九州四十九院薬師霊場 第十番札所 石立山 岩戸寺

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九州四十九院薬師霊場
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養老3年(719年)に仁聞菩薩(にんもんぼさつ)の開創と伝えられています。 全盛時には、山6坊、里6坊の12坊を有し、六郷満山の中でも民衆教化・布教の地として重要な地位にあったといわれています。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

石立山 岩戸寺
(霊場御朱印)

別称

奥の寺(おくんてら)

創建

養老3年(719年)仁聞菩薩

宗派

天台宗

ご本尊

霊場御本尊 薬師如来坐像 薬師堂

ご真言

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊 不動明王

ご真言

なま(く) さまんだ ばさらなん せんだ まかろしゃな そわたや うんたらた かんまん

ご詠歌

あらとうと 岩戸の薬師 ぬかづ希(け)ば 慈悲のみ心 十二のご誓願

住所・連絡先

大分県国東市国東町岩戸寺1222 TEL 0978-72-5168
(地図)

アクセス

JR日豊本線「別府」駅または「大分」駅より「国東」行きバス(1日12~13便)にて「国東」下車。
さらに「岩戸寺」行きバスに乗り換え、終点下車。
または「国東バスターミナル」よりタクシーにて20分。
自家用車の場合、大分、別府方面より国道213号線を北上。
「北浦」より左折し5km
門前に駐車場あり

仁聞菩薩自作の薬師如来(第十番札所 石立山 岩戸寺)

岩戸寺は養老3年(719年)に仁聞菩薩によって開かれたと伝えられ、六郷満山の末山本寺です。
末山(すえやま)本寺とは、一般大衆に布教するお寺のことだそうです。
ちなみに他に学問をするため本山(もとやま)修行をするための中山(なかやま)ふたつの群がありました。

駐車場から少し長めの緩やかな上り坂の参道を進むと日本最古といわれる仁王像が迎えてくれます。

仁王像の間を進むと山門があり、正面が本堂です。

本堂にはご本尊の不動明王をお祀りし、その両脇に阿弥陀如来と釈迦牟尼が安置されています。

こちらでご朱印をいただき、本堂左手より奥の院を目指します。

中腹まで差し掛かると、高さ3.3メートルの国東塔があります。
弘安6年(1283年)の銘があり、在銘の国東塔としては大分県下最古といわれ、国の重要文化財となっています。

国東塔より少し左に下ると茅葺の「講堂」があります。

ここは無形文化財となっている「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」の舞台となっている場所です。
毎年1月下旬〜2月初旬の間、1日だけ「修正鬼会」が天念寺は毎年、岩戸寺は成佛寺と交互に実施されます。西暦年号の奇数年は岩戸寺で、偶数年は成佛寺で行われます。
その修正鬼会を執り行う僧侶は、参道沿いあった川で身を清めるそうです。
修生鬼会については「成佛寺」の記事をご参照ください。

この講堂内には、江戸時代作といわれる薬師如来が奉安されています。

元の山道に戻りさらに登ると正面に収蔵庫を兼ねた「薬師堂」に出ます。

中には、霊場ご本尊で、平安後期に仁聞菩薩が自ら彫ったといわれるカヤの一木造りの薬師如来像(県指定文化財)があります。
保存状態もよくとても美しいお姿でした。

その右手には寺号の謂れとも関係する「明賢」が修行した「明賢洞」もあります。

その寺号の謂れというのは

養老4年開基の仁聞菩薩は六郷満山が成就した時、俊足の岩戸寺先達の明賢を奈良に遣わしました。
明賢が播磨の国に来たときに洋上に一身七頭の鬼形が漂うのを見て、これを加持力で岸に引き寄せ、その首を取り、天皇にその処遇を尋ねたところ
「異敵の首を王城に埋めるは障りあり、汝が国に埋葬すべし」
との宣下により、大分に戻り埋め、石の戸をもって堅く閉ざしたことにより石立山岩戸寺と号することになったそうです。

さて山道をいま少し登りつめると六所権現社にたどり着きます。
神仏習合の修験の時代を彷彿とさす空気に満ち満ちていました。

南無根本伝教大師福聚金剛

次回は都合により九州八十八所百八霊場第第87番札所・九州二十四地蔵尊霊場第5番札所「全海山 宗像観音寺」をお伝えしてまいります。

九州八十八所百八霊場第87番札所 九州二十四地蔵尊霊場第3番札所 全海山 宗像観音寺

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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