九州二十四地蔵尊霊場 第六番札所 日光山 西福寺

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九州二十四地蔵尊霊場
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九州二十四地蔵尊霊場 第六番札所 日光山 西福寺

西福寺は田川市の住宅街の中に伽藍を構えています。曹洞宗 栄西和尚の弟子 明全師の創立として開山しました。兵火から難を免れた釈迦如来、阿弥陀如来、観世音菩薩の三尊仏像が安置されています。

九州二十四地蔵尊霊場会~より

『概略』

日光山 西福寺
(御朱印)

創建

建久六年(1195年)明全師(曹洞宗栄西和尚の弟子)
明治35年(1902年)高野山真言宗に転派。

宗派

高野山 真言宗

ご本尊

釈迦如来(寺ご本尊)
子育地蔵尊(霊場ご本尊)

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

住所・連絡先

福岡県田川市弓削田(ゆげた)510 TEL 0947-42-2964
(地図)

アクセス

JR田川後藤寺駅より車で10分 弓削田小学校東側
境内に駐車可

ご詠歌

世の中の 親の願いは 健やかに 育てと祈る 慈悲の姿に

現在も響く健児の笑い声(第六番 西福寺)

西福寺は田川市の住宅街の中に伽藍を構えています。
境内には保育園も併設されていて、平日は子供たちの元気な声で満ち溢れていることと思います。

山門をくぐり右手に本堂があります。

西福寺は、曹洞宗 栄西和尚の弟子 明全師の創立として開山しました。 
寺伝によれば、350余年前の永禄6年、大友宗麟の兵火にて伽藍はすべて焼失しましたが、当時の村人は力を合わせて釈迦如来、阿弥陀如来、観世音菩薩の三尊仏像を境内地の井戸に投げ入れ焼失から免れたそうです。

九州二十四地蔵尊霊場 第六番札所 日光山 西福寺

文化5年(1808年)、この地が流行の病や災害が度々見舞われたので春日明神に詣でた際、そのご神託により仏体を井戸より発見し安置したそうです。
本堂右手には観音堂があります。

そして観音堂と向かい合うように山門の左手に霊場ご本尊をお祀りしてある地蔵堂があり昭和60年に開眼された「子育地蔵尊」がおられます。
このお地蔵さんが、九州二十四地蔵尊霊場第五番札所のご本尊様です。

地蔵堂にはお守りのガチャなどもあったり、安置の弘法大師さまのお顔など、クスッと微笑んでしまうような光景が含まれていました。

南無大師遍照金剛

ご本尊の子育地蔵尊は、もちろん子供の健やかな成長を見守る地蔵尊ですが、交通事故抑止の地蔵尊でもあります。
ご住職も交通事故に遭われ、意識不明に陥ったそうですが、ご本尊やお地蔵さまのお陰か九死に一生を得たそうです。

九州四十九院薬師霊場 第十一番札所 桧原山 正平寺

次回は、九州四十九院薬師霊場第十一番札所「檜原(ひばる)山 正平(しょうへい)寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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