九州八十八ヶ所百八霊場第九十九番札所 青井山 高野寺

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九州八十八ヶ所百八霊場第九十九番札所 青井山 高野寺 九州三十六不動尊霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場第九十九番札所 青井山 高野寺

青井山高野寺は国宝「青井阿蘇神社」の門前にお寺を構えています。大正15年、初代良戒大和尚により開山されました。当時から「お大師さん」や「こうやさん」と 呼ばれ、皆様に親しまれているお寺です。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

青井山 高野寺

別称

人吉高野山

創建

大正15年(1926年)良戒大和尚

宗派

真言宗大覚寺派

ご本尊

弘法大師坐像

ご宝号

南無大師遍照金剛

弘法大師空海について

弘法大師空海は、832年3月21日「56億7千万年後、弥勒菩薩がこの世に出られるまで、生きとし生きるものすべてを見守る」という誓願のもと、ご入定(にゅうじょう)しました。
真言密教を中国から伝えられただけではなく人々のために尽くされたそうです。
たとえば、「干ばつにあえぐ人々に対する雨乞いの修法」や「仏様のお導きによる井戸の発見」「国中に疫病が流行した際の修法や医療対策」「満濃池の修築(建築、土木)」さらには「日本初の庶民の学校『綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)』の開設」などど多岐にわたり、特に、民衆の視点に立った社会活動を行ったそうです。
このため、民衆を救う弘法大師伝説が全国各地に生まれ、四国遍路に見られる根強い大師信仰が育まれました。
そして今も高野山奥の院(和歌山県)におられ、世の中の平和と人々の幸福を願っておられるそうです。

住所・連絡先

熊本県人吉市下青井町47 TEL 0966-22-3322
(地図)

アクセス

電車の場合

人吉駅正面出口から信号機3つ目を右。青井阿蘇神社正面口(蓮池)方面へ。蓮池にかかる赤橋 “ 禊(みそぎ)橋 ”を右に見て、およそ20メートル左手にございます。

車の場合

高速道路人吉ICを下車し、人吉IC出口信号を右に。一つ目の交差点を左折。
そのまま直進し踏切を通過。
踏切通過後の信号機から数えて3つ目を右折。(2つ目の信号機近くに交番あり)
青井阿蘇神社正面口(蓮池)方面、直進約1キロ。
蓮池にかかる赤橋 “ 禊(みそぎ)橋 ”を右に見て、約20m左手。

※高野寺の駐車場は2~3台のスペースしかありません。
正面「青井阿蘇神社駐車場」を利用。

ご詠歌

青井山 八角堂の 御仏は 祈る心に 出世あらたか

他の霊場札所

九州三十六不動尊霊場 第十八番札所 出世不動

霊場ご本尊・本堂

ご詠歌・御影

青井山 八角堂の み仏は 祈る心に 出世あらたか

ご真言

のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

不動十九観とは

不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。

1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。

人吉高野山(第九十九番 高野寺)

高野寺は人吉駅にも程近く、青井阿蘇神社の門前に建つ大正15年創建の比較的新しいお寺です。

令和2年7月4日の豪雨災害において、市内中心部を流れる球磨川が大規模氾濫し、多くの住民が被災しました。
高野寺にも濁流が押し寄せ、測定値にて4.3mの浸水に見舞われ、本堂、庫裏、集会所のすべてが水没、全壊し、何もかもが流され全てを失われてしまいました。

被災後、全国からの支援物資、お見舞い等の支援と協力、応援により徐々にかつての姿を取り戻そうとされているとことです。

筆者が最初に参拝したのは被災前でしたので、山門を入ると左手すぐのところに『新四国八十八ヶ所霊場』の八十八体の佛様が御鎮座されておられました。
四季折々の花を見る事が出来る参道を歩けば、正面に「御身堂(おんみどう)」と呼ばれる、ご本尊 「高祖弘法大師(おだいしさま)」が祀られている奈良・法隆寺の夢殿を模し、その1/2のサイズにし、蓮華の花をモチーフにした八角堂(本堂)があります。

本堂入り口の手前右手には、小さな子供たちを抱いた愛らしい「水子地蔵」がおられます。

堂内には正面に高野山龍城院から移された弘法大師坐像、そしてその両脇には脇佛として不動明王と愛染明王が安置されています。

九州八十八ヶ所百八霊場第九十九番札所 青井山 高野寺

この不動明王は「出世不動」と呼ばれ、九州三十六不動尊霊場第十八番札所ともなっています。
被災後再度、不動尊霊場参拝のため尋ねた時も御身堂は辛うじて大難からは救われたようで、ご本尊を始め、諸尊が内陣に変わらず奉安されていました。

そんな穏やかな空気の流れる空間は「人吉の高野山」と呼ばれ親しまれているのも頷けます。

南無大師遍照金剛

高野寺の向かいにある「青井阿蘇神社」は、相良氏入国より約400年前、今から1200年前の大同元年(806年)に神社が創建されました。

KODAK Digital Still Camera

阿蘇山のふもとに鎮まる阿蘇神社の御祭神十二神のうち、三神の御分霊が、重陽の日9月9日に青井阿蘇神社に祀られたそうです。

そのみ三柱の御祭神の名は、
初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)
その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)
その子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)
の三柱の神々です。

この開拓の守護神である阿蘇神社の神々を祀り、ご加護を受けながら人吉球磨地方の開拓が営まれ、安住の地を整えていったのではないかと思われますが、こちらも豪雨災害により多大な被害を被っておられます。

高野寺ともども、一日も早い完全復興を願うばかりです。

九州八十八ヶ所百八霊場第百番札所 護国山 金剛乗寺

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第百番札所「護国山 金剛乗寺」をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを 合掌

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