九州三十三観音霊場

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九州八十八ヶ所百八霊場 第八十番札所 吉原山 鶴林寺

鶴林寺のご本尊は薬師如来・子安弘法大師を安置し、安産、子育ての加持祈祷の寺として信者に知られ、境内は不動明王、十三仏を配置し、地元では「子安さん」として知られている寺です。山号は寄進した土地所有者の吉原氏の功徳を称しています。
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九州八十八ヶ所百八霊場第七十七番札所 高野山 最教寺

最教寺は、大同元年(806年)弘法大師が唐から帰朝した時、初めて護摩を焚いたところといわれています。現在奥の院には大師の護摩石と坐禅石があり住時をしのぶことができます。慶長12年(1607年)1真言教学の学問所である談義所を合併し復興しました。
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九州八十八ヶ所百八霊場 七十六番札所 弦掛山 西福寺

西福寺のある地は昔から、山伏がこの巨大な岩屋のなかに庵を結んで修行した行場だったと伝えられています。江戸時代に平戸藩主の命により5体の石仏を安置しました。明治に入り、この地に住む吉井クラの霊夢に出た観音菩薩のお告げの逸話が残っています。
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九州八十八ヶ所百八霊場 七十五番札所 石橋山 御橋観音寺

1240年前に行基菩薩が海底で光を放つ大木から三体の観音像を敬刻し、開眼供養して東の海に流されたその内の1体が御橋観音寺となり現在まで信仰の霊地として栄えています。また二条の大石橋をはじめ春は桜、秋は紅葉と平戸八景の景勝地としても有名です。
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九州八十八ヶ所百八霊場 第七十三番札所 東嶽山 西光寺

西光寺は1687年に松浦藩の祈祷寺として現在の地に建立されたお寺です。ご本尊・虚空蔵菩薩は、元は武雄市杉の岳にある行基菩薩が建立されたお寺にいらっしゃいましたが、約500年前に現西光寺の場所に虚空蔵菩薩が霊現されたことから移座されました。
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九州八十八ヶ所百八霊場 第七十番札所 龍門山 宝光院

宝光院は御本尊は十一面観世音(秘仏)で、参拝者の願いや苦しみを取り除いて頂いています。開山は修験者達がお参りされる人の願い事や、五穀豊穣を祈願したと言い伝えが有って、現在も引き継いで御本尊に祈念しているそうです。
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九州八十八ヶ所百八霊場第六十五番札所 医王山 延命寺

延命寺は1616年(元和2年)岡山より丁度、訪れていた龍宣和尚が当時流行していた新種の疫病平癒の為、祈願を行った処 御利益があったという事で長崎奉行の依頼で常駐するようになり、当地で寺院を構えたのが始まりだそうです。
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九州八十八ヶ所百八霊場 第六十一番札所 普明山 高野寺

大同元年(806年)弘法大師が密教を学ばれ、九州博多に帰朝され九州各地を行脚しておられた折、この土地が紀州の高野山に似ておることからこの地を肥前の高野山と定め、草の庵を結ばれたのがこの寺の始まりと伝えられています。
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九州八十八ヶ所百八霊場第五十六番札所 白蓮山 金剛寺

金剛寺は人々から中将姫の愛称で呼ばれています。当初は熊本城の裏鬼門にあたる所にあって、加藤神社の別当を兼ねていました。その後、明治の廃仏毀釈や昭和の戦火などを乗り越え、増本法秀師や現在の法秀尼により度重なる復興を果たしました。
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九州八十八ヶ所百八霊場 第八十四番札所 飛形山 法蔵院

福岡市のベットタウンとして高層マンションが立ち並ぶ西区姪ノ浜ではありますが、一歩旧道に入ると昔ながらの町並みも残り、その一郭に法蔵院は佇んでいます。昭和初期、瑞光尼より火伏の願いをこめて筑後八女飛形山より十一面観音菩薩を勧請し建立されました。
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