朱印

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九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第五十九番札所 叡興山 光明寺

光明寺は天平年間(729~749)に開山です。入母屋造の本堂には、行基菩薩作のご本尊「十一面千手観音立像」を安置していますが、秘仏のため三十三年に一度開扉となっています。また参道脇に大師堂があり、その周りには八十八ヶ所の石像があります。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第五十八番札所 法雲山 金剛寺

昭和9年赤星精秀和尚が四国八十八ヶ所霊場遍路の後、真言宗寺院のなかった荒尾に、弘法大師御入定千百年御遠忌の記念事業として法雲院を開創しました。法燈を継いだ善弘師が昭和35年入山して、法雲院を山号に改め、法雲山金剛寺と改称しました。
九州三十六不動尊霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十七番札所 高原山 蓮華院誕生寺及び奥之院

蓮華院誕生寺は、ここ熊本県玉名市で生まれた「皇円大菩薩」をおまつりする真言律宗の「九州別格本山」です。 皇円大菩薩(皇円上人)は、浄土宗御開祖の法然上人の師匠にあたる方です。
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九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十六番札所 白蓮山 金剛寺

金剛寺は人々から中将姫の愛称で呼ばれています。当初は熊本城の裏鬼門にあたる所にあって、加藤神社の別当を兼ねていました。その後、明治の廃仏毀釈や昭和の戦火などを乗り越え、増本法秀師や現在の法秀尼により度重なる復興を果たしました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十五番札所 最栄山 本蔵院

本蔵院の歴史は、阿蘇山から始まります。阿蘇神社の別当所として隆盛した西巌殿寺に総括された修験の山で、子院37坊を有し、修験の拠点となっていました。しかし、明治の廃仏毀釈と修験道禁止令で、子院はいずれも廃され、後に移転したのが、本蔵院です。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十四番札所 白雲山 医王寺

医王寺は、平安中期に創建されたと伝えられ、江戸時代寛文5年(1655年)に、現在地に再興されました。歴代、八代城の安全と城主並びに城下、家内の除病息災・子孫繁栄を祈願して以来、八代城主 松井家の祈願寺だったお寺です。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十三番札所 千福山 観蓮寺

観蓮寺は元は観琳寺といい、治承年間、平重盛菩提のため、矢瀬主馬佑が建立したと伝えられています。当時は禅宗の一派でしたが、大永6年(1526年)の瑞堅の乱に依り堂宇も焼失してしまい、慶長年間に再興した時から千福山観蓮寺と改称し真言宗に改められました
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十二番札所 金剛山 高寺院

平家滅亡後、平重盛の家人だった平貞能が、追善菩提のため重盛の念持仏の金造毘沙門天を胎内に納めた尊像を刻み、堂宇を建立したのが高寺院の始まりとされています。また、一説には、永享5年(1433年)に快親という僧が開山して、とも言われています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十一番札所 遍照山 勘代寺

日本三代急流、球磨川上流の奥球磨の美しい田園風景の中にございます多良木町に勘代寺はあります。寺暦は鎌倉時代中期からの歴史を有し、諸代相良家の祈願所とし栄えました。ご本尊様は、秘仏十一面観世音菩薩様です。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第五十番札所 伝法山 願成寺

願成寺はおよそ770年前、四条天皇天福元年(1233)人吉城主初代相良三郎藤原長頼公の創建で、開山弘秀上人は建久9年遠州常福寺より来られました。金堂は鎌倉の長勝寿院の大御堂を模造し、1345畳敷と伝わっています。ご本尊は阿弥陀如来です。
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