九州八十八ヶ所百八霊場

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九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第八十五番札所 愛宕山 観音寺

観音寺は愛宕神社の参道の中程に伽藍を構えています。黒田藩の歴代藩主の御祈願所として信仰を集め山岳信仰の拠点として隆盛を極めました。御本尊勝軍地蔵尊は、ご詠歌にも「諸難を除く愛宕権現」と詠われ、熱心な信仰を集めています。
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九州八十八ヶ所百八霊場第八十三番札所 登志山 誓願寺

誓願寺は安元元年(1175年)栄西禅師の創建で総本尊は阿弥陀如来ですが、霊場本尊は毘沙門天です。奥の院は毘沙門山といい「今津の毘沙門さん」として親しまれています。最盛期は1山42坊ありましたが、現在は大泉坊のみ現存してます。
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九州八十八ヶ所百八霊場第八十一番札所 中台山 大聖院

唐津城、唐津焼、虹の松原で有名な唐津市の中心部、駅より徒歩5分ほどの所に大聖院はあります。周りは寺町の名にふさわしく仏教寺院5ヶ寺、神社1社が立ち並びます。大聖院は元は大法寺と称していましたが、慶安元年に唐津に移転され大聖院と改号しました。
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九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第八十番札所 吉原山 鶴林寺

鶴林寺のご本尊は薬師如来・子安弘法大師を安置し、安産、子育ての加持祈祷の寺として信者に知られ、境内は不動明王、十三仏を配置し、地元では「子安さん」として知られている寺です。山号は寄進した土地所有者の吉原氏の功徳を称しています。
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九州八十八ヶ所百八霊場 第七十九番札所 松豊山 善福寺

善福寺の歴史は古く、創建は1335年(建武2年)に松浦氏の始祖を祀る今宮神社の別当寺(神職が祀りを兼ねる寺)及び今福松浦家の祈願所として寺上の地に創建。その後、幾度か移転・再建を繰り返した後、1909年(明治42年)現在地に建立されました。
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九州八十八ヶ所百八霊場第七十八番札所 入唐山 開元寺

ここは札所として「開元寺」となっていますが、寺院があるわけではなく『弘法大師入唐解纜之地』と刻された一基の石碑と拝所があるだけです。寺号の由来は弘法大師が12月の終わりに唐に上陸後、一ヵ月間とどまった福州の寺院が開元寺でその寺号を称したもの
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第七十七番札所 高野山 最教寺

最教寺は、大同元年(806年)弘法大師が唐から帰朝した時、初めて護摩を焚いたところといわれています。現在奥の院には大師の護摩石と坐禅石があり住時をしのぶことができます。慶長12年(1607年)1真言教学の学問所である談義所を合併し復興しました。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 七十六番札所 弦掛山 西福寺

西福寺のある地は昔から、山伏がこの巨大な岩屋のなかに庵を結んで修行した行場だったと伝えられています。江戸時代に平戸藩主の命により5体の石仏を安置しました。明治に入り、この地に住む吉井クラの霊夢に出た観音菩薩のお告げの逸話が残っています。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 七十五番札所 石橋山 御橋観音寺

1240年前に行基菩薩が海底で光を放つ大木から三体の観音像を敬刻し、開眼供養して東の海に流されたその内の1体が御橋観音寺となり現在まで信仰の霊地として栄えています。また二条の大石橋をはじめ春は桜、秋は紅葉と平戸八景の景勝地としても有名です。
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タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場 七十四番札所 岩問山 東漸寺

東漸寺は和銅年間(708年~15年)現在の奥の院にあたる岩問山に行基菩薩が草庵を結び、薬師如来を自刻し安置したのが始まりと伝えられています。その薬師如来様はいつでも拝観できます。ご本尊の前には「魔鏡」と言われる一枚の鏡が置かれています。
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