九州四十九院薬師霊場 第四番札所 東照山 種因寺

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九州四十九院薬師霊場 第四番札所 東照山 種因寺 九州四十九院薬師霊場
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九州四十九院薬師霊場 第四番札所 東照山 種因寺

弘仁元年(810年)伝教大師最澄の開基。ご本尊に薬師如来を安置し、伝教大師が謹刻した七仏薬師の一つであると伝わっています。種因寺の薬師如来は厨子入り秘仏で5年の一度の御開帳です。御前立の像は説に南北朝時代の作で、脇士に日光・月光菩薩、十二神将を従えています。
九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじる心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

東照山 種因寺
(霊場御朱印)

創建

弘仁元年(810年) 伝教大師最澄

宗派

天台宗

ご本尊

薬師如来立像(寺ご本尊)別名:法海雷音如来 伝教大師最澄作

住所・連絡先

福岡県嘉穂郡桂川町土師3135 TEL 0948-65-1102
(地図)

アクセス

JR筑豊本線「桂川」駅下車タクシーにて10分
バス飯塚バスセンターより西鉄バス「大隈行き」にて「下土師」下車、徒歩10分
自家用車の場合九州自動車道鳥栖ICまたは福岡ICより飯塚方面へ四〇分
門前に駐車場あり

伝教大師最澄の七薬師のうちの一体・法海雷音如来(第四番札所 東照山 種因寺)

土師(はじ)の町を見下ろす高台に、平成6年、高倉照順住職により改築・落慶された種因寺本堂が静かに佇んでいます。
地名にある「土師」は、古墳時代の豪族の「能見宿禰」の子孫です。
能見宿禰は垂仁天皇に仕え、垂仁天皇の皇后の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられました。
そのために土師氏は代々天皇の古墳造営を含めた葬儀を司ることとなりました。

また聖武天皇の時代に、土師氏の中には、姓を菅原に改めた氏があり、その菅原氏から公家の五条家が出たが、五条家は野見宿禰の子孫です。

ちなみに、菅原道真は土師氏の嫡流です。

さて前置きが長くなりましたが、ここには、伝教大師最澄が彫ったと言われる七体の薬師如来像のひとつが安置されています。
福岡には他に、朝倉の南淋寺(九州八十八所百八霊場第六番札所・九州四十九院薬師霊場第二番札所)に一体あります。

現在わかっているその七体の薬師如来は以下のようになっています。

第1番 南淋寺 朝倉市朝倉町太字宮野
第2番 比叡山根本中堂 京都府比叡山
第3番 宝満山宇智山中堂 廃寺
第4番 東光院 福岡市堅粕…廃寺
第5番 種因寺 嘉穂郡桂川町…仏像
第6番 因幡堂 京都市四条
第7番 広降寺 京都市太秦

これらのうち3番と4番以外は現存しています。

また九州の寺院である種因寺では5年に1度、南淋寺では1年に2度、1月第2日曜日、4月8日公開されています。

種因寺の薬師如来は厨子入り通常は秘仏のため、御前立の像を拝することになりますが、その御前立も作者は不明ですが、南北朝時代の作といわれ、脇士に日光・月光両菩薩、十二神将や客仏を従えています。

かつて種因寺は古図によると本堂・回廊・楼門・五重塔・鐘楼・仁王門・御供屋などが建ち並ぶ堂々たる大伽藍だったようです。
しかしながら大伽藍も、戦国時代に大友宋麟と島津貴久の兵火により焼失し、暦応2年(1339年))「霊山」という僧が中興したと伝わっています。

境内は、十三仏堂にに十三仏石像をお祀りし、庇を分けた龕堂には地蔵菩薩や不動明王などがお祀りされています。
さらに境内一隅に五輪塔墓があり、伝教大師の母のものと伝っていますが、伝教大師の生誕地は近江国なのに、なぜここに母の墓があるのか、定かではありません。

南無根本伝教大師福聚金剛

七仏薬師の信仰

延暦23年(804年)春3月、伝教大師が入唐、翌年8月に帰朝して、太宰府に逗留のみぎり七仏薬師を自刻、第一座を朝倉町の南淋寺(当霊場第二番)に、第二座を比叡山延暦寺の根本中堂、そして第五座を種因寺に安置したそうです。

薬師如来は、古くから病気を治す仏様として、信仰されてきました。
西の阿弥陀如来に対し、東は薬師如来で、左に掲げたように、善名称吉祥王如来から始まって、宝月智厳光音自在王如来金色宝光妙行成就王如来無憂最勝吉祥王如来法海勝慧遊戯神通如来と次々に七つの浄土があり、一番遠い7番目の浄土に薬師如来(薬師琉璃光如来)がおられます。
薬師如来の居る浄土を浄瑠璃国とか浄瑠璃浄土といいます。

天台宗では、薬師如来7体を並べて祈る方法を「七仏薬師法」といいますが、天台宗の良源という僧侶が、摂関家の安産祈願をしてから特に有名になりました。

薬師経には、薬師仏の像形を七体つくると書いてあります。やがてこの説が発展して、七仏薬師の信仰が生まれたようです。

なお種因寺の方より、普段は本堂は閉めてあり、また法要等で外出していることもあり、ご参拝の時はは事前に電話を入れていただけるとありがたいです、とのことでした。
次回は九州四十九院薬師霊場第五番札所「右芳山 薬師院」をお伝えしてまいります。

九州四十九院薬師霊場 第五番札所 右芳山 薬師院

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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