九州四十九院薬師霊場 第九番札所 金剛山 長安寺

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九州四十九院薬師霊場
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九州四十九院薬師霊場 第九番札所 金剛山 長安寺

予告では九州西国霊場第五番札所「長岩屋山 天念寺」をお伝えする予定でしたが、天念寺の御朱印の授与寺の関係から、今回は予告を変更して九州四十九院薬師霊場 第九番札所 金剛山 長安寺をお伝えさせていただきます。悪しからずご了承ください。

長安寺は、養老2年(718年)に仁聞菩薩(にんもんぼさつ)により開かれたと伝えられる天台宗のお寺です。昔の繁栄を偲ばせる「太郎天像」や「二童子立像」、「銅板法華経」など国の重要文化財が保管されています。

九州四十九院薬師霊場会について

薬師信仰は、人々の病の苦しみからの解脱を願う、仏教伝来とともに根づいた、切実にして身近な信仰です。
この薬師信仰と九州独自の文化を一体化して、先人の努力によって今日まで護持された寺々が集まり、「九州四十九院薬師霊場会」が開創されました。
薬師信仰という、真筆にして敬虐な古い形の祈りを通して、神と仏が共存した、日本らしい信仰の形態を思い返しつつ、幅広い信仰文化が創造されています。

地図上で見れば一見簡単に廻れそうにも感じますが、一巡すれば、想像をはるかに越えた長行程です。
九州四十九院薬師霊場には、人里近くの寺が、周囲の都市化に伴い、街のさなかに軒を並べるに至った寺や山路を訪ねて奥深く分け入る寺、古い歴史のたたずまいが随所に溢れている寺、旧跡を復興して新しく建てられた寺等々、魅力がいっぱいです。きっと新しい発見があるはずです。

薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじる心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

日光菩薩・月光菩薩

この二尊はそれぞれ単独で信仰されることはありません。
常にペアで薬師如来様をお護りされています。
通常は向かって右側(左脇侍)に日光菩薩、左側(右脇侍)に月光菩薩が左右対称に配されています。
日光菩薩は日光遍照とも呼ばれ、千の光を放ち天下を照らし衆生を救済するお役目があります。一方、月光菩薩は月光遍照とも呼ばれ、薬師如来様の正しい教えを守るお役目を担っておられます。
両菩薩ともに衆生の不安や苦しみ、謂わば闇の部分に昼夜分かたずひかりを照らしておられます。
その象徴として、日光菩薩は太陽・日輪、月光菩薩は月・月輪を手にした蓮華にのせられています。(宝冠に太陽、月を表す場合もあります)

日光菩薩 ご真言

おん そりや はらばや そわか

月光菩薩 ご真言

おん せんだら はらばや そわか

十二神将

薬師如来様に付き従うガードマン的存在の一団です。
と同時に経典を読む人々を守るという役目も担われています。
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るといわれています。そのため中国や日本では十二支が充てられています。その割り当てには解釈の違いによって諸説ありますのでご注意ください。当ブログでは混乱を避ける意味から、敢えて割り当てられた十二支は省かせていただいております。
平安時代以降、頭上に標識として干支の動物を掲げている像が一般化され、十二支の彫刻がないものを古様、あるものを新様といいます。
さらに十二神将にはそれぞれ如来・菩薩・明王が化身されたものと言われています。

十二神将とご真言

宮毘羅大将(金毘羅童子、宮比羅)(くびらたいしょう)
   おん くびら そわか

伐折羅伐折羅大将(金剛力士)(ばさらたいしょう)
   おん ばさら そわか

迷企羅迷企羅大将(めきらたいしょう)
   おん めきら そわか

安底羅安底羅大将(あんてらたいしょう)
   おん あんて(ち)ら そわか

頞儞羅頞儞羅大将(あんにらたいしょう)
   おん あんにら そわか

珊底羅珊底羅大将(さんていらたいしょう)
   おん さんて(ち)ら そわか

因達羅因達羅大将(帝釈天)(いんだらたいしょう)
   おん いんだら そわか

波夷羅波夷羅大将 (はいらたいしょう)
   おん はいら そわか

摩虎羅摩虎羅大将(まこらたいしょう)
   おん まこら そわか

真達羅真達羅大将(緊那羅)(しんだらたいしょう)
   おん しんだら そわか

招杜羅招杜羅大将 (しょうとらたいしょう)
   おん しょうとら そわか

毘羯羅毘羯羅大将(びからたいしょう)
   おん びから そわか

『概略』

金剛山 長安寺
(霊場御朱印)

別称

花の寺
しゃくなげ寺

創建

養老2年(718年) 仁聞菩薩

宗派

天台宗

ご本尊

千手観音菩薩立像(寺ご本尊)

ご真言

おん ばざら だるま きりく

十一面千手観世音菩薩について

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によってどんな願いも見落とさず、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
蓮華王とは胎蔵界曼荼羅で観音が配される場所である「蓮華部」の中で、最高位となっています。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

千手観音は、人々を救うための手が多い分、得られるご利益も多いと考えられています。そのため、災難除け、病気平癒などあらゆる現世利益を網羅しているのです。
そのご利益です。
厄災厄除・苦難除去・病魔退散・悪疫守護・諸願成就・平穏無事・頭痛平癒・病気(難病)平癒・奇病快癒

さらに、夫婦円満や恋愛成就、安産や子宝成就にも功徳があるとされていて、後生善処(ごしょうぜんしょと読みます。亡くなったあと来世でも幸せに過ごせることを言います。)などのご利益もあります。

また六観音(聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音または不空羂索観音・如意輪観音)の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
餓鬼道に生まれ変わる人は、生前に自己中心的な生活を送っていたり、欲望のままに生きていた人々で、ノドの渇きも潤せず、食べることが叶わないため渇きと餓えに苦しみ続けると言われています。

住所・連絡先

大分県豊後高田市加礼川635 TEL 0978-27-3842
(地図)

H4 アクセス
JR日豊本線宇佐駅よりタクシーにて30分
東九州自動車道 宇佐インターチェンジより約40分
自家用車の場合、宇佐駅より豊後高田市役所を経て、都甲中学校手前を右手に進み、宮ノ元バス停を左折。
参道手前にに駐車場あり
天念寺との所要時間、車で5分

花と祈願の寺 第九番札所 長安寺

長安寺屋山(標高543メートル)の西腹にあります。

養老年間(717~24年)に仁聞菩薩が開基したと自伝には記されています。
仁聞菩薩は、宇佐八幡神の応現身とされ、法華経二十八品を模して、本山・中山・末山に合わせて二十八ヶ寺(三山の本寺)を建立しました。

長安寺は、六郷満山中山本寺として栄えた寺で、平安時代に衰退した西叡山高山寺に代わって、鎌倉時代には六郷満山の宗山として満山65ヶ寺を統括していました。
さらに戦国時代には屋山城主の吉弘 鎮信及び統幸親子が別当を兼ねて、庶民信仰と併せて寺勢力を発展させました。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍に組した大友義統(よしむね)は徳川方黒田如水の軍と石垣原の合戦で大敗し、 大友方の屋山城城主、吉弘統幸(長安寺の別当職)もこの合戦で壮絶な戦死を遂げました。
翌年、統幸の残党の居る屋山城は黒田軍により攻撃され、長安寺も運命を共にしたという歴史があります。
その後、豪円和尚が長安寺の法灯を復興させますが、六郷満山の統括の資格は長安寺には戻らず、杵築城主の崇敬を受けた両子寺が満山の支配力を獲得したそうです。

九州四十九院薬師霊場 第九番札所 金剛山 長安寺

さて、前置きが長くなりましたが、境内に進むと本堂の横幅はかなり長く、どっしりとした建物です。
正面の扉は開け放たれ、ご本尊の「千手観音菩薩」がすぐに目に入ります。

境内は深い樹木に囲まれながら経蔵・宝物殿・護摩堂・収蔵庫などが立ち並び、本堂左手の山道を登ると奥の院へと続きます。

収蔵庫に保管されている太郎天・二童子立像は、19枚の銅板法華経とともに国の重要文化財に指定されています。
太郎天は、もともと修験道の守り本尊である“天狗神”を表しており、大日如来の使者である不動明王が修験の極致にある者の前に顕れる時に太郎天の姿をしていると考えられていたそうです。
土地の人たちは、その太郎天像を「屋山天狗」または「太郎天狗」と呼んでいたそうです。

その他にも石像文化財としては国東塔・宝篋印塔、石仏では阿弥陀如来坐像・地蔵菩薩立像・不動明王、さらには史跡として二院十一坊跡など枚挙に暇がありません。

太郎天像の拝観は有料となっています。

長安寺本堂裏に続く遊歩道には歌碑がたくさん並べられています。

南無根本伝教大師福聚金剛

「長安寺」は、四季を通じて美しい花や木を愛でることができ、“花の寺”とも呼ばれています。
春にはシャクナゲ、梅雨には紫陽花、秋には彼岸花と四季折々の花々が敷地内に咲き誇り、参拝者を迎えます。さらに、紅葉の時期はモミジや銀杏が鮮やかに色づき、本堂裏手より奥の院へと続く遊歩道には歌碑がたくさん並んでいます。
シャクナゲの見頃は4月15日頃~5月10日頃だそうです
また紅葉の見頃は、例年11月中旬から12月初旬です。

こちらで九州西国霊場 第五番札所 天念寺のご朱印も授けていただきました。

次回は九州西国霊場 第五番札所 長岩屋山 天念寺

次回は九州西国霊場 第五番札所「長岩屋山 天念寺」をお伝えしていきます。
第四番札所・八幡宇佐宮大楽寺は九州八十八所百八霊場にアップしてありますのでご覧ください。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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