は、断崖絶壁から海岸線、波打ち際を眺望できる位置に設置されています。


その広場の中央には「平和の火」が灯されています。
この「平和の火」は 先ほども書きましたが、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、1991年から灯し続けた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものだそうです。

平和の詩(2023年)「今、平和は問いかける」

私立つくば開成国際高校3年 平安名 秋

夏六月
溶けかけたアイスを手に走り出す
緑萌ゆるこの島の昼下がり
礎に刻まれた「兄」に
まるであの日のように
そっと触れるおばぁの涙は
陽炎が登る摩文仁の丘に
ただ果てしなく広がっていく
その涙は体を包み込み
私を「あの日」へといざなう

限りないこの空は
何を覚えているのだろう
涙に満ちたおばぁの瞳は
何を語りかけているのだろう

七十八年前の
あの日
あの時
かけがえのない
たったひとつの命が
憎しみと悲しみの中で
散っていった
名も無き赤子の
微かな
微かな泣き声は
震える母の手によって
冷たく光の無いガマの中で
儚く消えていった

幾多もの砲弾が
紺碧の海を黒く染める鉄の嵐となって
この島に降り注いだ

戦争が起きる前
そこには日常があった

私達と同じように
原っぱを駆け回り
友達とおしゃべりをする
みんなで暖かいご飯を食べ
時には泣き
時には笑い
時には「ありがとう」を伝える

そんな今と変わらない日常が
平和が
そこにはあった

平和は不確かで
脆く崩れやすい
いつもすぐそばにあるのに
いつのまにか消えていく

おばぁの涙は
摩文仁の丘に永遠(とわ)に灯る平和の火は
今、私達に問いかける

平和とは何かを
私達に出来ることは何かを

私は過去から学び
そして未来へと語り継いでいきたい

おばぁの涙を
沖縄の想いを
かけがえのない人達を
決して失いたくはないから
今日も時は過ぎていく
いつもと変わらずに
先人達が紡いできた平和を
次は私達が紡いでいこう
そして世界に届けていきたい
平和を創り
守っていく
この沖縄の「チムグクル」を

沖縄知事平和宣言・全文(2023年)

1945年、今から78年前、ここ沖縄で一般住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が繰り広げられました。
90日に及ぶ鉄の暴風は島々の山容を変え、豊かな自然と文化遺産のほとんどを破壊し、20万人余りの尊い命を奪い去りました。
沖縄県民は、地上戦だけではなく、南洋諸島からの引き揚げ船の撃沈や、学童疎開船の犠牲、10・10空襲、学徒の動員、戦争マラリアなど、想像を絶する被害を受けました。

毎年、6月23日を迎えるたびに、戦争体験者が戦争の不条理と残酷さを、後世に語り継いできてくれた実相と教訓を胸に刻み、あらゆる戦争を憎み、二度と沖縄を戦場にしてはならないと、決意を新たにするのです。

戦後27年に及ぶ米国統治を経て、1972年に本土に復帰してから51年となりました。
しかしながら、現在もなお、在日米軍専用施設面積の約70.3%が本県に集中し続け、航空機騒音をはじめ、水質や土壌等の環境汚染、航空機事故、米軍人・軍属等による事件・事故など、県民生活にさまざまな影響を生じさせています。

このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小、日米地位協定の抜本的な見直し、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去と早期閉鎖・返還、辺野古新基地建設の断念等、基地問題の解決を強く求め続けてまいります。

昨年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」及び「防衛力整備計画」においては、沖縄における防衛力強化に関連する記述が多数見られることなど、苛烈な地上戦の記憶と相まって、県民の間に大きな不安を生じさせており、対話による平和外交が求められています。

ロシアによるウクライナ侵攻から1年4カ月が経過しようとしており、現在も憂慮すべき事態が続いております。
沖縄県民は、国際社会の連帯と協力による一日も早い停戦が実現し、平穏な生活を取り戻せることを切に願っております。

今ある命、今に残る文化、自然環境、これらを未来を担う子や孫たちに受け継いでいくことが、人々が共有する願いであるということを確かめ合ってまいりましょう。

アジア太平洋地域における関係国等による平和的な外交と対話による緊張緩和と信頼醸成、そしてそれを支える県民・国民の理解と行動が、これまで以上に必要になってきています。
私たちは、アジア太平洋地域における観光、経済、環境、保健・医療、教育、文化、平和など多分野にわたる国際交流を通じて、沖縄県が築いてきたネットワークを最大限に活用した独自の地域外交を展開し、同地域における平和構築に貢献できるよう努めてまいります。

沖縄県では、ここ平和祈念公園に、「沖縄県平和祈念資料館」と「平和の礎(いしじ)」を建設し、戦争の犠牲になった多くのみ霊(たま)を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次世代に伝え、世界の恒久平和を願い続けております。
民間においても、幅広い世代による平和への行動がさまざまな場面で行われており、平和を願う輪が広がっています。
また、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てた「ちゅらうちなー草の根平和貢献賞」や「沖縄平和賞」を通して、平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信するとともに、沖縄がアジア太平洋地域の国々との架け橋「万国の津梁(しんりょう)」となることを目指しております。

非暴力の信念を貫いたガンジーは「平和への道はない、平和こそが道なのだ」という言葉を残しています。

「平和」とは、戦争や紛争のない状態にとどまらず、貧困、暴力、人権の抑圧、差別、環境破壊などがない、安らかで豊かな状態であり、本県が発信する「沖縄のこころ・チムグクル」には、人間の尊厳を何よりも重く見る「人間の安全保障」も含まれます。
沖縄県は、全ての人への不当な差別は許されないことを宣言するとともに、人々が互いに人格と個性を尊重し合いながら共生する誰一人取り残すことのない優しい社会の実現に全力で取り組んでまいります。

私たち一人一人が平和について考え、沖縄から世界へ平和のバトンをつなげ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。

沖縄(うちなー)ぬ人々(ちゅぬちゃー)が幾世代(いくゆー)かきてぃ生活(くらし)ぬ指針(みやてぃ)にっし育(すだ)てぃてぃちゃる
相互(たげー)ぬ相違(ちげーみ)ぬ在(あ)し 尊重(うむん)じ合(あー)いる肝心(ちむぐくる)、生命(ぬちだから)大切(てーしち)にする心持(くくるむ)ち(命<ぬち>どぅ宝)、平和時代(てーふぃーゆー)求(とぅ)めいる人々(いぇーじゅー)同志(どぅーさー)ぬ連結心(ちなじぐくる)。
戦争(いくさ)ぬ悲惨(あわり)んかい体験(あた)てぃちゃる被災者(ちゅぬちゃー)からぬ未来(さちじゃち)んかい向(ん)かてぃぬ教訓(ゆしぐとぅ)、次世代(あとぅぬゆー)んかい伝承(ちてー)てぃいちゅしが私達(わったー)ぬ使命(すくぶん)やいびーん。
万人(うまんちゅ)が今(なま)、あんし未来(さちじゃち)んかいぬ 幸福(しやわし)とぅ安息(ゆーゆー)とぅそーてぃ 希望(ぬじゅみ)ぬ持参(むた)りーる時代(ゆー) 共(ちむてぃーち)なてぃ築上(しーな)ちいちゃびらな。

We,the people of Okinawa,have long cherished the spirit that appreciates the diversity in each and every one of us.
We have always known in our souls that it is life,itself,that is more important than any treasure.
We are united,as a people,by the longing for peace.
We sincerely believe that it is our noble mission to bear witness to the painful lessons from the countless war experiences and to pass on these messages to future generations.
Let us endeavor to build a society where all people are able to imagine happiness and eternal peace for everyone,for now and forever.

 本日、慰霊の日に当たり、国籍の区別なく犠牲になられた全てのみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、先人たちから語り継がれてきた平和の尊さを伝え続け、未来を生きる子や孫たちのために、よりよい沖縄の未来の創造を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

しまくとぅば及び英語の訳

沖縄の人々が培ってきた お互いの違いを認め合う心、命を大切にする心(命どぅ宝)、平和を求める人々とつながる心。
戦争体験者からの未来への教訓を次の世代へ伝えていくことは私たちの使命です。
全ての人々が今、そして未来に幸せと安息を夢描くことができる世の中を共に築いていきましょう。

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