九州八十八ヶ所百八霊場第五十番札所 伝法山 願成寺

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九州八十八ヶ所百八霊場
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願成寺はおよそ770年前、四条天皇天福元年(1233年)人吉城主初代相良三郎藤原長頼公の創建で、開山弘秀上人は建久9年遠州常福寺より来られました。金堂は鎌倉の長勝寿院の大御堂を模造し、1345畳敷と伝わっています。ご本尊は阿弥陀如来です。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

伝法山 願成寺
(御朱印)

創建

天福元年(1233年) 人吉城主初代相良三郎藤原長頼 創建
建久9年(1198年) 弘秀上人(遠州常福寺) 開山

宗派

真言宗大覚寺派

ご本尊

阿弥陀如来坐像
(お御影)

ご真言

おん あみりた ていせい から うん

阿弥陀如来について

阿弥陀如来は、無限の寿命を持つことから無量寿如来または無量光如来と漢訳されています。『無量寿経』には 「諸仏の中に於いて光明最尊第一にして、この光にあう者をして一切の苦から免れしめる」 と無量の光明の徳と無限の慈悲が説かれています。
限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。
四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。
ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。
仏像では、阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。
さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるともいわれ、その来迎の様子をあらわす場合もあります。

真言密教で表される阿弥陀如来は、衆生の宗教的素質がどのようなものかを妙(たえ)に観察し、 真理の教えを説いて疑惑を断じ、衆生にその本性が清らかで蓮華のようであることを知らしめる 大日如来の妙観察智の徳をつかさどる仏です。つまり大日如来の徳の一つを阿弥陀如来が受け持っているわけです。

住所・連絡先

熊本県人吉市願成寺町956 TEL 0966-24-4161
(地図)

アクセス

くま川鉄道相良藩願成寺駅から徒歩3分。
九州自動車道人吉インター降りて、左へ。ガソリンスタンドを右折。
境内に駐車場有り

ご詠歌

音羽山 音に聞こゆる清水の 深き誓いを誰も頼みき

人吉城主・相良家の菩提寺(第五十番 願成寺)

天福元年(1233)人吉城主初代相良三郎藤原長頼公の創建で、 開山は遠州(静岡)常福寺から招いた弘秀上人。
長頼公は源頼朝に仕え人吉荘の地頭に任ぜられ、初代の人吉城主となられた方で、建長6年(1254年)長頼没後、当寺に葬られて以来、願成寺は相良家の菩提寺となりました。
慶長16年(1611年)後陽成天皇の勅願所となり、塔頭6院を設け諸堂伽藍を経営、当時は寺勢盛んだったそうです。 その後、火災や戦火などで、古の諸堂伽藍は悉く焼失してしまいましたが、 その後再建されました。

どっしりと構えた入母屋造の本堂は、鎌倉長勝寿院の大伽藍を模したといわれ、壮大で重厚感があり、風格を感じさせてくれます。
本堂背後には二つの収蔵庫があり、「奉安殿」「国宝殿」と呼ばれ、国宝殿に奉安されているご本尊の平安時代の作の檜の寄木造の阿弥陀如来坐像国指定重要文化財です。
もう一つの収蔵庫である奉安殿には藤原時代の作で一木造の不動明王や熊本県内最古の両部(金剛界・胎蔵界)曼荼羅などがあります。

境内裏門から出ると、相良家墓地で、初代長頼から三十七代頼綱まで石灯籠を従えた五輪塔が整然と並んでいる姿は壮観です。
各地に点在していた墓を当寺に集めたものだそうですが、一箇所にこれだけの歴代藩主の墓があるのはとても珍しいことだそうです。

南無大師遍照金剛

裏門近くには「経蔵」があり、西南戦争でも唯一焼け残ったもので、古文書や写経、掛け軸など五千数百点にも及ぶ貴重な資料が残されています。
その経蔵の横には清水観音堂があり、相良三十三観音の第一番札所となっています。

元は人吉城跡にあったものだそうで、明治になってから願成寺に移されました。
その千手観音は京都の清水寺から勧請したしたもので、二手を頭上で組んだ「清水式千手観音」と言われる尊像が安置されています。

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第五十一番札所「遍照山 勘代寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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